第十話 『運命』という大きな時計の歯車
瘴気が限りなく無に近付くと、ハイルは城の頂上へと降り立ち、シエルのものとは異なる白い瘴気を漂わせる。
魔神は、その全てが悪であるわけではない。
母のように、人と結ばれることを望む魔神もいれば、ハイルのように精神汚染を解くための瘴気を出す魔神もいる。
決して、望んで魔神の力を使っているのではない。
何かを得るためには、何かを犠牲にしなくてはいけない、それに尽きる。
警戒心を緩めていたせいか、後ろで何かが動く気配を察知するのに時間がかかった。
「か、神様、でいらっしゃいますか?」
心のこもった、優しくて安らぐ声が聞こえる。
現国の王女――ユーティリア・クロムハーツであった。
聖なる神の加護を受け継ぎしクロムハーツ家は、精神汚染にも耐えうる強い心を持つと、噂では聞いたことがある。
白と、鮮やかな赤いりぼんが腰に巻かれたドレスを身に付け、整えられた亜麻色の髪と温もりを感じさせる赤に近い色を持つ瞳。
その顔は凛として、清純さを思わせる反面、子供のようなあどけなさも兼ね備えていた。
この最上階に閉じ込められているのも、汚染された騎士たちによって王女が危険に晒される可能性を無くすためだろう。
その現国王女はハイルの方を見て、何やら震えていた。
そして、忠誠を誓う騎士のように、膝まづいて頭を下げる。
「この国を……いえ、世界をお救いください。神様」
「え? 待って下さいユーティリア様。俺は武器屋の主人で、世界を救うのは俺の仕事じゃありません」
慌てて弁解するハイル。しかし、模様が広がったままの魔神の姿でそれを言っても、説得力は無かった。
神様が謙遜するなんて、とユーティリアは笑い、あることに気が付いたかのように我に返る。
「も、もしかして、神様では無いのですか?」
「おお! 理解力のあるユーティリア様で助かります」
「貴方様は、神に使えし勇者様なのですね!」
「おい」
思わず王女に、「おい」などという下賤な言葉を使ってしまったが、ユーティリアは聞いていない。
「ああ、勇者様が現代に降り立つとは! なんて素晴らしい日なのかしら、これは祭りをするしかありませんね!」
「本当、頭の中はお祭り騒ぎですな」
ここで、ハイルは自分の現在の姿にやっと気付いた。
肩から力を抜くと、次第に模様は手の甲へと収縮していく。
その様を見ていたユーティリアは、再び喜びの声をあげたのだ。
「おお、なんと慈悲深い神様なのでしょう! 我々人間と親しみ易くするために、人の姿を模した勇者様を送ってくださるとは!」
「もういい、分かった。俺は帰る、帰るからな!」
外の様子も気になるから、と続けたハイルの腕をユーティリアは掴んで離さない。
「お願いがあると、言いました」
顔を見なければ、何もせずに帰れたのかもしれない。
だけど、ここでユーティリアの顔を見なければ、ハイルは一生後悔する羽目になったのかもしれない。
涙。
何よりも強く、国民をまとめてきた象徴的な人物が、ただの少女のように見えた。
それほどまでに悩み、苦しんできたのか。
先ほどの浮かれようは、本気だったのか。
分からない。
けど、彼女の願いを聞こうと、ハイルは決めたのだ。
あと一歩だった。
あと一歩、相手に踏み込まれていたら、リーナの命は無かった。
突然、眠るように倒れた騎士たち。目の前に倒れた騎士を避けて、ミュエルの元へと近付くリーナ。
「ミュエル様。大丈夫ですか?」
「え、ええ。ま、やっぱりハンマーの方が使いやすいね」
軽そうに剣を回すミュエル。その表情はどこか浮かない。
きっと、目の前に転がる騎士たちが、かつての仲間だったからだろう。
「王宮に入れるみたいです。行きますか?」
「そうね、王女様も救い出さない、と……?」
不思議そうな顔をするミュエル。その目は、明らかにリーナの後ろを見ていて、振り返ると、やはりリーナも不思議そうな顔をする。
現国王女ユーティリアと、モンキー武器屋の主人ハイルが、肩を並べて楽しそうに談笑しながら歩いてきたのだ。
「それでですね、俺は言ってやったんですよ。『お前は、本当にそれで良いのか』ってね」
「あはは、ハイルさんは楽しい方ですね。勇者様とは思えません」
『ちょっと待って(よ、ください)』
リーナとミュエルの声が重なる。
どうしてハイルがユーティリアと一緒に外に出てきたのか、全く分からない二人。
自分が魔神であることを話すべきかどうか分からなかったハイル。
ここで話してしまったら、今まで積み上げてきた物が壊れてしまいそうで、無くなってしまいそうで、怖かった。
だから、ハイルは王女を助けるために王宮から、敵を倒しながら最上階まで移動しながら戦っていたと話した。
間違ってはいないが、大事な事を話していないせいか、話に信憑性が無かった。
勘付いたのか、リーナが追及を始める
「ハイル、魔神は――どこに消えましたか?」
「奈落に帰っていったよ」
「……どうしてです?」
「どうしてって、分からないな。勝手に帰っていったんだ」
やはり、リーナは信じていないらしい。
それもそうだ。ハイル自身、同じことを他人がしてきたら、こうやって言及するはず。
特に、数週間前からの付き合いだが、リーナはハイルがどういう人間なのかを次第に理解してきている。そのせいだろう、ハイルが嘘をついていることに気が付いたのは。
「分かりました、それで良いです。ここで何を言っても話してくれないようですし」
「……助かる」
「?」
リーナとハイルの間で何かが終決したことだけは、話の流れが読み取れないミュエルにも分かった。
あれから、二時間が経過する。
日は真上に昇り、瘴気も全て無くなっていた。国民はその間の記憶が無かったため、自分たちの精神が汚染されていたことも分からないようだ。
しかし、汚染されなかった一部の国民は城に来て、抗議をしていたようだが、証拠も何も残されていなかったため、無意味に終わる。
「では、『魔神封印計画』の話を始めます」
王宮にて、騎士数名とハイルたち。ユーティリアが集まり、話をしていた。
魔神の封印。
それが出来れば人々は、いつ何時現れるか分からない魔神に怯えることは無くなる。
そう、完全なる魔神は世界で一体しか存在出来ない。
つまり、シエルを例えに用いたとして、完全なる魔神シエルがこの世に向かうために奈落を通じてこの世界に来る。それ以降は、魔神は奈落を通ってこちらの世界に来る事は出来ないのだ。これは、王宮にある古の図書館に置かれた本の伝承だが、今までの魔神の形状や特徴を細部に渡って書かれているところを見るに、正しい情報なのだろう。
その、こちらの世界に来た魔神を現代に閉じ込めてしまえば、魔神の再来は二度と起こらない。
ハイルの家族の話になるが、ハイルとシエルは元々が半人であるため、二人でやっと一人の魔神として数えることができる。
そのため、二人が魔神になったとしても世界に影響は無いが、母親のように魔神の力を捨て、人間として現代に住み着いた場合はどうなるのだろうか。
いや、その封印がどういうものなのか分からないうちに、混乱させるようなことは言いたくない。だから、その方法を聞いてから口を出すことにする。
「なので、人類最後の魔法使い様の元へと行ってもらいます」
「え、魔法使いって沢山いるのでは?」
ハイルの問いに、女王は首を横に振る。
半年もの間、世界の事情に触れてこなかったハイルは知る由もない話だ。
北の大地で、魔神との大きな争いが起きたらしい。
その場所は、今では何も無い荒れた土地になっているが、そこが魔法使いたちが住む大地だったのだ。
壊滅的な被害を与えて帰っていった魔神。
魔法使いたちは杖を捨て、代わりに鍬を持ち、畑を耕す日々を送っていた。王国が、「再び杖を持つ気は無いか」、と聞いても、誰も話を聞いてくれなかったそうだ。
そう、距離が離れ過ぎていたために、助けるのが遅れてしまったのだ。しかし、早かったとしても、結果は変わらなかっただろう。
「その北の大地を離れ、この国と北の大地を挟んだ森に、魔法使いが住み着いたみたいなのです。ですから、ハイルたちにはそこへと向かってもらい、協力を頼んでください」
ユーティリアに名前を呼んでもらうと、喜んで、と返事をしたハイル。それを横目でじとっとリーナは見る。
「第十三地区十等騎士、リーナ・ミュード?」
「は、はい!?」
気をハイルに向けていたせいか、声が裏返ってしまい、他の騎士たちに笑われる。
そのことが恥ずかしかったのか、顔を赤くしたリーナは俯いてしまった。
「貴女は、ハイルの弟子なのですよね? なら、旅に同行して頂いても良いでしょうか? その活躍次第では、貴女を城を守る騎士へと迎え入れましょう」
「有り難き幸せです」
膝まずき、感謝の言葉を連ねるリーナ。微笑んだユーティリアは、次に、その第十三地区の騎士団長へと目を向けた。
「ミュエル・ガーランド」
「はっ!」
リーナと同じ姿勢で、すぐ隣に座るミュエル。
言われることは、感覚的に分かっていた。
「貴女は、他の地区の騎士たちを鍛えて下さい。警備により全力を入れ、このような事態にはならないようにしなければなりません」
「はっ! 私も、ハイルたちと共に魔法つ……え?」
予想外の言葉に、戸惑うミュエル。
その表情を見て、くすりと笑うユーティリアは笑顔で、
「嘘です」
、と言った。
この状況でよく冗談が言えたものだと嫌味を言う者がいれば、ナイスジョークと賞賛する者もいる。
それから、ユーティリアと話した者は口を揃えてこう言うのだ。
『冗談は役職だけにしてください』、と。
明らかに、王女の立場から彼女はかけ離れていた。
これから――旅が始まる。
ハイルは、不安と期待を抱きながら、自分が必要とされている喜びに充実感を覚えるのだった。
第一章 END
昨日ぶりです。上雛平次です。
第一章が終わり、明日から第二章が始まります。
私の物語は、もう第何章まで来ているのか、分かりません。
さて、冗談はさておき、誤字脱字、誤った表現がありましたらご指摘をお願いします。
では、また明日。