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第五話 「あだ名のついたオタマジャクシ」

●オタマが店にやってきた

 

「……これについて説明して貰いましょうか、ハリマさん」


 ハリマがようやく食事にありつこうとしたとき、その背後に目の据わったヒカリがゆらりと立ち上がった。片手には、号外を切り抜くのに使っていたと思しきハサミを握りしめている。作業に手狭だったので、彼女の方は後ろのテーブルで他の客達と一緒に号外のニュースについてあれこれ話しながら、切り抜きをノートに貼り付けていたのだが、その途中に何かに気付いて手を止め――そこから何度かノートを見直した後のことだった。

「おら、上がったぞ二人ともー、ランチとハリマ定食な」

 そんな二人の様子をまったく無視して、マスターがカウンター越しに二人の料理が載ったプレートを置く。「勝手に持ってけよ?」 というのがありありと見える。

「何だよハリマ定食って……まあいいけどさ。……てかヒカリ、なんで敬語? いや俺の育成方針がようやく芽吹き始めたかとちょっと嬉しく思ったりしてなくもな……いけ……ど?」

 割り箸を二つに裂きながら笑顔で後ろを振り返ったハリマだったが、その異常な眼光と立ち上る怒気に当てられ、思わずたじろぐ。


「……これについて説明して貰いましょうかハリマさん」


「に……二度も言うなんて、余程大事なお話でございましょうかヒカリ」

「ヒカリさん」

 訂正された。

「……ヒカリさん」

 ただならぬ様子に、思わず箸を置いて居ずまいを正してしまう。――ヒカリがこれほど真剣な顔をしているのは……仕事についてきたいと初めて言ったときと、あと、何だったかな――?


「よろしい、では改めて……これについて説明して貰いましょうかハリマさん」

「あ、はい」


 ヒカリが広げて差し出しているのは、さっき表紙を書き直していた 『ハリマ探偵事務所業務日報』 改め 『ヒカリ&ハリマ探偵事務所業務日報』 である。

「あ、ちょっとおまえ何勝手に書き込んでるの、だから俺はおまえのしご……」

「『おまえ』 じゃなくて 『ヒカリさん』 りぴーつあふたーみー?」

「い、いえっさー」

「イエスマム、貴様それでも元軍人か? タマついてんのか? お袋さんのもとに忘れてきたんなら、今すぐ取りに帰ってきても良いぞ?」

「……イエスマム」

 明らかにただ事ではない。ひょっとして、帳簿を誤魔化してへそくりを貯めて趣味の時計をローンで買おうとしたのがバレたのか、はたまた色町に遊びに行ったのがバレたのか――いやそれは帳簿に書いてないからそこじゃないはず――とフル回転で思い当たる点を走査する。が、ここまで姪をキレさせるようなことは、ここ最近にはなかったはずだ。

「あ、えーとひょっとして、ヒカリの名前を入れなかったこと? その点に関しては俺……叔父さんも譲れないよ、姉貴からあずかった大事な姪に傷をつけたとあっちゃ、向こうに行ったときに顔向けできないからな」

 ここだけは譲れない、と必死で威厳をとりつくろい、渋面を作って向き直る。舐められっぱなしでは保護者の沽券に関わるというものだ。



 「 そ の 大 事 な 姪 の 何 を 記 録 し て る の ? 」



 ノートの開かれた箇所には、ミミズののたくったような字で――彼らの一族はだいたいにおいて乱筆であり、殊にハリマの姉のそれや研究論文は天然の暗号として敬意を持って、『ラスト・エニグマ』 と称されるほどの物であったが――乱雑に書かれた業務内容と収支出納、まあ大雑把な業務日報である。仕事らしい仕事がなかったせいで、大半を掃除やドブ掠い、皿洗い(これは主にヒカリの仕事である)などで埋めているのだが、ところどころにはもう少しマシなペットの捜索や賞金首の捕縛などが有り、その日だけは多少丁寧な記述がされていたりした。


 そして、ヒカリが問題としているのは、その隅に書かれた、所々に――だいたい月に一度の間隔で記されている数字のことのようだった。

その最新の記録――確か三日前のものである、自分で書き込んだ内容ではあるが、言われるがまま、改めて上から目で追って確認をする。


 75


    55


       77 


         39


 うむ、確かだ、ここ3ヶ月ほぼ変動のない値で、誤差の範囲である。


 「これは何でしょうか?」



 「 え、いや……おまえのスリーサイズと体重だけど?」


 何を当たり前のことを、という様子でさらりと説明した。そして、――なんだそんなことか―― と、脱力したように肩をおろす。


 「  」


 「おい、どうかしたのか? ヒカリ?」


 「  」


 「あ、分かりにくかった? 左から……上からに置き換えて、最後の39が体重……なん……だけ、ど?」


 空気が凍っていた。いつもの喧嘩か、と笑いながら茶化してやろうとしていたマスターまでもが止まっていた。

 だが、ハリマはまだ気付いていない。自分が地獄の釜の蓋を開けてしまっていることに……。後に、この日の騒ぎ――これもまだ、街に降りかかる災難のほんの端緒のさらに切れ端でもなかったのだが――を語った者によれば、居合わせた客達は皆一様に、


       ぶちん 


 と何かが切れ音を聞いた……と語っている。そして、その次の瞬間、ハリマが錐揉みしながら宙を舞っていた、と。


 グラスの割れる音と、床に転がる食器の音が、けたたましく店内に響く。混じって、笑いと怒号、そして叫び。

「ちょ……ちょっと触っただけだろう? 測るにしたって、触らずにメジャー当てられないじゃないか!」

 座布団がテーブルの上を薙ぎ払って飛んで行く。コップや椅子跳ね回っている。木皿の飛行姿勢は美しいとさえ言えた。振り落とされたシーフードスパゲティが床に投げ出されてのたうちまわった。スパゲティが半分頭に絡んだ状態で、顔の半分を青黒いあざで染めた半泣きのハリマが這々の体で猛スピードの匍匐前進をして倒されたテーブルの影に滑り込む。海軍教練時代に叩き込まれた生存本能が、考えるよりも先に彼の身体を突き動かし、結果として椅子の脚で床にピン留めされることを回避した。

「アタシのケツはなあ……安くねえ……黒髪美少女か眼鏡の年上美女以外が撫でることを許した覚えはないんじゃぼけええええええええ!」

「なんで女限定なんだよ! 胸は良いのかよ!?」

「それはな……あたしの目に敵う美男子がこの世に存在する可能性が1ミリたりとも存在しないからだっ! あと胸が足りないのはこれからだから発展途上だから今の胸はアタシのじゃない! だから仮の胸で借り物だからな!」

 ビシッ、と指を指して高らかに宣言する。

「無茶苦茶だ! 何言ってるか分かってないだろ酔っ払い!」

「いいからすわれええええええっ! そこ正座しろっていったでしょうがっ!」

「イヤだっ殺す気だろっ!」

「優しく殺すから! 痛いの最初だけだから! むごたらしく殴り殺すから安心! 途中から感覚とか無いからっ!」

「鬼だ! ドメスティックバイオレンスだ! 反抗期だ!」

 座った目のまま、丸椅子を振り回して迫るヒカリ。怒りとアルコールで完全に壊れてしまっている。ハリマの方も小器用に店内を逃げ回るが、行く先々を他の客にふさがれ、あるいは笑いながら押し戻され、徐々に逃げ場を失っていった。

「ほらほらどうした? 相手はガキだぜ!」

「なんだよ、誰かハリマにのれよ、今なら8倍だぜ!」

 喧嘩、男たちの囃す声、即席の賭場を行き交う硬貨。時間こそ少々早いが、この店にはありふれた光景だ。正確に言えば、静かな夕餉時の方が珍しいとも言える。

「もったいないよなぁ」

テーブルの上で蹴散らされる食事や酒の惨状を見て、自分の夕食を疎開させながら観客がぼやいた。後に彼の食事もスパゲティと同じ目に遭うのだが、そんなことは今の彼が知る由もない。


「やかましいっ、今日こそその首落として……隣に吊るすっ! あの世で母さんに詫びて向こうでもう2回死んで帰ってきてアタシにトドメを刺されろ!」

「わ、悪かった! だが信じろ、俺には変なつもりはなかった!」

「ほほう、いいわけがあるならして見ろ変態」


テーブルの上から、椅子と大太刀を掲げたヒカリがぎろりと睥睨する。目線は、厨房に下がった豚の頭とハリマの間を往復していた。姪の許しもなく、定期的に酔いつぶれる年頃の娘の成長を克明に記録していたことは、確かに少々いきすぎであったかもしれない。とは言え、今ひとつ合点のいかない話ではある。だいたい、ろくに肉のついていない姪のケツなんか触っても、まったく思うところはなかったし、あえて言うならば 「育ちがよくない様に思える……平均はこのようなものだろうか?」 と言う純粋な感想だけだ。女のケツを撫でたいなら、もっと肉付きの良い在庫の並んでいる、通り向こうの裏側にでも行けば良いし、実際たまにそうしている――実入りが少ないので最近とんとご無沙汰だが。


 「……と、ノートにもちゃんと感想込みで書いてあるだろう?」 


 と、改めてノートの記述を指し示し、


「変な下心があったら、 『育ちがよくない様に思える……平均はこのようなものだろうか?』 とか、こんなことを書くわけないだろう?」

「やっぱ死ねぇええええええええええ!」

 と、再度重ねて姪の誤解を解こうとし――豪速の勢いで飛んできた椅子をすんでのところで回避する。「ああっ!――!」 守りきろうと決めた夕食を載せたプレートが、その勢いでひっくり返って飛び散った。

 「まだ箸つけてなかったのにっ!」

 先般直撃した右ストレート、――ハリマが宙に舞った一撃だ―― あれがなければ、もう少し余裕を持って躱せたはずなのだが、あの一撃が重く足に来ているのが分かる。しかし追撃がないな、とヒカリの方を見れば、今度は別の野次馬と絡んで、また大立ち回りを演じていた――喧嘩に便乗してヒカリに茶々を入れてふざけた若者や、いつも下卑た下ネタで絡んでいるセクハラの小太りもテーブルの向こう側で伸びて長くなっている。どうやら、今のどさくさに紛れてセクハラをかけようとして、一撃の下に沈められたようだ。

「どさくさに紛れて触ってるんじゃねえ!」

 叩き付ける台詞も、既に彼らの耳には届いていない。外見こそただの少女、それも小柄故にまったくそんな風には見えないヒカリだが、こう見えても喧嘩上等、時にはハリマと一緒に荒事や土方までもをこなすようになってしまった力自慢である。背負った大太刀もダテではない。この街に流れ着いたその日のうちに腕相撲で店の男達を全員叩き伏せたこと。その全員から一杯ずつの酒代を巻き上げ、夜を回る前に全て飲み干したこと。噂を聞きつけて見物に来た町の腕自慢達を、刀を一度も抜くこともなく拳一つで叩きのめしてしまったこと――そんな彼女についた二つ名、 『抜かずのヒカリ』 を知らぬ者はこの界隈ではモグリだ。

「ちょ、もういいから、俺が悪かったから! なっ! このままじゃマジで誰か死ぬ!」

 この間抜け達にしても、酒が入っていたところに、たまたま吹っ飛んできたヒカリについつい、という出来心だった。その二つ名を知っていても――見た目がごく普通の少女――それもどちらかというと愛嬌のある部類に入るため、思わずちょっかいをかけてしまったのが不幸の元だ。

「ええい、10倍でどうよ? このまんまじゃ賭になんねーよ……」

 まだまだ囃したりない野次馬が仲間を煽る。レートは10対1までつり上がったが、誰もがヒカリに投じるため、賭が成立していない。ハリマとてそれなりの腕っこきではあるが、退役軍人や便利屋の同業、元軍属ばかりが集うこの店にあっては、しょせんそれなりの、並みの腕でしかない。そんな中で経験はともかくも、ヒカリの一対一での戦闘力は半端なものではなかったのだ。

「どうしても助けて欲しいなら……性転換して美少女になってアタシの下僕になれ! ハリマはアタシのために今すぐ首都からカシミアのコートとマッカラン60年を取り寄せろ!」

「無理だ!」

 物理的にも、年齢の不可逆性からも不可能だろう。後者はヒカリも揃って破産である。


「知ってる! 出来ても中年太りのオカマとか見たくないしっ!」

「じゃあ言うなよ!? あと俺はまだ若い!」

「口答えすんじゃないわよ――天誅っ――!」

「あっ」

 ヒカリが上段に構え、振りかぶって飛び降りた。その先は危ない、ハリマの予感が的中する。


「往生せいやああああぁぁっ!」 


  その勢いのまま、ヒカリが椅子を振りおろす。 どんがらがっしゃん! と派手な音を立てて木片と割れた陶器の欠片が再び弾け散る音が響いた。

しかし椅子はハリマのかわりに、そばにあったテーブルの脚をへし折り、相打ちとなって砕けて飛び散っていた。彼が危惧したとおり、彼女の靴の下でスパゲティと味噌汁混ざってがぐしゃぐしゃになり、床の上でべっとりとすりつぶされて広がっている。これに足をとられたとすると、なかなかの忠義。身を犠牲にして主人の命を守った料理はおそらく彼――ら? が初めてだろう――勿論、後があるとも思えないが。

 ヒカリの方はといえば、転んだ拍子にどこかをしたたかに打ったとみえ、食事や椅子の残骸と一緒に仲良く並んで伸びていた。


「酔っ払ったまんま暴れるからだ……」


 「おい」


 振り向くと、マスターが50センチ程もある柳刃を手にほほ笑んでいる。

「災難だったな、ハリマ」

あくまで笑みを絶やしてはいない、客商売の鏡だ。

「いやまったく、マスター……まぁ天災と思って」

 ハリマも、自分達の運命をある程度悟りながらどうにか笑い返すが、天災でないのは明白なことである。しかし、マスター表情筋は1ミリたりとも動かない。

「……今回もツケといてくれ……」

 観念したのか、ハリマの言葉も疲れ切って聞こえた。マスターはその言葉に満足げな笑みを浮かべて厨房へと戻って行く。

「とりあえず床だけでも片付けとけ、椅子とテーブルの修繕費用はいらねえ、どうせ仕事がないんだ。代わりにしばらく日曜大工でもしてろよ」

「明日は平日だけどな」

「自由業に平日も休日もあるか、仕事がないなら毎日が日曜日って奴さ」

「返す言葉もねえよ」

 肩をすくめ、ため息をつく。

「仕方ないか……おい、おまえらも少しは弁償しろよ」

 釘と材料代だけでいいから。

「俺らもツケで……いや、仕事っつか仕事で払うわー」

喧嘩に便乗して巻き込まれた連中から金の出ることをあてにしたが、どうやら無駄らしい。見知った顔ではあるし、トンズラされないだけマシか……そういえば、あいつらも仕事にありついていないクチだった。溜め息をついて気を失っている姪を抱えて隅に転がす。大きなコブができてはいるようだが、たいしたケガではないようだ。

「力に頼りすぎるからこうなるんだ……」

 握り締めたままの椅子の背から手を解き、自分のコートを布団がわりに被せる。窓のガラスが割れてしまったせいで、部屋には風が吹き込み続けていた。

「あれから塞ぐかあ、寒いし」

 この惨状の原因を作ったハリマだが、手慣れた様子で店を片付け始める。他の客も 「いつものことだな」 と、それにならう。しばらくして、店が片付いてきた頃、その新しい 『客』 はやって来た。前触れはあった。低く響く重低音のエンジン音が急激に大きくなり、重動機の急接近を知らせてもいた。

「……ん? なんだあの……いや小型艇か? 煙吹いてっぞ」

 窓にペラペラのベニヤを打ち付けていた男が、最初に『客』に気付いた。暮れ始めた港の湾の中を、煙を吐きながらヨタヨタと頼りなげに走る小型艇に気付き、近くにいた男を呼び寄せて指差す。黒く染まり始めた海の上を進む小型艇の尻尾から、ちろちろと赤い炎も見て取れた。

「見てみろよ、なんか今にも爆発しそうだぜ」

「あ、ほんまやな、黒くて……見慣れん型だわ……おい、こっちきてみー」

 火事と喧嘩は街の華、が信条のロクデナシどもである、物珍しげな事態、に々に手近な仲間を呼び寄せるが、既に半分ふさがった窓からは全員が思うように外を見られず、幾人かは外へ出ようとしていた、ちょうどそのすぐ後だった。


「おい、なんかあれ近付いてきてね?」

「ここの岸壁に突っ込んできたりしてなあ……たまに酔っ払いがやらかすだろ」

 等と暢気に笑っていた彼らだったが、それが冗談にならない勢いで近付いてくると、おい、おいと互いに顔を見合わせ、そろそろと腰が引け始めた。遠く港の湾の入り口を進んでいたときには気付かなかったが、近付いてくるとそのスピードは思っていた以上に速かった。遠近感と思い込みによる欺瞞である。

 ハリマとマスターがその事に気付いたのはちょうどその頃合いで、指差し笑いあう者と、逃げ腰な者が半々になってきた時だった。「なんだか騒がしいな」 と頭を上げたハリマが見たのは、蜘蛛の子を散らさんばかりに逃げだそうとしている客達と、まだ壊れていない窓の半分を覆う程までに迫っている防錆塗料に黒々とした艇の船底で――すなわち既に逃げる時間はなかった。そして次の瞬間、誰もが自らの体を守るのに精一杯で――またはその余裕もなく、それ以外の事を考える前に店は半ば崩壊。轟音ともに窓どころか壁と屋根が一緒になって崩れ落ちる。


「――ヒカリ――!」


 叫ぶと同時に姪の身体を抱え、店の奥へ文字通り転がり込む。ギリギリのタイミングで、はじき飛ばされた破片と船体が、彼らのいた場所を物凄い勢いで蹂躙していく。「んごっ!」ハリマの背中にテーブルか何かが激しく当たり、一瞬息が止まった。身体を丸め、訓練で覚えたとおりに、口を開けて目を瞑り、ひたすらに耐える。

 吹き飛ばされた壁側に並んでいたテーブルや椅子、それ以外の諸々は、逃げ遅れた客とまとめてその反対側にはじき飛ばされて積み上がって山となり、そして反対側の棚に並んでいた酒瓶や食器とともにガラガラと崩れ落ちた。その招かれざる無法な 「客」 は、店のホールに半分ほどめり込んだところで停止している。店内の彼らがようやくにして事態を飲み込み始めたとき 「客」 は店の真ん中に据えられた大きな丸テーブルに鎮座していた。巨大で丸く、10人は座れるテーブルよりもさらに巨大な顔と不釣り合いなおちょぼ口、目にあたる位置には小さな覗き窓。オタマジャクシに似ていなくもない。

 先程の騒ぎなど比べものにならないほどの轟音と破壊を伴ってやって来た客は、小型の外洋艇だった。勢い余って、と言うには余りに壮絶な事故だが、多くの物が衝突寸前に気付いて逃げ出したこともあって、運の良いことに、下敷きになった者や大怪我をした者ははいないようである。止まれなかったとは言え、水上では比較的高速で慣性を含んだ勢いも、陸乗り上げたところでそのエネルギーをだいぶん削がれていたようだ。


「……」

「……」

 だが、店内に居た客達は皆一様に声を失って呆然と立ち尽くし、あるいはその場にへたり込んでぽかんと口を開けていた。


「……新手の地上げか?」

「……」


 カウンターとガラクタを乗り越え、厨房から出てきたマスターがつぶやく。額から少し血が流れているが、彼も大きな負傷はないようだ。他の面々も気を失っていたり痛みにうめいていたり、状況を把握しきれずにいたりとその様子は様々だが、何を言って良いものかと悩んでいたのは間違いない。

 砂埃の中、沈黙の合間合間に、カラン、コロン、ドサリ、と崩れた壁の破片や屋根瓦が転がり落ちた。


「……そうは見えないが……」

 他に言葉もなく、素で返すハリマ。見上げれば、テーブルにのしかかって身じろぎしている巨大な塊と、その横脇に不釣り合いに小さな目のようなまどが見える。その船体の後方は壁の外にあった。小型とはいえ、外洋艇の船体を納めるには店構えが小さすぎたらしく、正面の入り口は跡形もない。

「玄関から入って来たんだから……客なんだろクソッタレ、腐れ油でも脳天にブチ込んでやろうか」

 何かを諦めたかのようにマスターが言った。それに答えた訳ではないだろうが、外洋艇の上部のハッチが開いてそこからぼふっと黒煙を吐き出す。その後に続いて、オタマジャクシとそろいの見覚えがあるハゲ頭が顔を出した。ハリマ達にも見知った腐れ縁が、ケホケホとむせながらバツの悪そうな顔をして手を上げている。

「あー……すまん、皆の衆、怪我はないかな?」

「おかげさまでな。というか……玄海だったのかよ、久しぶりだな」

「ようハリマ、まったく久しぶりだ。クテニアの内乱以来か」

 国境沿いの街で発生した小競り合いに端を発する、ほんの数日で終わった内乱とも呼べないような騒乱だったが、これは稼ぎ時、とヒカリまでも駆りだして色々と稼いだのはほんの半年ほど前の話だった。思えば、ヒカリが調子に乗ってハリマの仕事に堂々と着いてくるようになったのは、あれが最初のきっかけだったのかもしれない。


「いたた……誰? ハリマ」

 テーブルの下からヒカリが起きてきた。さすがにこの騒ぎには目が覚めたようである。アルコールとともに怒りも抜けたのか、先ほどまでの阿修羅様もどこへやら、だった。

「ん、ああ……玄海だったよ。船は……新しいのに変えたのか、おまえさんだとは判らなかった」

「ていうか何よこれ? ……いつもの十倍くらい店がぶっ壊れてるじゃん! 私知らないわよ!」

「やったのはおまえじゃねーからなぁ」

 今回は一割以下しか壊してないし(多分)、有耶無耶にしてやろう、と心の中で付け加える。

「いや、ガワをいじりすぎたんだが、中身は元のニコイチのポンコツのままだ、すまないなマスター、店にちょいとぶつけちまったわ」

 ひょうひょうとして悪びれない玄海の言葉に、ちょっとかよ、心の中で全員がハモる。

「すまねーですむかっ! ふざけんな糞坊主!」

 さっきのヒカリ達の喧嘩どころではない損害に激怒したマスターが怒鳴る。

「ポンコツっていうのは僕のことでしょうか? あの、というかすみません、ブレーキとスラスターとスクリューの逆転ギヤの油圧が飛んでしまっていて……」

「あ、三たろちゃんはそのままなんだね、久しぶりー、元気だった?」

「はい、ヒカリさんもお元気そうで何よりです。私の方は……あまり元気とは言いがたい状態ですが、私のソフトウェア的には異常はありません」

 店内の惨状をよそに挨拶を交わす1人と1体、最後に会ったのはホタル祭の前だったから、半年近く前のことだ。

「ずいぶん可愛くなったね、着替えたの?」

「そのようなものです」

 船体改造を着替え、というのはなかなかにユニークな発想だ。ドレスアップ、という風に言い換える類語も含め、浅いところに登録しておこう、と整理する。 

「はあ……もう疲れた……とりあえず、今日は閉店だ……船は……エンジンが動くなら裏に舫ってくれ。おまえらも、話はそれからだ」



「……で? なんだってタマちゃんがボロボロになるようなことになったのよ、ナマズにでも噛みつかれたの?」

「いや、もっとタチが悪いと言うたじゃろ……さっきも話したとおり、軍の大艦隊がじゃな」

「与太話はよせや玄海、いくら払えるのかはっきりしな、コイツのスクラップ下取り価格でもいい」

「勘弁してください……その、マスターさん?」

「三太郎とか言ったか? マスターでいいよ、おまえさんは災難だったが、俺が良い買い手を見付けてやる。そこの糞坊主よりは余程マシな、な。おまえさん見たところ、滅多にないくらいできたナビだ、この船だって払い下げとは言えベースは軍用艦だからしっかりしてる、素性も良い物だってのは俺もよく知ってる。消耗品と痛みどころさえそう取っ替えすりゃ長持ちする良い船とエンジンだ……大事にしてもらえるだろうぜ」

「あー、わしゃまだ仕事中だから困るんだが……」

「てめーに発言権はねえよ玄海」

「結局、なんだって」

 皆がめいめい勝手にわあわあと騒ぎながらやりとりをしているので、話があっちへこっちへと飛んでしまって、いっこうに要領を得ない。

 そして店内の片付けはそのまま、というかもう手の付けようがないので諦めることになり、ハリマ達はは無事だったカウンターに座り杯を重ねていた。三太郎は移動することが出来ず、店の真ん中で大きな顔をして、消え入りそうな声で主に変わって詫び続けていた。壁とすきま風だけでもなんとかしようとはしたが、シートでふさぎ切れなかった箇所からは、風と雪が少しずつ吹き込み続けている。

「まぁ……事故だな、さっき話した至近弾の爆発で制動機の油圧が下がっていたか、泡が沸いていたらしくてな、それなのに異常ランプの球が切れてて気づかず、後進ギャの切り替えを入れられないまま減速にも失敗して止まり損ねた訳だ」

「要はポンコツってことね」

「ヒカリ、さっきも言いましたが何気に酷いです、ところでその、『タマちゃん』 って何ですか? 私、ヒカリと会うの初めてじゃないですし、確か前に名前も名乗ったかと」

「んー、なんかオタマジャクシみたいだから、タマちゃんの方が可愛いかなあって」

「さ、さいで……人間で言うところの、あだ名、と理解して良いのでしょうか?」

「あ、そうそれ」

「は……はあ……」

「三タマ、の方が良かった? あとは……」

「タマちゃん、でいいです」

 ヒカリが正直かつ辛辣な批評を述べ、三太郎が不平を述べる。ポンコツはまあ否定できないところもあるが――主に玄海の無精な整備と賭け事のせいで――少なくとも数時間前までは、ここまで酷い有様になるほど壊れてはいなかったはずだ。名前のことはまた後でツッコミなおそう。彼ら以外の他の客は皆ほとんど帰ってしまっている。この惨状では、しばらくは店を開けるどころの話ではないだろう、はっきり言って大損害だ。

「んー、でもタマちゃん直るの? これ? っていうか久しぶりに会ったのになんかぐっちゃんだなー。せっかく着替えて可愛くなったのにもったいないよね」

「すみません、あんまり……考えたくないです……とりあえず、メインスラスタとブレーキノズルの油圧さえ戻ればなんとかなるかと。あとまずは海の上に戻して欲しい気もしますが、この調子だと浮かんだ瞬間どこかから水が漏れてきそうで怖いです。というか潜ったら多分確実に、雨漏りだけで沈没できます」

「む、ワシのコレクションが濡れたら困る」

「船長、あなたがおっしゃっているコレクション――それはただのエロ本です」

「海じゃ物々交換に通貨より使えるンぞあれ」

 ごくごく希に海上を行き交う船舶同士でそうした各国のグラビア誌や娯楽本を交換することはあったが、通貨と言うのは無理がある話だった。

「じゃあそれ売って金にして、俺の店を直してくれよ」

「マスターさん、あなたの意見には心から賛意を表明しますが、古書店に持ち込んでも合計して……概算で昼食2回分くらいにもならないかと……何かプレミアムのつくようなものが1冊でもあればまた違うのでしょうが、船長の趣味嗜好はその点ごくごくノーマルなものと思われますし」

「おいこら何主人の個人情報垂れ流してとるんじゃ」

「安っ! エロ本ってそんな安いの!?」

「おいクソ坊主とスクラップ三の字、俺の大事な姪っ子に変な知識を次々吹き込むんじゃねえよ」

 とことん無駄な個人情報と知識だ。さらに金にもならないときてはますます救いようがない。

「何にしても、このままでは……ここから動くことも出来ず、申し訳なく思います」

「そうなの?」

「センサーがさっきの衝撃とその前の魚雷の至近爆でだいぶ飛びましたので、おおむね勘、なのですが……」

「だけど?」

「正直、自信はありません、今ここに突っ込んでしまいましたのも、泡と油圧のところが機能していなかったのが主な理由です。センサーが完全に壊れていれば胡椒と分かるのですが、中途半端に機能していると、異常があるのかないのかも私には分からないのです。せめて、浮動機関だけでも復旧が確認出来れば……後は皆さんで押していただくか、私の方でもスラスターを小吹きチョイチョイ、でなんとか移動できると思います」

 機械である彼にとっては、センサーが狂っている、というそれ自体がもはや脅威であり、目も耳も、肌の感覚も全て失われているようなものだ。見ているもの、感じたもの、聞こえたもの――これら全てから保障と裏付けが失われている今、信じられる調整と修理なしには何も出来ないと言って良い。

「うーん、まあ後で見たげるよ」

「助かります、このハゲの手入れは不安すぎるので」

「ちょ、ハゲっておま」

「「「てめーはハゲで十分だ」」」

 全員が玄海に刺すような視線と言葉を投げつけ、黙らせる。

「はあ……もういいや、どーでもよくなった」

「おう、奇遇じゃ、ワシもじゃよ」

「俺の店はどうでもよくねえよ、玄海とおめーで払えよこれ、ハリマぁ? ほとんどチームなんだからな」

 流石にマスターもそろそろ切れそうだ。


「……で、どうしたって」

「ん、どこまで話したかのう」

 そんな怒りも呆れもどこ吹く風、ヒビの入ったグラスに手酌でバーボンを注ぎながら玄海は語り続けている。

「国境ブイの定期交換を孫請けしたおまえさんが、道中突然襲ってきた駆逐艦の魚雷をどうにか、かわしたってところ。正直そろそろぶん殴りてぇ」

 それを受けてさらに饒舌に語り続ける玄海。彼にも他の聴客にとっても、かなりどうでもいい話ではあるが、義理で相槌をうつハリマ。いちいち突っ込んでもどうにもならない、ということを骨身に染みて理解してしまう程度には、彼との付き合いも長くなった。マスターの方は、あまりのことに憤ることすら忘れ、もはや諦めの境地でやはりグラスを傾けている。あまりのいい加減さに、沸騰しかけた感情がどこかに消えてしまったのかもしれない。

「それでだ、わしは魚雷の雨をかいくぐり……おっと」

 割れ目からこぼれしみ出る琥珀色の滴を、下品に指で拭い舐める。

「般若湯を無駄にしては仏罰が下ろう……さて、続きを聞きたかろう。それでもしつこく食い下がる駆逐艦をちぎっては投げちぎっては投げ……積んだ魚雷の数より多い駆逐艦を相手に戦い続けた……」

「そんときこの生臭破戒ゴミを沈めてくれてればな、ドンガメどもめ……つくづく使えねえ……俺の店が……畜生」

「申し訳ないとは思うのですが、私まで一緒ですか……こんなのと心中なんてゴメンですよ」

「アタシみたいな可愛い子が良いよね」

「せっかくの愛の告白をたいへん嬉しく思うのですが……それもまあ遠慮します」

「なんでよ!」

 ヒカリがむくれた。その冗談には、義理でも同意が欲しかったようだ。

「俺もまあだいたい同感だぜ、玄海みてえなのはとっとと仏さんのトコへ行くべきだな」

「こいつが天国行きでたまるもんか、たとえ獄卒の閻魔が許そうが、俺が地獄まで追い掛けて叩き落としてやる」

 マスターが自棄気味にラッパ酒をあおり毒づく。玄海が話し始めた当初、一隻だったはずの駆逐艦は物語が佳境に入るにつれ、いつの間にやら大艦隊を編成し、そして不可解にも玄海の小型艇一隻に手を焼いていた。どこまでホラが広がるのか、という勢いだが。もはや突っ込む物は誰も居らず、玄海の独演場であった。最初は面白がって合いの手を入れる者もいたのだが、先の通り、いい加減なホラと 飲み食いどころではない惨状、そして吹き込むすきま風に耐えかねて、一人、また一人と欠けていき、ついにはいつもの面子とマスターだけとなってしまっていた。


「……ともかく、我らは善く戦えりが、衆寡敵せず。刀折れ矢尽き、目の前に迫るはあの大岸壁! わしは死を覚悟した……」

「ホント? タマちゃん凄いじゃん」

「お褒めいただいたところ恐縮ですが、70%は真実ではありません」

「え、三割もホントなの?」

「ざっくりですが、私が見栄を張ったということにしておきたいです……あと、私は相手に手を出してませんよ」

 語る最中に沈めた駆逐艦は既に七隻。ちなみにオタマ-小型艇-には最大でも六本の魚雷しか積載できない。

「その時だ! わしは思い出した、この前少々難有りとみてスクラップにする予定であった一本の魚雷を、わしは賭けた! その一本に!……」

「魚雷ってあれ?」

「いえ、それは仕事で請け負った交換用のブイです。私のは一応、発射管タイプです。このサイズじゃ珍しいんですよ?」

 ヒカリが指差したのは魚雷ではなく、雇用主から渡された中古の信号用ブイだった。基本的に視界に頼ることの出来ない海中において、国境のみならず障害物や危険地域の存在を知らせる重要な設備である。酸度の高い雪も多く流れており、定期的な点検と交換は欠かせない。

「あ、じゃあ帰りだったんだね、あれって屑屋に売れるのかな」

 便利屋(最近の彼らはデティクティヴ、または探偵業、と自称することが多くなったが)らしく、経済的に聡いことを言うヒカリ。実際、交換が終われば、古い方のブイは破棄処分して良いと言われており、「もちろん」 屑鉄屋に売り飛ばして小銭に替える予定だった。艇のメインスラスター――尾の根元に他のガラクタと一緒にワイヤで固定されたそれは、新しく交換するにはやや薄汚れていた。一応、耐用年数を考えた程度の塗装の塗り直しは行われているようだったが、明らかに再利用、と分かる程度の代物である。

「それが残念ながら、まだ仕事を終える前でして」

「それにしちゃ、えらく汚れてるというかボロだな。俺はてっきりこっちが回収してきた方だとばかり思ってたわ……というか、塗装の下に錆噛んでるぞあれ。交換するのに新品が用意されてなかったのかよ? 普通はせめて、外側くらい塗り直すもんだろうに」

 少し離れた位置に座るハリマの目から見てもあからさまに中古とわかるようでは、せっかく交換したところで、そう長くは保たないのではないだろうか。

「さあのう、わしゃ孫だかひ孫請けなんで、詳しいことはよう知らん」

「ひ孫どころかもう既に子々孫々の十次受け以下みたいですが」

 言外に、中抜き……不正があったろう事を臭わせる事を言い、三太郎がその濁した先の言葉を引き継ぐ。やはり 「分かっていて」 引き受けた仕事のようだ。

「だいたいですね……前にも、あれほど変なところの依頼は受けないでください、と口を酸っぱくして言ったじゃないですか!」

「借金抱えたままダービーの夜を寝られんじゃろうが! わしに般若湯なく冷たい夜を泣き暮らせと? あり得ん! そんな時に親切な信心者がだな、『良い仕事があるんだ』 と申し出てくれればそれを断るはないというもの」

 余りの胡散臭さに、一同言葉を失う。

「おい、ひょっとして 『また』 汚れ仕事でこの有様なんじゃねえだろうな、事と次第によっちゃ今すぐにでも軍警察か憲兵隊に引き渡すぞ」

 先まで半切れだったマスターの怒りは、そろそろ完全にメーターを振り切るレベルになっていた。

「あ、いやすまぬ。言葉の綾じゃが……請けた場こそあれだが、れっきとした公の仕事よ。港湾局でも確かめたから抜かりはない……それにな、無料で公共財を補修しようなぞという奇特な御仁が、かようなことに悪さはせんものよ」

 玄海がぶんぶんと手を振りながら弁解する。

「んー、でもさ、たとえばなんだけど、この中に麻薬とかヤバイものを密輸とか、だったら?」

 海中での麻薬、阿片の受け渡しはままある話だ。

「それもなかろう、わざわざ国境沿いの、それも軍管ブイを利用するなぞ危ない橋にも程があるわ」

 恐怖を紛らそうと麻薬や阿片に頼ってしまう兵は少なくなく、かつては軍用の治療薬としても用いられていた。しかし時にその濫用や依存がたたり、各所で戦線が崩壊するほどの事態が発生したことから、今の軍においてはアルコール類よりも厳しく、持ち込みが取り締まられている。

「ふーん……あ、ここなんか開きそう」

「危ないですよ、さっきまでの衝撃で、縛ったワイヤや金具が緩んでいるかもしれませんし……」

 よいしょ、とオタマが乗り上げたテーブルを足がかりにブイを物色するヒカリ。

「じゃあ、なおさらちゃんと点検しないとね。壊れてたら駄目でしょ?」

「まあ、そうですが」

「おい、ヒカリ、危ないからちゃんとしたハシゴと道具持ってきてからにしろよ」

「平気よー、ちょと見るだけだから……あ」

「危ない!」

「ヒカリっ!」

 今までがギリギリだったのかもしれない。彼女が足をかけたテーブルが、船体と彼女の荷重で限界に達し、ミシリ、と音を立てて傾く。幸い完全に壊れはしなかったものの、バランスを大きく崩し、伸ばしていた片手が空を切り、もう片方の伸ばした手が引っかかったブイと一緒に床の上に落ちてガラガラと大きな音を立てた。

「おい、大丈夫か!?」

「だ……大丈夫、ですか……?」

 モニターカメラから見る彼女にはさしいたるケガがないようだが……(今転倒したところと別に大きなコブらしきものは見えるが)自分の荷物が彼女を下敷きにしてはいないかと、三太郎は気が気ではない。

「う、うん、ゴメンねタマちゃん」

「気をつけろよ、おまえはただでさえオッチョコチョイなんだからな」

「わーってるわよもう、うっさいなあ……あちゃー……ブイ、壊れてない?」

 ヒカリが掴んで体重をかけた拍子にブイが外れ、彼女のすぐそばに倒れかかっていた。元々浮くように作られているから軽いとは言えそれなりに大きな、2メートル以上はある代物だ。これが直撃していたら、いかなヒカリといえどケガを免れるのは難しいだろう。

「いかんな、あまり近寄らん方が良さそうじゃ、先に保定を固めなおさにゃならんの」

「ケガがなかったのは何よりだが……これ以上俺の店を壊さないでくれよ。それとな、あんまり大人に心配かけるんじゃねえ」

「う、ごめんなさい」

 注意不足が招いたという自覚はあるので、素直に謝るヒカリ。ハリマ以外の大人には意外にもしおらしい態度も見せるようだ。

「まあいいさ、そうは言ったが……こうなっちまっちゃ今さらもう、大して変わらねえよ」

「じゃよな」

「「おまえは黙ってろ」」

「アンタは黙ってろ」

「船長は黙って首をくくった方がいいです」

「なんじゃその三段オチ!? 僧職は大事にせんと罰が当たるぞ!?」

 誰1人味方の居ない玄海だった。

「大丈夫です、まず最初に罰が当たるのは船長ですから」

「わー、言うねおまえ、売るよ? 売り飛ばすよ?」

「そうしてください、今よりは良い船主のところで幸せになります」

「あ、アタシ買う、っていうか飼う、タマちゃん欲しい。良いでしょ? ハリマ?」

「ちゃんと面倒見ろよ、散歩とか俺はしねーかんな」

「あの、僕犬じゃないんで……」

「てーかもうコイツ、俺がカタにとっても良くないか? こんな仕事でチマチマ稼いで、ウチの修理代とか、無理だろうよマジで……」

 ため息混じりにマスターがぼやく。確かに、ほぼ全壊と言って良い壁と店内の修理代金は、ちょっとやそっとで稼げるものではなさそうだ。

「あー、玄海……こりゃまあ確かに無茶だ。おまえ貯金とかあるわけないだろ」

「そ、そんなことないよ? 故郷に帰れば、預金の一つや二つ、いくらでも……」

「単位おかしいぞ」

「船長の口座なんてないです。借金しか」

「……うむ、実は一銭もない」

 ハリマと三太郎に2人して突っ込まれ、あっさりと開き直る。よくチームを組んで仕事をする仲ではあるが、実のところハリマ達と玄海はそれぞれに別個の仕事屋である。便利屋、とくるんで呼ばれる中でも主に厄介ごとや荒事、機械関係を引き受けるハリマ達と、運び屋をメインに仕事を請ける玄海。元々ハリマと玄海、そしてマスターが軍で同期だったことと、互いに仕事を流し合うのに都合の良い組み合わせだったから連んでいることが多かっただけだ。『探偵事務所業務日報』 というのは、あくまでハリマとヒカリが流行の冒険探偵小説にあやかろうとつけたものであって、実のところ探偵らしい仕事というものを引き受けたことすら、数えるほどしかないのだった(その数えるられる程少ない事例の半分が、行方不明のペット捜索で、残り半分が浮気調査である)。

 三太郎は玄海曰く、「貯金で買った」 らしいので、一応は彼の所有物、ということになる。一方、玄海が軍の払い下げ品とは言え、小型潜航艇のような値の張る物を入手したことについて、ハリマ達は 「どうせ、実家の寺から持ち出した金目の物でも売っぱらったんだろう」 とも思っていた。事実それはほぼ正解だったのだが、今はその経緯はともかく、金に換えられる物があることは有り難い。

「ね、うちにおいでよー」

「そうしたいのですが……残念ながら私には船籍と書類を変える権限がありませんので」

「ま、まあ……仕事の三つもこなせば、なんとか、いや次の、こないだの皐月で良かったナガトデリンジャーが来ると思うしの?」

「ヨタこいてんじゃねえよ……こんなんの付け替えじゃ、作業工賃の請負なんかしれてるだろうが。だいたいお前がレースで当てたのなんか聞いたことないぞ」

 マスターが足でブイを転がした。ごろん、と転がったそれが起き上がりこぼしのように揺り戻る。

「案外重そうねこれ……当たらなくて良かったー」

「気をつけろよヒカリ、壊したら大変だ。玄海から船を巻き上げたら、代わりに俺らがその仕事引き継ぐかもしれんからなあ」

 ハリマの方はスルメを囓りつつ、ぬるくなった安酒をちびちびと舐めていた。こちらもかろうじて被害を免れた調理場から救出したお銚子とおちょこだが、中に埃が入り込んでしまったらしく、少し砂っぽい味がする。

「ん、分かった……目立つ傷はないみたいよ、っていうか元もそんな綺麗じゃないし……おろ?」

 マスターと2人、ブイを見ていたヒカリが、何かに気付いて声を上げた。「ん?」 と一同がのぞき込むと、円筒形のブイの側面に用途不明な取っ手のような物が見えた。上下にあるアンカーワイヤ固定用のリングと違い、サイズも小さく強度も心許ないが、それより何より一同が不思議に思ったのは、その取っ手がまるでドアの引き手かカバンのハンドルのようであり、鍵穴らしき物がついていることだった。

「変ね、これ」

「妙だな、ブイに鍵なんかつけてどうするんだよなあ」

 通常、ブイはその潮――雪の流れに揺られることで中に入れられた玉や鈴が転がって音を出し、その存在やブイの根元、または近くにある危険、岩礁やナマズの道であることを知らせるが、その設置される箇所の性格上雪崩によって失われたり破損することも多く、高価な物が使われることはまずないと言って良い。例外としては港湾区付近で定期的に自ら音を発し続ける音響発信機を積んだ物もあるが、これはそういう高価な物ではないようだ。二つのパーツをボルトと蝶番、突起とシーリングで固定しているものの、わざわざ開け締めを行う用途が思い浮かばない。

「よねえ……タマちゃん、何か知らない?」

「さあ……ちょっと分かりませんね。どうせ鍵をつけるのであれば、外側のワイヤーに付けた方がまだ有意義な気がしますが」

 ヒトに比べ、圧倒的に多くのデータを持っている三太郎だが、こうした種類のブイには心当たりがない。または単に有益な情報でないとして、データベースに登録されていない可能性も高かったが。

「そっかー、ん……こうかな?」

「ヒカリさん、何をしてるんです?」

「え、これなら開けられそうだからちょっとね……へっへっへ、良い子だよー」

 見ると、ヒカリが手際よくボルトを外し終え、懐から取り出した針金とヘアピンを鍵穴に差し込んで、嬉しそうに笑いながらカチャカチャといじっていた。そう言えば、彼女は機械いじりや手先の仕事も得意だったな、と思い出す。この街を拠点にし始めた頃にも、よく彼女の手で整備してもらったもので、玄海の適当すぎる整備に比べ遥かに行き届いた技は見事な物だった。


「手癖の悪いのと器用なのは姉貴譲りだなあ」

「お母さんのこと? 会ったことっていうか小さすぎて記憶ないから教わったことないよ……知ってるでしょ?」

「まあそうなんだが、血筋かな、と」

「かもね……ん? ここかー、ここがええのんかー?」

 カチ、と何かがハマるような音がして、一つ一つ鍵のシリンダーが固定されていく。


「どこで覚えたんだよそんな言葉。姉貴はそれほど……口が悪く……いや、もっと悪かったが、流石にそれは覚えちゃいないだろ」

 姪を置いていってしまった姉の昔を思いだし、これまた血かな、と嘆息した。

「どう考えても周りの育て方が悪いと思うの、アタシ。世が世なら虐待だよこれー」

「ハリマ、そいつぁヒカリの言うとおりだ。こんなゴミ溜で女の子を育てるもんじゃねえよ」

 ハリマは呆れたが、これはもうヒカリの言い分とマスターが正しい。この道に姪を巻き込むことには彼も乗り気ではなかったし、彼とてもまっとうな仕事を望まないわけではなかったのだが……玄海とはまた別の意味で、彼も他に仕事らしい仕事が出来るほど器用ではなかった。


「んー、イクか? イクかー? ほれほれー」

「楽しそうな所悪いが、教育上一応注意はさせてくれ、三太郎も引いてるだろ」

「すみません、ちょっと引いてました」

「えー、ひどいな……あ、開いた」

 カチャン、と少し高い音がして、錠を止めていた金属が跳ねたことを知らせる。ヒトより優れた聴覚センサーを与えられている三太郎と、手元で直接そのノックを感じたヒカリには、鍵が開いたことが感じ取れている。

「さーって、ご開帳ご開帳っと」

「おい、大丈夫なのか?」

 心配そうなハリマに対してどこまでも楽しそうなヒカリの満面の笑みが対照的だ。

「別に爆弾が入ってるわけでもないでしょ」

「爆弾はともかく、本気でヤバイ物が入ってたら俺は下りるぞ、関わりたくねえ」

 マスターの方は、先の話にあった密輸を少し心配している様子だ。

「もしそうじゃったらもっと貰っとけば……」

「おまえもう黙ってろ? な?」

「ぱーんぱーかぱーんっ……と……」

 嬉しそうにブイを――真ん中から旅行鞄のように開いたそれをヒカリとハリマがのぞき込む。三太郎もサブカメラを巡らせて、中をうかがおうとしたが、位置が悪く2人の陰になって中身を見ることは出来なかった。

 そして、ヒカリが嬉しそうにフタ側のパーツを持ち上げ、そこで固まった。

「どうかしましたか?」

「……」

「……」

 沈黙が、妙に長い。三太郎の投げかけた質問にも2人とも返事を返さなかった。

「ん、何が入ってたんだ?」

「マスター、今すぐ軍警察呼んでくれる? なんなら銃手持ちのクソビッチでも良いから」

「おい、まさかホントに麻薬でも入ってたんじゃ」

「いや、こりゃもっとまずいな……玄海、詳しく話を聞かせろ」

 ハリマが立ち上がり、陰になっていたところに視線が通って、三太郎からもブイの 『中身』 が見えた。そしてすぐ入れ替わるようにのぞき込んだマスターに隠れてまた見えなくなる。

「おい、こりゃあ……洒落にならんぞ」

「とっとと突き出した方が良いわねこの人でなしは」

「おい、おい、まさか本当になんか危ない物が入っておったと……」

 2人の間に禿頭を割り込ませた玄海も言葉を失った。三太郎のカメラから見えたブイの内部は、通常空洞に鳴り物が入れられている代わりに白い緩衝材が綿のように詰め込まれ、その真ん中に横たえられる形で、眠るようにそこにいた。


 ブイの中に横たわっていたのは、白く凍り付いた――ヒカリとそう変わらないであろう年頃の、濃紺色のメイド服とエプロンを着た――髪の長い少女だった。



久しぶりすぎる更新ですが、地道に頑張ります

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