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第四話 「お店に飛び込むオタマジャクシ」

●雪風亭の夕べ


「ちわーっす、号外でーす」

 見るからにやる気のなさそうな新聞配達の少年が店に駆け込んできた。

「何があったんだい」

 入り口から一番近くにいた男が、興味深げに少年の抱えた号外の束を覗きこむ。少年はニヤリと笑っただけで彼には答えず、店の奥で洗いものをしていた男に話しかけた。

「コレ、どこか目立つところに張っておいてちょうだい。そしたら、来月のお代から一割ひいとくから」

「好きな所に張っておけ」

 手を休めずに店主らしき男が答えた。どうやら彼がマスターと呼ばれた男のようだ。

 日も傾き、ちょうど夕飯前の頃合いとなって賑わいを見せていた『雪風亭』の店内の話題は、瞬く間にたった今駆け込んで来たばかりの号外に関するものに変わっていた。中にはわざわざ席を立ち、号外を貼っている少年の上から覗き込んでいる者もいる。

「ありがと、他のトコの上から貼らないでね? でないと、おいらが親方に叱られちまう」

 最初に声をかけた男に号外を手渡しながら、少年が言った。

「今月分の新聞代は半額だ、厭ならもって帰れ」

「厳しいな……OK、親方にそう言っとくよ、じゃあ約束! ……これお代のかわりね、喉乾いちゃった」

 男のテーブルから、半分ほど残った果実酒のコップを手に取って一息に飲み干し、代わりに幾枚かの号外を置く。本来、号外は代金を受け取るものではなく宣伝の為に配られるものだが、配達の子供達がチップ代わりに代金をせびるのは一般的な慣習となっていた。配達夫の親方たちもそのことを別に咎めたりすることもない。もっとも、配達の手間賃だけで彼らを納得させるには程遠いという事情もあるのだが。

「ごちそうさま!」

 もう男達は少年の言葉になど耳を貸すのも忙しいと号外に見入っている。娯楽の少ないこの街で、これほどまでに彼らを楽しませる事はそう多くはないのだろう。誰もが急の大事に沸き返り、心地よい高揚感を楽しんでいるようであった。

「何かあったのかい?」

 そんな中、一人でカウンターに座っていたハリマが肩越しに後ろを見やりながら言う。背後の騒ぎとは対称的にいかにも疲れ切った様子だ。くたびれきったコートは裾が雪と泥に汚れ、湿ったままにしていた部分が半ば凍ってくしゃくしゃになっている。店内のぬく気に当たれば、うす黴の匂いすら漂ってきそうだ。

「そんな事より仕事しろ仕事、いつまで油を売ってる気だ? もう夕方だぞ、野次馬売っても金にはならないだろうぜ」

 到底、客に対する言葉とも思えない一言、苦笑するほかに返しようもない。

「勘弁してくれよ……昨日だってあんたの回しで遅くまでこき使われてたんだぜ、明けくらい休んだっていいだろう?」

「はん、賞金首を捕まえたとか言って、結局前科がなくって賞金もついてねえ様なコソドロ掴まされて、ただ働きしてたじゃねえか。金をもらえないような仕事は仕事とは言わねえよ」

「せめて善意の一市民のボランティアと言ってくれないかなあ……こいつに免じて何か一杯くらい奢ってくれよ」

「何だそりゃ?」

 じろり、と一別した紙切れには、なにやら判で押したような文言と、番所の書式らしい内容が並んでいる。それと、少し大きめにハリマ達の名前も。

「昨日番所にスリ野郎を突き出したとき、詰めてたマニヒッチのクソ野郎様が賞金の代わりに書いて渡してくれたよ――感謝状、だとさ」

「そんなもんが金になるか。だいたいあのケチのところに行くってのに、根回しもなしで行ってもうまくはいかねえさ」

「食い詰めすぎて、俺も鈍ってたな……まあ、言ってみただけさ」

「飯代もねえって言うから、別の仕事も回してやったんじゃねえか」

 だがマスターは、彼の言葉に動じるでもなく、冷たく言い放った。何より、昨日のドブさらいは、食い詰めたハリマを見かねて回してやったようなものである。

「だいたいそういうセリフはだな、ツケを桐井サッパリと払ってから言うモンだぜ、ハリマ。馴染みだからって頭に乗るなよ? 今晩にも二階から追い出したって良いんだ。オレットの路地はさぞ冷たいだろうな……温かい風呂にも入りたいだろ? うちの柔らかい綿布団よりも、白くて綺麗な雪布団がお好みかい?」

「あれが綿布団なら装甲服や棺桶舟の椅子張りだって綿だ……っていうかまだ残ってんのかよ……」

 ハリマがやり場のない視線を宙にさまよわせた。埋め切れない間を繕うように言葉を絞り出す。港、と言えば聞こえは良いが、要は街と海の境目、外壁の切れ目に市街地のささやかな熱と大海の雪が交わり、ほんの少しばかりの水が池のように溜まっているだけの場所だ。自然、外海の冷気が最も激しく吹き込み港から中心に伸びるオレットの通りは吹きっ晒しで、家々や長屋の隙間から吹き出す湯気もあっという間に凍り付くほど、煮炊きの時間――ちょうど今時分こそ各家庭から出される熱で多少の暖かさと真っ白な霧や湯気で覆われているが、朝方になれば、月に2、3人は凍死者が出てしまうほどの冷え込みとなる過酷な街だ。

 マスターがここに店を開いたのも、単に土地の値段、翻って家賃が安かったことと、昔の付き合いで馴染みの退役軍人達や現役の海兵が多く立ち寄りやすいから、と言うものだった。今でこそ現役の軍人達が立ち寄ることは少なくなったが、相変わらず当時の雰囲気を残すのもここ、雪風亭のウリの一つである。

「もっと稼げる、せめて『デティクティヴ(探偵業)』 らしい仕事ってのはないものかね」

「便利屋が生言うな、なにが 『デティクティヴ』 だ、いいとこ 『何でも屋』 だろ」

「かわんねーよそれ、せめて 『解決屋』 とかもう少し聞こえのいい名前にしてくれよ」

「それこそ変わるまいよ、この景気の悪いのに、仕事の内容や呼び方をえり好みしてんじゃねえ」

「まあ……そいつは分かるんだがなあ」

「そもそもだ、ヒカリちゃんを仕事に連れて行くとかどういう了見だ? いくら冒険小説にかぶれてて力や魔法が多少使えようと、あの子はまだまだ子供だぞ」

「昨日は屋根の上で待機してるって約束してたんだよ、危ないことはさせるつもりじゃなかったんだ」

 ただ、トラップを起動させるだけ、というから仕事についてくることを許しはしたが、ハリマ自身失敗だったと思っている。次はもう少しキツく言い聞かせた方が良いかもしれない。

「いい大人がだな、それも親代わりになろうっていうのが言い訳してんなよ、景気が悪いと言ったって、まっとうな仕事も探せばあるんだぜ」

「俺がそれほどツブシがきくようなのじゃねえって知ってるだろう? ただでさえ戦帰りで煙たがられるってのに」

「まあ、それはお互い様だがな。この店もそんな連中ばかりだし、器用な奴から大きな街へいったみてえだな」

 首都がこの近くを通過した頃は街も今よりずっと賑わっていたが、今はもう軌道が大きく離れており、今のマルレラはすっかり辺境に落ちぶれている。自然、景気も落ち込み仕事も減り、国境をはさんでアラクシアと睨みあい、海軍や商船が大挙して押し寄せた頃とは大違いだ。大潮流に大きな変化がなければ、次に首都が再接近するのは、周期から言って10年近くも先の話である。

「もういっそ、アラクシアの街でもいいから近くに寄ってこないかね?」

「どっちでもいいさな、もう」

「まあ、俺達には今更関係のない話しだしな、コインの絵柄と顔が変わるだけのことだよ……で、あれは一体なんの騒ぎだ?」

「さあな。見てくるなり、聞いてくるなりすればいいだろう?」

「野次馬すんなってついさっき言わなかったか」

「よくよく考えりゃ、仕事も昨日ので打ち止めだ、ここんとこは入りが悪くてな」

 いかにも興味のなさそうな返事にハリマは話を続けかねた。かといって、後ろの騒ぎに混ざるのも面倒くさい。それでも、店内の喧噪はその空白を埋めて有り余る程に続いていて、黙って耳を傾けていれば無制限に、無責任かついいかげんな、想像と創造に彩られたおとぎ話が流れ込んでくる。

 しばし話に聞き入ろうとしたハリマの耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。


「ただいまー。ねぇハリマ、聞いた?」


 雪風亭の開き戸の鐘をカラコロと鳴らしながらヒカリが入ってきた。彼女の小柄な容姿では、先の新聞配達の少年同様お使いの様にしか見えない場違い感があった。

昨日と違い、頭は長い髪をお団子に結い上げ、こぼれた分を両脇にも少したらしている。肩から羽織った大きなコートと、分厚い布地を太いベルトで腰にきゅっと縛った姿が、ハリマのだらしない身なりとは対照的だ。昨日着ていた着物は今日は置いてきたようだが、どんなときでも常時、小綺麗にすることを信条としているのが窺える。

 唯一、おかしな点を上げるとすれば……相変わらずその小さな背丈よりも長い、大きな刀を斜めに背負っていることで、普通の長刀が彼女が背負うと、まるで馬斬り野太刀のようだった。――抜くことも出来ない大刀を背負って、あの子は何をしたいのだろう?――彼女とすれ違う者は、そういう感想を抱くに違いない。

 だが、店内の客達は彼女に目もくれないし、振り返りもしなかった。あるいは、号外の方に興味を奪われていたのかもしれない。彼女は彼らの脇をとんとんと歩いてカウンターまでまっすぐやってくると、握った号外を振りながらハリマの隣の椅子に登って腰を下ろす。床まで届かない足が、ぷらぷらとはしゃいで楽しそうだ。

「いや、いま起きたところだ。っていうか何の話だ? あとこんな早くからどこかに行ってたのか?」

「デートよ、誰かさんみたくヒマじゃないもの……女のことを詮索する男はゴミ屑のように捨てられて融雪水路に流して捨ててしまう価値すらないって習わなかった?」

「習ってねえよ」

 酷い言われ様だ。

「つうかさ、こんな時間までだらけてるなんていいご身分ね。今朝、私が出かけた時もだらしなく寝てたでしょ」

「ははは、まあそう言ってやるな。こいつはこいつなりに女にもてようと頑張ったけど、駄目だったんだから」

「まあそうだろうなーって思う」

「というかヒカリ、俺は彼氏の事なんか聞いてないぞ!?」

「安心しろ負傷の保護者、今朝、迎えに来たのは女の子だったよ」

 マスターが笑いながらコップに水を注ぎ、ヒカリとハリマに勧めた。

「そう? でもそれは大きな問題じゃないわね」

「どっちでもいーからおまえもドブ掠い、手伝えよな……」

「やあよ、汚れるもん」

「仕事ってのはそーいうもんだ」

「アタシはもっとエレガントな仕事がいいな、そっちのが似合うし、ディテクティヴっぽい!」

「エレガントな感謝状をマニヒッチ部長様からいただいたんだが、これでも飾って満足しとけよ」

「袖の下ばっか膨らませてるような、中年ロリコンエロオヤジの書いた落書きなんかいらないー」

 口の減らないやつだがまあ同感だ。それに、今はそんなことよりも気になる事がある。

「まずだな、ヒカリ、俺はお前を事務所の見習いにも社員にもした覚えはねえぞ」

「誰がハリマの弟子になったって言ったのよ、アタシはアタシで個人事業主なんだからね?」

 ハリマとヒカリは生計も収支も同一にしているはずなのだが、彼女はなぜかそのように自分の立場を称している。彼女なりの矜持、とやらがあるのかもしれない。歳が10に達した誕生日以降、頑ななまでに『お小遣い』を『お給料』と言って譲らなくなった。この強情さは、姉譲りかもしれず……正直、ハリマは常に分が悪い喧嘩を強いられ続けている。

「まあいいわもう……で、なんだってヒカリ」

 号外を彼女の手から抜き取りながらハリマが聞いた。そしてそのまま目を走らせて紙面の文字を追いかける。

「ところでハリマ、こっちのことなんだけど」

「うん」

 ヒカリが着物の袖から1冊のノートを取り出した。表紙には 『ハリマ探偵事務所業務日報』 と書かれている。

「聞いてるの?」

「うん」

 ヒカリが何度か問いかけるが、ハリマの方は号外記事を読みふけっており、生返事ばかりかえってくるのみだ。

「実は何にも聞いてないでしょ?」

「うん」

 ヒカリの右が唸りをあげる。彼女の体格から繰り出されたとは到底思えないその一撃がくぐもった音を立て、ハリマを椅子からたたき落とした。それがたまたま当たり所が良かったのか、起きあがるも面倒だったか、ハリマはだらしなく床にうずくまった。

「あのねー、この間街を出たばかりの大型交易船……こないだまで港に止まってて、野菜とかもってきてくれたでしょ? あれが行方不明になっちゃったんだって」

 ハリマが床に倒れ込んでしまったので、代わりにマスターを話し相手につかまえる。

「確か、『セトカ丸』だったかな……旧型駆逐艦の商船改造だが……事故か何かかい?」

 彼の顔にもかすかに興味が浮かび、そしてわずかに陰った。セトカ丸に身内が居たわけでも由縁もないが、港の中に構えている店だ、しばらく停泊していた間に船員達がこの店に飲み食いにに来たこともあっただろう。港に泊まれば新鮮な食い物と酒と女、それがいつの世も、どこの国でも変わらない船乗り達の何よりの楽しみだ。名前も覚えていないような行きずりの客だったろうが、自分の店に立ち寄った人間達が遭難したとなると、どうしても心中穏やかではいられない。――クソみたいに人死にを見てきても、慣れないもんだな――いや、慣れてしまう方がクソなのか?――


「それが分からないの。でも噂じゃその船には何か凄い秘密の積み荷があったとか……それがナマズに襲われちゃったらしいって……あ、太ペンか筆とインクある?」

「フェルトペンでいいなら」

「ん、それでいいよ……ありがと」

 受け取ったペンのキャップを外し、ノートの表紙に書かれた「ハリマ」の文字の上に「ヒカリ」と大きく書き加える。二重線にして、ハリマの字よりも大きく目立たせることも忘れない。

「昨日と今日のことも書いとかないとねー、これが何か大きな仕事に繋がるかもだし!」

 いつの間にそんなに事情通になっていたのか、と笑いながらマスターも身を乗り出してくる。

「ほう、ここらで春先にナマズが出るとは珍しいな……アナモタズかな? だとしたら面倒だが」

「そこまでは分かんないんだけどね、んで、海軍……やっぱずーっと港の基地にたむろってた連中いたでしょ? あれと、たまたまここの近くに立ち寄った本国の艦隊が総出でナマズ狩りに出たらしいのよ、それも、あの有名ななんとかって艦隊」

「何番艦隊だ? それは書いてないのかい?」

「んー、ちょっと待ってー……っしょっと」

 いったん椅子からおりて、ハリマが握ったままの号外を拾いあげた。小柄な彼女にとって、そのままかがんで手を伸ばすには、カウンターの椅子は少々高すぎるようだ。

「えっと……確か、なんだっけ……載ってないなあ」

 ざっと斜めに流して見たが、急ぎ仕上げられた号外のせいか今ひとつ情報が不足しているようだ。

「旗艦名でもいいんだが、聞いてないかい?」

「あ、それこないだ名前どっかで聞いたな……確か……そうそう 『ファルシオン』 だった! 知ってる? あの大戦屈指の名艦! アラクシアの大艦隊とたった一隻で渡り合ったっていう……」

 倒れたままうめくハリマの眉が、微かに動く。

「ああ、もちろんだとも……俺達の齡ならな、誰でも知ってる名前さ 『殊勲のラッキーセブン』 様の本名だもの」

 マスターが抑え気味に答えた。彼の言葉には明らかに戸惑いが感じられる。それをヒカリは、彼らの古傷に触れた自分の失言と感じた。

「あ……ごめん」

 しょげかえるヒカリにマスターが笑いかける。

「いや、そうじゃないよ、俺はあの戦争に行ったことを悔いちゃいない、むしろ勲章さ、俺達がいたからこの街は沈まずに残っているんだ……そもそも俺がそんなタマに見えるのか?」

「ううん、全然! おなか減っちゃった、何か食べさせて」

「食べるだけかい?」

「もちろん、違うわよ、燃料もお願い」

 既に彼女のグラスにはなみなみとウォッカが注がれている。そこに氷の代わりに、固められた白い雪玉が一つ浮かんだ。埃の少ない場所の新雪は、固めれば氷に、溶かして漉せば飲料水にもなる、この街では唯一と言っていい無尽蔵の資源だ。

「昼間っから……誰が払うと思ってるんだ」

 ようやく立ち直って椅子に座り直したハリマが不満を述べるが、ヒカリの方はどこ吹く風、とウォッカを舐め舐め、上機嫌で岩塩を囓っている。

「あー、今の気分はストレートかホットでも良かったかな?」

「いっぱしに酒飲み気取るなよヒカリ、いいか? 俺が酒を覚えたのはな……つかだからな、いや2杯目っておい、誰が払うと」

「だからそういうのは……その都度きちんと現金で払う奴のセリフだと何度。てーかいくらツケがたまってると思う」

 ヒカリの2発目より早いマスターのツッコミ、ヒカリの放った2発目のツッコミ(物理)は背を逸らしたハリマに躱される。

「ちっ……まあいいや、で? いくらなの」

 まるで他人事のようにヒカリが言う。疑問というよりは感想に近いイントネーションだ。マスターの方も、とくに感情を挟むでもなく淡々と帳面をめくり、ソロバンを弾く。

「……4672百とんで8シェル。まだ今日の飯代は入ってない」

「大変ねぇ……あ、アタシ今日はランチでいい、酒もう一杯入れるからゴハン中盛りー」

「そうだなぁ……ランチ中いっちょ」

 どうやら、彼女にとってはあくまで他人事らしい。マスターが帳面に書き込んでいる金額の半分近くはヒカリのツケで、さらにその半分は彼女が嗜むアルコールのはずなのだが。

「今時ソロバンたあアナクロだな」

「それを言うならアナログ、だろ」

「どっちでも良いだろ、似たようなもんだ……俺達から巻き上げた金で、さっさと水晶に切り替えたらどうだい?」

「水晶端末か、あれを使うのはどうもな、性に合わん」

「まあ、そこは同意だ。ところでマスター」

「なんだ」

 フライパンを揺らしながらマスターが答える。

「俺にも飯な」

「ランチか?」

「餃子は嫌いなんだ、単品でユキアミのみそ汁、メザシの豆ソース、それと千切りキャベツに大根おろしとライス大盛り」

「昼にめんどくせーなおい、あとアミも干しアミしかねえが贅沢言うなよ?」

「かまぁねえよ、食えりゃあそれでいい。つーか生アミってトイレ臭くね?」

「生の方は味が良いんだが、硫黄分が残ってるからな。泥を吐かせたような生アミを食えるのは、ここじゃやんごとなき御領主男爵家様か、神様くらいだろうよ……まあ野菜があるだけ贅沢だぜ」

「? 神様って何? 会ったことあるの2人とも」

 しばらく号外に夢中だったヒカリが2人の会話に割り込んだ。

「ん、ああ……神様ってのはな、俺らっていうかまあ下っ端の兵隊から見た上級士官様のこった、雲の上のお歴々なんで、そう呼んでたんだよ……っと」

 フライパンの中身を皿に移す。

「ふーん、そうなんだ」

「まあ、ヒカリちゃんには馴染みがないわな……どっちの神様も。しかし相変わらずつまらん男だなハリマ、お前みたいなのは、結婚しても女房に絶対逃げられるぜ、この店を賭けたっていい」 

「なんだよ唐突に、ランチの方がありきたりじゃねえか、だいたい昼も夕もランチっておかしくねえか?」

「週に3日は同じもん食ってるだろ、それに角の喫茶店だってモーニングを夕方までやってる。あれよりはおかしくねえよ」

「いいだろ、好きなんだよ、目刺しとキャベツと大根おろし」

「大根は自分でおろせ、手が離せねえ」

 おろし金と輪切りにした大根が一緒になってカウンターに置かれる。

「客も働かせるかよ、ろくな店じゃねえな」

「そんな店でしか食えねえ自分の懐を叩けよ、おまえにウチ以外にツケがきく店があるならそっち行きな」

「ねーな、しかし久々に聞いたわ、『神様』 なんて」

「ああ、そういやあそうだな。おまえはいっつもぶっ飛ばされてたよな……炊爨が下手くそで」

 彼が注文したメニューにの野菜は、どちらも保存が利く分比較的入手しやすいものだが、あくまで野菜の中で安価であるに過ぎない。この世界では、光量と露出している土壌の両方が少ないため、そもそも野菜にあたるもの全ての生産量が絶対的に不足している。硫化ガスの嵐も、雪の流れもない、まともな土地の価値は純金に勝るとも劣らない、とさえ言われていた。

「けっ……んなの覚えてねえよ……だからあの当番は嫌いだったんだ」 

「知ってるさ」

 ユキアミと小魚を焙る香ばしい匂いが、厨房から漂い始めた。――まあ、何をするにしても腹に物を入れてからだ―― 誰にいうでもなくそうつぶやき、ヒカリが読みふけっている号外の裏に目をやる。

「何よ、アタシが見てからだかんね? あと切り抜きにしてノートに貼るんだから汚さないでよ?」

「わーってるよ」

 雪風亭の壁に貼られた号外の周りはいよいよ騒がしく、夜も賑やかなことになりそうだった。


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