第十五話 「飛んで火に入るオタマジャクシ」
●飛んで火に入る冬のタマ
今、ヒカリ達は、先の大戦中期に活躍した、旧型の潜行駆逐艦の商船改造したセトカ丸。それをさらに改造し戻して、兵装を艤装し直して通常戦力と非正規戦力を保有し、その上で改めて外側に改造商船風の艤装を行ったという――なんとも頭のこんがらがりそうにややこしい艦艇――
それも、船籍はガル・タイト側で有りながら、その実アラクシアに内通している人員のみで運用されていたという、甚だ不可思議奇々怪々な船の船倉において、これまた不可思議なことに、全員が捕縛され、惨めな姿で船倉の壁にロープと手錠で繋がれていた。
「君らは 『飛んで火に入る夏の虫……』 という言葉を知っているかね?」
笑いを堪えきれない、という様子で彼らを前に笑っていたのは――驚くなかれ、ガル・タイト国境円周都市マルレラ基地司令にして爵位を持つロスワルド・グ・ーセレンゲティ大佐である。いくつかの勲章を並べた軍服の上に羽織った、カシミアとパシュミナのみで編まれた柔らかく分厚いコート。モノクルの眼鏡と白く伸びた髭。いかにも貴族軍人らしい恰好である。
「さあな」
「夏って何よ」
「しらんのう」
「今検索しました」
「あ、タマちゃんそれはズルい」
「え、ええと……分かりません」
「……ぼ、ぼくも知りません」
「ん? なんか一人多かったような気がしたが……まあいい。その言葉の意味はな……自ら進んで、罠に飛び込んで自滅する、愚かな虫を笑った諺なのだそうだよ……なんとも愚かしく、野蛮な考えだとは思わんかね」
「そんな昔のことは知らねえよ」
「知識と想像は、人類に許された最大の娯楽だよ? 存分に楽しむのが愉快な人生を歩むコツだ……続きがあるならば、だがね……。
しかし、ははは……まさか、と救難信号をキャッチしてみたら……とんだ獲物がかかったものだ」
愉快さに笑いを堪えきれないロスワルド。それもまあ道理で、ヒカリ達はとんでもなくくだらない理由が原因で――そのさらに中身の理由を教えれば、ロスワルドを笑い殺すとさえ可能だったかもしれないのだ。
あの後、舵を失ったままの三太郎ことオタマジャクシは、街の地下を流れる巨大排水溝の滝壺に叩き付けられ、その流れに揉まれるままに、街の外へと、まるで排泄物のように勢いよく押し出されたのだ。その流れの中で揉まれるうちに、ただでさえガタガタだった船体はますます酷く痛み、もはや自力航行すら困難な状態にまでなっていたのだ。
「……どういうつもりか知らないが、よくもまあ駆逐艦を二隻も引き込めたもんだと思ったら、街の司令官直々のご内通だったとはね、恐れ入りやの鬼子母神だ」
後ろ手に縛られながらもハリマが言い放つ。興奮のせいで、手錠がガシャガシャと鳴り響いた。
「確かに苦労はしたが、それだけではないさ。実際 駆逐艦 『ツルギ』 は乗組員の多くが元々アラクシア寄りの、民族的に見てもあちら寄りだったこともあってそう難しい話ではなかったよ。むしろ、こちらのセトカ丸の艤装――駄洒落ではないぞ? その方が苦労したと言っても良いくらいだな」
「なるほどな、道理でワシが問答無用で消されかけたのは、おかしいと思ったんじゃ」
――それはあまり疑問に思わなかった―― と、ヒカリ以下一同が思ったが、この有様でそれを言うのも間抜けなので各自各々胸にしまい置くこととした。
「品のない人間がおったものじゃのう……呆れるわ」
「私も、まさか君らのような下層民が……仕事を請けていたなどとは思わなくてね、おかげで随分と予定が狂ってしまったよ。本来なら、こんな事をしなくても、すんなりと究極の兵器を、双方の軍に売り渡すことが出来たんだからね」
「狂ってやがる」
「は、そうだとも――こんな狂った世界で、その隅っこで、毎日毎日代わり映えもしないコンクリートの中で、資料整理とハンコを押すだけの仕事で自分を腐らせていくことが分かるのは、むしろ狂った人間だよ。そこて狂ったと言われるのは、光栄というか、あえて言うならば、君たちの方が異常なのではないかね?」
「アホでしょ、あんた」
「ああ、俺もヒカリに同意だぜ」
じろり、とハリマとヒカリを見下ろすロズワルド。
「なんとでも言うが良いさ、負け惜しみを好きなだけね……と、時に君らの名前には見覚えがあるのだが……カロストリオ姓は、あのカロストリオ博士のご一門かね? 爵位こそお持ちではなかったが、博士の業績と論文には、私も心打たれたものだよ」
「だから、狂っていると言ってやったんだ……姉貴は……くそっ」
「ふふ、もし気が向いたら……博士に免じて、私の元で働くことも許そうじゃないか。期限は船がアラクシアの首都に着くまで、一週間はある。ゆっくりと考えて、君らで相談すると良い」
「気なんか変わらねえよ」
「さて、それもどうかな? 現に君の姉上殿は、色々と変節もされたことだしな。弟の君だけが例外と言うこともあるまい?」
なぶるようなロズワルドの言葉に、歯を食いしばって耐えるハリマ。ヒカリも、母をこれだけ悪し様になじられ、同時に意図しない形で持ち上げられるむずかゆさにいたたまれない。
「ではセントーレ中尉、後は任せた」
「は、了解いたしました」
そう言って場を引き継ぎ、部下を連れて入ってきたのは――マニヒッチの同僚だったはずの銃手持ちのセントーレだった。実は、救難信号を発したハリマ達がこの間に収容された直後に、あっさりと全員が捕まってしまったのは、彼らにころっとだまされてしまったのも大きい。
仮に、どこかで遭難したとして、自国の領海で、自国の軍艦に収容され、自国の軍警隊が出迎えてくれた時に、感謝以外の感情を持とうというのは、無理というものだ。
「あんた、馬鹿だけど良い人だとばかり思ってた……評判、悪くなかったし」
夜の街で、マニヒッチと一緒に出くわしたときにたまたまタイミング良く救われたり、見逃してもらうことになる形があったのもあり、ヒカリにとってはさほど悪い印象がなかった。
「それはスパイには過ぎた褒め言葉というもんだよ、だいいち、昨日――もう日付が変わったからそう言えるだろうが、の三文芝居は、見ているこちらの方でも、君やマニヒッチに合わせてやるために、笑いを堪えるのに随分と苦労したんだよ……いや、あれは本当に危なかった」
愉快そうに笑われ、がっくりと落ち込んでしまう。
「ま、そう落ち込むこともあるまい。我々とてあの後は、片付けに随分と苦労したのだよ……本来なら、ここに共に帰ってくる同志達も、半分はあの化け物の手にかかってしまったし、せっかく準備していた貴重な鹵獲機やアグレッサーまで投入して、全て失ってしまった――これだけでも、本来ならば降格ものの大失態だよ」
「クソみてえな穴を見落としてたぜ、今時二十一式を使ってる部隊なんざ、変だと思ったんだ」
「なるほど、次の参考にしよう」
「次は五十二型を揃えてこいよ」
ハリマがからかうが、その皮肉が効いた様子はほとんど窺えない。
「言いたい事はそれだけかね? 実は項見えて私もそれなりに不愉快なんだが……正直、身の処しようを選べる君たちが羨ましくて仕方ないよ。我々には、多くの場合それがなく……また同志もその中で、斃れていったのだから。
それゆえ、私は願うよ。いつか君らも、我々のことを理解してくれる日が来るように、とね。早ければ、この一週間の船旅でもいい。
君らが素直に我々に従うもよし、逆らってナマズのエサになりたいというならそれもよし、とまだ選択できるだけの銃が残っているのだからね……」
「ご立派な選択肢だぜ、なんだったら、その羨ましがる立場と代わってやろうか?」
「残念ながら規則でソレハできない、選ぶのは私ではないからね。さて、細かいことになるが――規則を説明しておこう。君らは仮の捕虜待遇扱いとなる。食事は1日一度、トイレは一人ずつ順番に、収容室が回想でただの貨物室に変わっていてね、そこがあくまで2日ほどこのまま、死なない程度にグッタリとしていてくれたまえ」
「憲兵や銃手持ちに駆逐艦の乗員に……どんだけキチガイじみた非正規戦力を投入してるんだよ」
「つまり、それだけの価値がある、ということだ。その点については、むしろ君の方が詳しいのだろう? ……カロストリオ氏?」
セントーレが言うように、ひょっとしたら……そうかもしれない。
「お疲れか」
「……けっ」
「言うてやれ、ハリマ」
玄海がけしかけるが、もはやその気力もないようだ。
「ハリマ……」
「ま、食事の時間までゆっくり転がるなり、降伏の算段をするなり、好きなようにしていれば良いさ。少しでも変な動きをしたら……まあ、分かるよな?」
と、手にした小銃のグリップをぽんぽと叩く。ヒカリはそう詳しくもないのだが、軍役を過ごしたハリマと玄海は、それだけで戦意を半分喪失している。
拳銃などとは訳が違う。その、時に子供ですら持ち運び、引き金を引くことが簡単な小銃の一斉射で、全員揃ってあの世逝きだ。
「その方が、我々も楽が出来るからね」
あと、二話で完結します