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第十四話 「オタマジャクシと関西弁」

●穴の中からお助けボウズ


 鈍い、大きな音がした。覚悟に身を強張らせたヒカリには、それが自分の最期のように思えた。

「……あえ?」


「あー……これは効いたじゃろのう……ヒカリ、無事か?」

 以外と落ち着いた玄海の声。ほんの一瞬前、彼女を見事打ち倒すかに見えたマニヒッチは、玄海を挟んで向こうに、ひっくりかえっている。顔が赤く見えるが……。

「ところで……どこから涌いたの? 玄海」

「失敬な……人をボウフラみたいに。拙僧、婦女子の危機とあらば、世界の裏とて一っ飛び……ま、冗談はさておき、涌いたとすれば、ここから、かのう」

 今、気が付いたのだが、玄海の目線が、しゃがみこんだヒカリの目線と同じ高さよりやや低い位置にある。その代わりというか、彼のはげ頭の上にはマンホールの蓋が乗っていた。下半身は、マンホールの中だ。

 しかし、マニヒッチがこの金属製の蓋に、自ら突っ込んだとすれば、このカウンターは、かなり効いたに違いない。


「痛そうでした」

 ティニーが素直な感想を述べる。確かに痛そうだ。アスコットは、姉のスカートにしがみついて脅えている。無理もない。

「まぁなんだ、あまり長居もできぬ、三太郎も下で待っておるしの」

「そうね、じゃアスコットちゃんをお願い」

「ん」

 玄海がアスコットを抱いて、片手で器用にはしごを降りていく。

「ていうか……あんなのと殴り合ってよく生きてたよね、あんた」

「わしも三度は死んだと思うた」

「それでも死なないのが凄いわ……ティニー、先に降りて」

 万が一という事もある。なにかがあれば、自分がくい止めるしかない。さっきのような油断が、そう何度も許される訳はない。

 だが、ティニーは何か言いたげにヒカリを見ている。「ああ、スカートだっけ? 大丈夫よ、暗いから中は見えないって」

「いえ、その」

 ティニーが気にしているのはマニヒッチのようだ。確かに、いつ起きるかも分からない相手だ。

「ああ、大丈夫、私がちゃんとやっとくから」


 そう言って側のマンホールの蓋に手を伸ばす。もう一回軽く殴れば、しばらく目を覚まさないだろう……到底尊敬できるような相手ではないが、何も殺すことはないし。

「あの、もし良ければ使って下さい」

 彼女から渡されたものに、ヒカリは一瞬戸惑った。ティニーがヒカリに手渡したのは、小さな伴創テープだったからだ。


「あはは……ま、いっか」

 自分の服の裾で、マニヒッチの顔の血を拭う。傷は広くて、テープはあまりに小さかった。ティニーがしてくれたように、自分の服を裂いて、包帯を作ることには思い当たったが、実用的なヒカリのそれは丈夫で、容易には破れそうにない。

「えーと」

 何か腹立たしいが、仕方がないので、先刻ティニーが、自分の為に結んでくれたそれを外して、マニヒッチの額に巻いてやった。

「早うせい!」

 玄海の声がヒカリをせかす。しかし、慌てると余計にうまく結べない。その時、ヒカリは自分が笑っていることに気づいた。明らかに場違い、そんな場合じゃないはずなのに、不思議と笑いが込み上げる。玄海の声はマンホールで反響して確かに滑稽だったが、この感情の原因はそれとは違う気がした。

「今行くー」

 仕事を終え、蓋を引きずりながら穴に潜る。ほんのすぐ下で、ティニーがはしごを相手に苦闘していた。「大丈夫?」

「あっ、はい、あの、ヒカリさん、テープ、足りました?」

「十分。傷もたいしたことないしね」

 事実、そうだった、傷は広かったが、極めて浅く、放っておいても問題はなかったろう。結局、包帯はうまく結べなくて、貰った伴創テープで止めてきた。無駄なものは何もない。

「ねえティニー」

 ふと、いいことを思い付いた。きっと、楽しい予定。「はい……何でしょう?」

「今度、二人で買い物に行かない?」

「いいですけど……何を買われるんですか? ヒカリさん」

「決めてないけど」

 嘘だった。本当はもう、何を買うのか決めていた。ただ、ほんの少し……。


=====================================================================


●夜の底をゆく


「……で……なんなのこれは? 何がどうなって、アタシのタマちゃんがぐれちゃったわけ?」

 先と打って変わって渋面のヒカリ、心の底からご不満といった感じだ。

「う、うむう……修理の際に、色々と順序がまずかったのやら……としか?」

 答える玄海の方も、サングラス越しにさえ困惑が見えるほどの狼狽ぶりで、先日ティニーを見付けてしまったときと同じくらいには、動揺しているようである。


 黒く、鈍く光る汚泥水。その流れを二つに割って、ゆっくりと巨大なオタマジャクシがさかのぼっていく。全長24メートル、総重量ノーコメントの巨躯をよじりながら進む姿は、お世辞にも優美とは言いかねる様だった。

 地方都市マルレラ。雪の大海をたゆたう街のその地下には、いつ、誰の手によって造られたとも知れぬ巨大な廃水設備が張り巡らされ、外壁との間に、居住可能区の数倍の容積を誇る立体迷宮を形成している。外縁部に近づくに従い、外側の低温域の影響が強くなり、汚水がシャーベット状になって流れながら、内側からも外板を腐蝕している。

 その迷宮をゆく外洋潜航艇三太郎。払い下げの軍事用の小型戦闘艇をベースにした彼も、今は闇市で仕入れた得体の知れないジャンクとブリキの板に覆われていて……その姿は、どう贔屓目にみても、それがかつて、戦場を駆け抜けたと思えぬほどに鈍重かつアンティーク、ありていに言ってしまうなら、動く粗大ゴミ、オンボロ、ポンコツそのものである。先日の至近弾に次ぐ港への乗り上げ、雪風亭への衝突……と、直しきれない故障箇所と穴を、突貫工事で埋めた姿がこの有様だ。

 その逃走道中、水路の脇道で待っていたハリマもピックアップされていたので、一応便利屋としてのチームは全員揃ったことになる。マスターは彼らの上役というか元請けに当たるため、チームのサポートや助言はしてくれるものの、チームという関係であったことはあまりない。

 その下水を泳ぐ粗大ゴミの船内でヒカリ達一行は、疲れと傷に膿み、黙ったまま、正体不明のぬめりに覆われた下水管の壁面をみつめていた。


 約一名? を除いて。


「だあああああぁぁぁっっっ! もーあかんっ、臭い臭いっ汚いっ」


 しばらく、喚き続けているのだが、だれ一人として返事を返そうとはしない。ヒカリのように呆れ嘆いている者もいれば、聞き慣れない言葉遣いに戸惑うティニーもいる。


「聞いとんのかぁっ! わりゃあ!」

「静かにしてよ、タマちゃん、っていうかさっきからなんで変な言葉遣いなの……?」

 初めて、ヒカリが答えた。彼女にしても、ただ好きで黙っていた訳ではなかった。ただ、何を話すべきか、言葉を探しあぐねていたに過ぎない。そして、明らかにおかしな言葉を話すタマに戸惑ってもいた。先まで標準語を話していたはずの三太郎の言語中枢に乱れが発したらしく、おかしな訛りに染まっていて、さっきから異常に文句も多い。

「修理の時にいじりすぎたかなあ……確かに色々無理はしたんだ、純正の部品で直したトコなんか一つもなかろうというレベルであるしのう……あと、さっきコイツ、無理してテンション上げとったからなあ……」

 自分で上げた調整を、戻せなくなっていると言うことだろうか。

「だから臭いっちゅーねんなんやこのドブ! わしゃ海ん船で、ドブさらいのゴミ船ちゃうねんぞ!」

「うるさいぞ、三太郎。ヒカリの言うとおりじゃ、黙って言うとおりにせい……大体おまえ、臭いとか汚いとか何故分かる?」

「この繊細な肌が……汚れるやないか。つかこんなPH値の低い水に漬かってたらあちこち痛むっちゅーねん」

「……あとで洗ってやるから」

 疲れきったように言う玄海。とはいえ手詰まりなのは間違いない。身勝手な真空管の希望はさておいても、いずれこの下水管から抜け出さなくてはならない。特に今、流れは急な区域に入り、人の手では操舵も追い着かないような状況となり、三太郎の必死のコントロールで、かろうじておかしな方や激流へと飲み込まれるのを回避し続けている。


「しかし……これからどうしたもんかな、これは」 

 ハリマも、予定があまりに変わってしまったために、皆目策が思い浮かばない。

「どうするぞ? 三太郎」

「ハイオク飲ませてもろたら、名案が浮かびそな気ぃする」

「うかべんでよいわ」

「このまま不法投棄しとくか、玄海。ここならちょうどいい……あいつらを撒くネタにもなるかもしれないぞ」

「うるさい男は嫌いだから、賛成。このタマちゃんなんか可愛くないー!」


「ああ……こいつらドケチや……イヤ、鬼や。里のオカン、三太郎はろくでなしの飼い主に虐待されてます」

 通路のカーブで曲がった拍子に跳ねあがった汚水が、窓を半分塗りつぶした。

「オカンいんのかよ」

「んん、まぁ……あれ? どないなんや……どうなんでしょ……気がついたら、いたというか……おったゆうか……」

 当たり前すぎて考えたこともなかった疑問、自らランダムに発した放言と疑問に悩む三太郎だった。

「出荷とか工場が母親、っていうんならそうじゃろうの。ワシがコイツを拾うたのはジャンク屋の軒下じゃったが、真空管に掘られたナンバー以外に手がかりもなかったし、まああれじゃ、いかんせん古すぎてようわからん」

 こちらも投げやりというか、行き当たりばったりの玄海が三太郎の由来について語る。元々ナビのついていなかった旧型の潜水艇に、ナビを入れる端末水晶を買うほどの予算がなかった玄海が、ジャンクパーツを適当に嵌めたらナビが起動した。といういい加減極まりない出自だった。

通常はもう少し、調整やインストールといった、様々な手順を必要とするのだか……案外、アナログな部品の方が融通が効くものなのかもしれない。

 だとすると……。

「こういう時って、あれだよね」


 ぺしっ! 


右斜め四十五度に、ヒカリのチョップが軽く入る。真空管の付け根を狙うように、鋭く。


「……」

「……ひ、ヒカリ……さすかに割られては困るんじゃが……」

 ひきつったような玄海、珍しく本気で動揺したと見えて、傾けた酒瓶の口から液体がとくとくと零れるに任せている。

「……び……びっくり……しました……」


「あ、やっぱこれでいいんだ……っていうかこれ、外れてない?」

 元に戻ったらしい三太郎だが、こちらも少し驚いたらしくおどおどとした様子だ。

そんな彼の根元――真空管の底を、ヒカリがきゅっ、きゅっと回してそのまま抜いてしまった。

「あ、ちょっとヒカリ、何を」

「いや、ほら外れそうって言うか、斜めに入ってたのが良くなかったんじゃないかな? って、電球やコンセントでもよくあるでしょ、真っ直ぐ入ってなくて接触悪いときとか」

「まあ、そうじゃの」

「なるほどですね……そうすれば直るんですか。流石ヒカリさん、機械も得意なんですね」

「まあね、こう見えて器用なんだよ、アタシ」 

 得意満面、取り外した三太郎の真空管に頬ずりをしてみせるヒカリ。

「や、ちょっと……その」

「何ーひょっとして照れてたりする? 案外可愛いとこあるじゃん」 

 調子の悪かった三太郎の言葉遣いが戻ってきたことにも、ヒカリは元より一同ホッと一安心だ。


「それはそうと、なあ……で、今誰が操船してるんだ?」


 「「「「 あっ 」」」」」


そしてそのまま―― ――彼らの乗った艇は宙を舞いながら、褐色の滝壺の底のさらに闇の中へと飲み込まれていった――

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