第十一話 「オタマジャクシと2人目のティニー」
●夜を砕く者
「あれ」
自分の体が激しく揺すぶられている。ティニーの泣きそうな顔が見えた。その顔が朱に染まっている。自分の声は寝ぼけたように落ち着いていた。
「大丈夫、どうかした?」
ティニーがヒカリに抱きついて泣きじゃくる。何かを叫んでいるようだが、声という声、音という音が全く聞こえない。
「ねぇティニー、あなたケガしてるの」
「……っ! ……さん…… ヒカ……」
巨大な鐘を打ち鳴らした残響のような耳鳴りの合間に、切れ切れに彼女の声。ヒカリにもようやく状況が飲み込めてきた。
「あたた、大丈夫じゃないのは私の方だったか」
いまだ夢うつつの自分の声が、どこから聞こえるのかすらはっきりとしない。それでも、ようやく倒れているのが自分であることに気が付く。そのことに気づけば事態を把握するのは一瞬。即座に身を起こし、ティニーを引き寄せて抱きしめる。まだ耳鳴りは続いていたが、感覚が全て狂うほどでもない。ティニーの顔が朱に染まって見えたことは、自らの目に入った血と燃え上がる炎のためと悟った、額かどこかを切ったのだろう。
「大丈夫、安心して。傷はたいしたことないから」
ティニーがスカートの裾を引き裂き、包帯を作っているのを押しとどめる。
「いいから行って! アスコットちゃんを……!」
叫ぶヒカリの背後をティニーが指さす。その表情は恐怖にこわばっていた。
「装甲艇!?」
シートに映された夜空を切り取って大きな影が近づいてきていた。三太郎もその名に似合わずそれなりに大きな図体をしているが、この艇は彼よりも皿に一回りは大きい。ごう、燃え盛る炎に照らされとその瞬間、小型装甲艇の船首に装備されている砲身がこちらを向いているのを悟る。
「どいて!」
ティニーの身を押しのけ、印を結ぶ。そのまま指を踊らせ、虚空に光陣を描く。
「ヒカリさん!」
「気が散る!」
乾いた破裂音と共に陣の外周円がかき消え、反動にヒカリの右腕が殴り飛ばされた。
「空を統べるはかの誇り、集う八陣オクタ……」
右手の薬指が皮一枚で垂れ下がる。流れる鮮血が光に絡みながら、欠けた円を繕っていく。
ティニーは言葉をなくし、その身をすくめることしかできなかった。
影の先で、何かが光った。噴進砲弾が白く明るい炎を吹き撒きながら、こちらへ向けて一気に進んでくる。
「駄目、間に合わない!」
絶叫に一瞬遅れ、隣家が大音響と共に膨れあがり、弾け、炎に包まれた。
「くそ……」
呻きながら倒れ込む。無理矢理に、かろうじて逸らせたのが初弾だけ。二射目を防ぐ術はもうない。
「嘘……」
ティニーが呆然と座り込んでいる。
「行って! 早く!」
「でも……」
グーで殴りつけた。それでも彼女は動こうとしない。もう一度殴った、ズタズタに砕け、芯のある腸詰めみたいになってしまった右手ではなく左手で。その左手も動いてはいたが、手応えは全くない。
「お願い!」
ティニーが泣きながら中へ駆け込んでいく。それを見届け、ヒカリは覚悟を決めるか、逃げをうつかの二択に向き合った。どちらにせよ、分の悪い賭けだ。ベットのまさにその瞬間、背後からタンタンタン、と軽い機銃の音がして曳光弾が装甲艇へ吸い込まれていき、外板が火花を散らしながら宙に舞う。突然の相手に驚いた装甲艇が明後日の方向に二射目を放ち、やはり機銃で応戦しながら逃げ去っていく。戦い慣れをしていないのか、応射の可能性をまったく想定していなかったのか、あるいは、その両方だったのかもしれない。
そして、脱力して倒れ込んだヒカリの頭上に煤で真っ黒に汚れ、闇に隠れたオタマジャクシの巨体が現れた。
「玄海、ちょっと遅い……」
「ブレーキ系の泡抜きに手間取ってな。これでも、急いだ方なんじゃ」
オタマの下腹の窓から、玄海のダミ声と縄ばしごが下りてきた。
「色気のないガキ相手じゃやる気も起き……暴れるなこら、指が変にくっつくぞ?」
玄海の口に蹴りをくれてやろうと思ったが、軽く流されてしまった。一旦危機を逃れてみると、体中、手と言わず足と言わず痛みに悲鳴を上げている。心臓が脈打つごとに鈍い痛みが広がる。出血を伴っている箇所は、じくん、じくんと脈打って響く。背に腹は代えられない。渋々と玄海の治癒術に身を任せる。
「痛むか」
「かなり」
「それは重畳、痛みのない傷は、一番タチが悪いからの」
「わかってるわよ」
「ガキと娘ごは?」
「ティニーに……でも早く行かなきゃ」
「ああ、急がんとまずいな……いや、しくじったか?」
やおら立ち上がった玄海が舌打ちする。
「何、どういうこと?」
「付けられたか? 否、ここが最初から目当てだったか?」
「最初から説明して!」
玄海が周囲を目で示す。炎と家々の崩れゆく音にまぎれ、いつの間にか三隻の装甲艇がヒカリ達を取り囲んでいた、通りには完全武装の機械化装甲歩兵が十体ほど、その後ろにはやはり数十人の兵士が続いている。見えていない場所か、逆の方に同程度の部隊が置かれているかもしれない――となると、この包囲を突き破るのは、難しいかもしれなかった。
「ご苦労、坊主」
一番近く、20メートルほどの至近距離、エンジンを止めた巡視艇の甲板から身を乗り出した士官が拡声器で話しかけてきた。
「仰々しい……コソドロ一人になんの騒ぎか」
「何よコレは! 玄海!」
答えの代わりに、懐から取り出した新聞を投げてよこす玄海。丸められ、クシャっとなったその紙面に、少女の写真があった。
「え、コレ」
「さっき店で落としたもんをな、ここに回してくる途中で三太郎に軽く刷りださせてきたモノよ……アレは、密輸組織の女首領になったそうだ。また面倒なことにかかわりよってな」
「そんなっ! ティニーがなんで……っていうか全部あんたのせいでしょ!」
「落ち着け、その日付をよく見ろ…… 『明後日』 発行分だ、つまりは、『彼女が密輸組織の女首領にしたてあげられるのは多分今』 じゃな 」
相変わらずも他人事の様な玄海である。
「……どういう意味……それ……?」
「詳しいことはワシも知らん。ただハリマからおまえを急いで連れ戻してくれと言われただけでな、さて……どうやってここを抜けるか?」
「相談はすんだかね? 誰が誰かは分からんが……皆大人しくしてくれると、我々としては有り難いよ」
士官が右手を上げ、ハッチの中へと消えていった。船首砲が動き、俯角でヒカリ達を見据えて止まった。他の二隻の砲門も同様にこちらを狙っているのだろう。
「うりゃっ!」
手元で砕けていた煉瓦か何かのかけらを投げつけたが、半ばほどもいかぬうちに失速して通りに落ちていった。治癒術で、まだ治りきっていなかった右腕が軋み、はじめて痛みらしい痛みを覚えた。いよいよ手が無くなったと二人が観念し、とにかく闇雲にでも逃げだそうと思ったその時、俯角をとっていた砲身が上を向いてあがっていき、慌てたように砲火を吐きだした。
その不可解な動きを見せる砲の根本に、メイド服を着た小さな人影が見えた。
濃紫のワンピースに、白のエプロンドレス――どこからどう見てもメイド服のその姿が、まるで鉄棒ででも遊ぶかのように片手で砲身を持ち上げている。そのまま頭のあたりでとめると、今度はまるで飴細工でも曲げるかのように折り曲げ、U字型にしてみせた。唖然とする二人とその少女をよそに、再び砲が唸り……砲身が弾け、竹のように裂けた。そのそばにいた少女はその顔に傷一つ負わず、不服そうな表情を見せる。
ドレスの生地の端っこと、エプロンにわずかな煤汚れだけが残っていた。
「うーん、うまくいかないもんやねぇ……。てっきり弾もUターンしよる思うたんやけど……まあええかあ」
不満そうな表情のまま、まるで照れ隠しのように砲塔をもぎとり、もう50メートルほど離れた場所にいた装甲艇に向けて片手で投げつけた。それは 「ぶおん」 と低い風切り音を響かせながら飛び、狙い違わず直撃をうけた装甲艇は真ん中から真っ二つに裂け、弾け飛んだ砲塔と反対の側へ墜落していく。呆然としているヒカリ達の耳に「パン」と軽い発砲音が聞こえた。砲塔をもぎ取られた方の艇の甲板で、先の士官が拳銃をうっていた。さらに続けざまに数回の発砲音がしたが、少女は何事もなかったかのように士官に歩み寄る。士官はまるで信じられないモノを見るかのような目で相手をみつめ、弾の無くなった銃の引き金を鳴らし続けた。
「邪魔どす、おのきよし」
それだけいって、蹴落とす。砲塔のあった場所からは、炎が吹き出していた。燃料かオイルに引火したらしく、黒煙がもうもうと上がっている。少女はその煙を軽く手で払うと、先に蹴落とした士官のそばに飛び降りた。そこは、通りを進んでいた機械化装甲歩兵小隊の真ん中だった。歩兵達は一瞬たじろいだものの、恐怖に駆られただれかの先走りに釣られ、数を頼みに襲いかかった。
連続した爆音が鳴り響き、装輪車ですらスクラップにかえてしまえるだけの火器がが彼女一人に注がれる。炸薬の白煙が火花に照らされ、明るく輝く。照明弾いらずの昼間が、その光景を明るく照らし出した。
「うっ……撃ち方やめ! ……弾込め!」
彼女の襲撃を免れた方の装甲艇に乗り組んでいた先任が、艇内の通信機に命令を叩き込む。これ以上はオーバーキル、特務とは言え――ただでさえ実戦経験のない若い兵が多い連中を中心にしたのは間違いだったと歯ぎしりする。眼下の即整火線陣地でも、命令を待つよりも前にマガジン全てを撃ち尽くし、まだ引き金を絞っている者までいる有様だ。
その白煙が晴れたとき――彼らはあり得ない光景に呆然とした。少女が、笑いながらそこに立ったままでいた。ただ、先と違うのは身につけていたものが全て消し飛んでいた。透き通るほどに白い肌のすべてをさらし、陶製の裸婦像の様にほほえみ続けている。背中を流れるさらりとした黒髪は鏡のように炎を映し、未発達ながら均整の撮れた肢体は紙の造形と呼ぶに相応しい美しさを見せていた。だが、その場にいた者達にはその芸術を楽しむことはおろか、次の一瞬に訪れた事態を認識することすらできなかった。
「あほう……お気にのべべこやったんに……」
そう少女が呟き終えたときには、すべてが終わっていたからだ。装甲歩兵達は鮮血とオイル、あるいは冷却液をまき散らしながら倒れ伏し、まだ息のある者も、ひしゃげた鎧の中で声にならない音を呻く。
「あ、まだいてはったん?」
大破したものの、かろうじて難を逃れた生き残りの若い兵士に歩み寄る。半ば砕けた鎧から抜け出したが、あまりの恐怖に立ち上がることすらできない。
「そないに怯えられたら……ウチかて傷つきますなあ……?」
その彫像のような美しい姿で、楽しそうに笑いかけ、彼の手をとり、装甲服ごとその胸に捕らえて抱く。柔肌が炎に照らされて朱に染まる。トン、と軽く地面をけるとそのまま飛び上がり、ヒカリの目の前で止まった。深い瞳がヒカリを見つめている。怖いのに、目がそらせない。怯えているから、目がそらせない。そんな凍えるヒカリを見つめたまま、ヒルのように艶やかな少女の唇が薄く開き、歌うように言葉を紡ぐ。
「ええでしょ? これ、服の代わりにぜーんぶもろていこうか思うたんですけど……」
そのゾッとするような声に、抱きすくめられたままの青年が小さく叫ぶ。
「でも、やっぱいりまへんわ……重そうやし、中身もなんやばばっちしな」
「……!!」
ゴ リ
彼の首が、ゆっくりこちらを振り返る。頸椎の擦れ合うその音は、周りの爆音の中でいやにはっきりと聞こえた。添えられた少女の細腕の動きに合わせて、体は回らぬままゆっくり一回転する。口から血の泡が吹き出す。まだ心の臓が動いているのか、ゴボ、ゴボといやな吹き出し方をしている。だが、それも四拍で止まった。体がそのまま首から斜めに引き裂かれたからだ。
既に人でなくなったそれは力無く崩れ垂れ下がった。引き裂かれた下半分と装甲が、一緒になって路地に叩き付けられ、ガシャンと散った。
「私もこないにされた思うたけど……やってみたら案外たいしたことあらへんなあ……」
少女は、その頭を愛おしげに抱きすくめる。その胸から腰が鮮血で妖しく血塗られていく。ヒカリは、憑かれたように少女を見つめ続ける。返り血に染まった青磁器の如き肌は、よりいっそう美しく、人の世ならぬ秘色を感じさせた。
ヒカリは、まだ自らの血に汚れたままの拳に力を込め、少女に向き直る。悪夢を断ち、現実をみつめるために。
「……ティニー……?」
そして、彼女の名前を呼んだ。




