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第一話 「雪崩を登るオタマジャクシ」

「おたまじゃくし」


●白い闇


 艦内に警報が響き渡る。臨戦状態を示す明かりに酸化した臭気を放つガスが流れ、次いでほのかな灯りが通路を照らす。通常深度二百八十、乗員たちの緊張が否応無しに高まっていく。戦闘状態にあってさえ、どこかのどかな軌道艦のそれとは全く異質の、静止した時間が現れる。

「総員第一級戦闘配置。補修作業は直ちに中止せよ。繰り返す、補修作業は直ちに中止せよ、これより作戦目標に接近する」

 伝声管を叫び声が駆けめぐる。少し錆びてくたびれた銅管が意外に明瞭に命令を伝え、その残響が消える頃には既に走り回る男たちの姿もなく、声だけが廊下を駆けめぐっていた。

 巨大な鯨にも似たその船は、中の喧噪をあざ笑うかのごとくゆったりと方向を転じる。辺りは、すべてが闇に包まれていた。どこか青みがかったその闇の向こうに「奴」がいる。これから起こるすべての事を思う武者震いか、巨大な艦体が微かな唸りと、振動を乗員の足元に伝える。その鼓動はエンジンを遠く離れた艦僑にも例外なく伝わって来た。

「通常深度離脱、圧力三百七十まで潜れ、特殊作戦弾頭前部1番から六番へ。七、八番にデコイ(囮魚雷)及び通常弾頭、後部一番ワイヤー(有線魚雷)装填。二番ジャム(妨害)弾頭!」

 オペレーターが、艦長の命令を復唱する。その言葉の終わらないうちに、床が少しずつ、傾いていく。

「外部作業員全員収容を確認」

「目標東南東へ転針、深度変わらず」

 副長が艦橋に詰める各担当員からの報告をとりまとめ、必要な物だけを抽出して、中央の席に座る艦長に報告する。

「これは望外の僥倖だよ副長、大佐殿のくだされた、いらぬお使いにも付き合ってみるものだな」

 報告に目を通しながら、艦長席に座るホフレンが笑顔で副長に耳打ちする。流石に本来の任務とは異なる 『余計な仕事』 で子供のようにはしゃいでいるのを部下に悟られてはよろしくない。

「は、ですが……港を空けてよろしかったのですか? いくらナマズの群れが出た可能性があるとは言え、救助任務だけでしたら半個でも足りましたものを」

 建前としては救助任務ではあるが、事実上は沈没確認と遺体収容が仕事と言っていい。場合によっては『積み荷』を回収することも想定はしているが、零度下の海中で丸一日以上、大破した艦船の内部に生存者がいる可能性はほぼないに等しいからだ。とはいうものの 「やっても意味が無いからやめときましょう」 という程不真面目な部下も、市民に顰蹙を買う覚悟を持った上司もいない艦隊では、非戦時下にあっては重要かつ必須の任務である。本来ならば、艦長のホフレンはもちろんのこと、副長のタイリンタール――こうした職にありがちなことに、彼もまた生真面目な性格であった――が、「全力で当たることはないでしょう」 と遠回しに進言するにはそれ相応の理由があった。

「ん、まあ我々が留守にしている方が、大佐殿も伸び伸びと『職務』を遂行できるのであろうと思ってな」

「『職務』ですか」

 言外に込められた意味と、その皮肉に苦笑する。

「で、どうだったのかね」

「はい、艦長ご推察の通り……元はセトカ丸のものと思しき資材の一部と外板がスクラップ場で発見されました。間違いありません、セトカ丸は報告にあった状況発生日よりも前に意図的に抹消されたものと……」

「あるいは、予定通りに姿を消した、と?」

「それ以上はまだ分かりませんが、戻り次第艦の憲兵隊を出したいと……後で御裁可願います」

「ハンコ渡してあるだろ、適当にやっとけ」

「駄目です」

「そうか、仕方ない……よし、そろそろだな。副長、無音警戒発令が済んだら君も席に着きたまえ」

 普段はあまり被らない帽子をきっちりと被り、ベルトの締め具合を確認する。

「は、では無音航行に……総員無音航行準備、総員第一種、第二類(通常、ナマズ類を指す)警戒態勢をとれ!」

「復唱! 第一種、第二類警戒態勢!」

 持て余し気味の巨躯の隅々にまで張り巡らされた神経を、微かなタイムラグを伴って声が駆け巡る。やがて、その声も途切れがちになり、次第に静かになっていった。鈍重にして凶暴な肉食獣の緊張は呼吸すら凍らせる。


「……来るぞ……」


 そのつぶやきが誰に向けたものであったか、艦長のホフレン自身にも分からない。もしかしたら彼が発した言葉ですらなかったのかもしれない。ただ、艦内の誰もが例外なく感じていた。言い知れぬ、未知から来る"それ"を。

 そしてその美しき静寂に、無粋な叫びが割って入った。

「左舷前方距離七千……深度二百五十付近に推進音!」

「なんだと! どういうことだ! ……行方不明のセトカ丸か!?」

「いいえ……ずっと小さいです、音紋は外洋水雷艇クラスです」

 絶叫に近い声と、予想外の事態が艦僑を騒然とさせる。伝声管から吐き出される狼狽と、艦長に集約する視線がその証しだ。だが、老練な艦長は即座に決断を下した。一瞬の遅れが致命的な事態を引き起こしかねない。

「状況中断、非常回線開け『ツルギ』を呼び出せ」

 今、一番早く自体に対処でき、かつ作戦に支障をきたさないのはあの艦だけだ。

「しかし! 作戦行動中です!」

「かまわん、繋げ!」

 有無を言わせぬ怒声に、通信員が慌てて回線を開く。ややあって、雑音混じりの返答が届いた。

「こちら『七の二番』今作戦行動中の通信は……」

 杓子定規ながら当惑を隠しきれないその返答を遮り、まくしたてる。

「非常事態だ、未確認船舶が作戦域に侵入している。直ちに排除せよ」

 先程よりも長い間隔を隔てて、返答。

「了解、……こちらでも推進音を確認した。排除、もしくは拿捕する。そちらは直ちに作戦に復帰されたし」

 返事を返す間も惜しむように、艦長の命令が下った。

「さて諸君、始めるぞ……全速潜航、深度、圧六百五十……下からかち上げろ。畜生ナマズごときが潜りっこでこのファルシオンに勝てると思うな!」 


 -白い夜-


 船乗り達はこの広大な海をそう呼ぶ。未踏査域を除けばその大半を占める分厚く凍てついた、それでいてどろりと流れるみぞれ雪の層とその巨大な潮流。音を眠らせた静けさと光を抱きとめるそれは、夜の名を冠するに相応しい世界だ。単純に雪と言ってもその状態は一様のものでは無く、巨大な氷塊から、流れるような粉雪までをも含んでおり、大型の外洋艦すら安定した航行を行うのは至難の業である。また、その表層より上――すなわち海上にあっては硫化水素を中心とした酸性のガスが全域を覆っており、紅色硫黄細菌群やそれらを摂取するアミ類によって無害化されていない深度を航行するのは、これもまた困難であった。そして逆に深く深くへと潜れば、今度は冷たく固まった雪――もはや氷山と言った方が良いが――に衝突して圧殺されて磨り潰されるか、その雪の重み自体によって船体構造が耐えきれずに一瞬で圧壊するかである。さらに言うならば、それらの悲劇ですらもまだ幸運なものであり、最悪の場合は動くことも出来ないまま、ただゆっくりと凍えながら、ゆるやかに窒息と凍死、または餓死の選択を迫られることになるのだ。そのため多くの艦船においては、軍用の物であれば自決用の銃弾が、民生の船舶であれば同目的の毒薬を封入したカプセルが備えられている。

 この酷薄な冷えた世界において、既踏査域に点在する街は言うなれば海原に漂う木切れに過ぎず、それは着実に腐食しつつあったが、人はその木切れにと共に滅ぶを潔しとはせず様々な延命を試みていた。その行為をあがきととるか努力と見なすかは、見解の別れるところである。もっとも、別の呼び方をしたところでその本質には些かの影響を与え得るものではないのだが。

 そして手っ取り早く具体的な手段として、街の外層を強化するといった手段がとられたが、そもそも外部からの資源供給が乏しい状況ではこれは限界があった。溢れ始めた人口を購い、街を維持するためには「海」へこぎ出すしかなかったのだ。

 ―ナマズ― これは、その姿形をして人々がつけた俗称であり、ヒトのつけた正式名称はまた別にあったのだが、とにもかくにもこれらの存在、ヒトの理解しうる限度を遙かに超えた生命との遭遇はちょうどその頃であった。それ以前にも、原因不明の艦船の行方不明事件や遭難、または小規模な街の消失や崩壊が疑われた事例はあるが、これを多数の人間が目撃し、またナマズの個体を小型ながらも捕獲したことで、確認されたのはその時である。

 それ以前は船乗り達の怪談やホラ話、神話や伝承に伝わるリヴァイアサンやクジラ、クラーケンの様な巨大な怪物と同じ想像上の存在でしかなかったナマズの発見は、人々の間に少なからぬ動揺を与えた。だが、ナマズは人々に、その能力や体内から取れる物質、皮革や油をによって、脅威と同時に恩恵をももたらすことになる。

 このナマズの発見とそれへの対策――初期は逃走、防衛手段、後には多くの場合に撃退するための破壊的な殺傷から結果的に捕獲できるようになったことも含めて――は、結果として人類社会の戦争に匹敵するほどにリソースの集中を誘引し、科学技術を発展させることになる。

 そうして発達した「海」をゆく術は、いつしか残り少ない椅子を奪い合う力として急激に姿を変えていき、幾つかの悲劇を踏み台にしながらも発展を続け「海」を制するかに見えた。けれど人はまだ、いやそれ故に、歩みを休めようとはしなかった。

った。

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