第5話 剣の余熱とお友達
芝生に、風が渡った。
葉が揺れる。遠くで鳥が鳴く。
剣を鞘に収めたリアナは、余韻のような沈黙を三拍ほど置いてから、両手を腰に当てた。
額に薄く汗が光っている。
黒髪が頰に一筋張り付いていたが、気にしなかった。
エリオットを見上げて言う。
「エリオット様、なかなか悪くないわね」
明るい声だ。貶してもいない、褒めすぎてもいない。
ただ、事実を述べている。
エリオットは乱れた金髪を指で払った。
頰に薄い赤みが差している。
敗北の熱か、それとも別の何かか――
リアナには判断できなかったし、あえて判断しようとも思わなかった。
そして笑顔で言った。
「お茶と剣で語れば、もうお友達かな?」
彼の青い瞳が一瞬、見開いた。
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「……お友達、か」
エリオットは小さく呟いた。
否定しなかった。
庭の端でバルドが大きな体を小さくしているように見えた。
レオンは兜の下で微妙な表情をしていたが、それが困惑なのか安堵なのか読めない。
リアナは二人に視線を移し、軽く手を振った。
「今日はこのまま町に帰るわ。ティオの姉の薬、手配してくれるって約束、忘れないでね」
「レイド家の名にかけて、忘れない」
エリオットは小さく頷いた。
さっきより、少しだけ声が柔らかい。
「じゃあ、今日はここまで。
次のおしゃべり会はわたしがエリオットにお茶をごちそうするわ」
エリオットの唇がかすかに動いたが、何も言わなかった。
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「バルド、レオン」
エリオットが呼んだ。二人が前に出る。
「彼女を町まで送れ。道中、何も起こさせないように」
バルドが深く頭を下げる。
レオンが無言で従う。
リアナはエリオットに向かって、軽く手を差し出した。
「送ってもらうなんて、贅沢ね。でも断らないわ」
エリオットはその手を握り返した。
貴族らしく冷たいと思われた指先は、意外にしっかりと温かい。
握手は短かったが、その一瞬に、複雑なものが詰まっていた。
敗北の悔しさ。
好奇心。
そして、初めて感じる「対等」という感覚。
リアナはそれを感じながら、何も言わなかった。
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馬車が再び動き出す。
車輪が敷石を鳴らし、木々の影が窓を流れる。
後ろに遠ざかるエリオットの姿が、門の前で小さくなっていく。
金髪が風に揺れ、青い瞳が馬車を追っていた。
後ろ手を組んで動かない。
ただ、見ている。
リアナは窓辺に肘を置き、その姿が見えなくなるまで眺めていた。
やがて門が視界から消えると、彼女は静かに目を閉じた。
「ふうん……意外と可愛いところあるじゃない、エリオット様」
独り言のつもりだったが、馬車の中には人がいる。
バルドが低く咳払いし、レオンが窓の外に視線を逃がした。
リアナは気にせず、馬車の揺れに身を任せた。
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森の木陰が窓を過ぎ、陽光が斑に差し込む。
車輪の音が規則正しく響き、馬の蹄が土を蹴る柔らかな音が続く。
リアナは窓辺に頰を寄せながら、視線を左右へ移した。
バルドは右側にどっしりと座り、黒い甲冑の肩当てが鈍く光る。
大きな体が馬車の揺れを受け止め、微動だにしない岩のようだ。
レオンは左側、細身の体を窓際に預け、前方を向いたまま目が動かない。
二人とも、口を開かない。
開かないなら、開かせればいい。
リアナは軽く息を吸って、明るく切り出した。
「ねえ、バルド、レオン。あなたたち、いまどう感じてる?」
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バルドの大きな体がわずかに揺れた。
ゆっくりとリアナに向き、兜の下の目が一瞬細くなる。
低い、岩のような声が響く。
「……正直に言えば、混乱してる」
拳が膝の上でゆっくりと握られ、革の手袋がきしむ。
「エリオット様は、俺たちが仕える中で、最も揺るぎない方だった。
剣を抜けば勝つ。言葉を交わしても、決して折れない。なのに……
あの庭で、一瞬で喉元に刃を突きつけられた。俺たちは何もできなかった」
声に、微かな悔しさが混じる。
「だが……あの方の、あんな表情を見たのは、初めてだった。」
バルドは視線を窓に戻した。
「エリオット様は俺たちに、貴族の人間として生きることがどういうことかを示し続けていた。
でも、あの庭のあの方は……ただの人間に見えた」
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レオンはずっと前を向いていた。
リアナの視線を感じていたはずだが、振り向かなかった。
しかし、ゆっくりと、首が動く。
兜の下の唇がわずかに開いた。
「……俺は、怖かった」
短い言葉に、沈黙が続く。
馬車の揺れが一瞬大きくなった気がした。
レオンは指先で剣の柄をなぞりながら、続けた。
「あの方に勝つなど、思ってもいなかった。だから俺は、ただ従がっていたんだ。
考える必要がなかったんだ。でも、あんたは……一瞬でそれを壊した」
兜の下から、はじめてリアナをまっすぐ見る目が現れた。
そこには、主への忠誠と混乱と、リアナへの微かな羨望が同居している。
「怖いのは、それが壊されたことじゃない。あんたに負けたエリオット様が……
なぜか…どこか嬉しそうだったことだ」
細い声が続ける。
「俺たちはエリオット様を守るためにその傍に、ずっといた。
でも、今日、あんたを見て……守るって、何なんだろうって思った」
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リアナは二人の言葉を聞き終え、しばらく黙っていた。
窓から入る風が黒髪を揺らし、琥珀の瞳に柔らかな光が入る。
「ありがとう。正直に話してくれて」
彼女は座席に体を預け、独り言のように呟いた。
「わたしも、怖いときはある、戸惑うこともあるわ。
でも、わたしがわたしでいることをやめたら、それこそ怖いし迷う」
バルドとレオンは無言だった。
しかし、その沈黙は、さっきとは違う重さを持っていた。
馬車が速度を落とし始める。
遠くに、鐘の音が微かに聞こえてくる。
七柱神に捧げる鐘楼の音だ。広場が近い。
二人の護衛は窓の外に視線を戻したが、その背中にはわずかな変化が生まれていた。リアナには見えないが、感じられる。
馬車は静かに、三人を運んでいく。
※七柱神・・・慈愛神・守護神・闘神・豊穣神・精霊神・知恵神・死神の七柱で構成され、地域によって特定の神が厚く信仰される。
エルドリアは農村と山の境目という地理的特性から、守護神と豊穣神への信仰が特に厚い。




