第4話 紅茶の余韻と刃の誘い
暖炉の薪が静かに爆ぜた。
赤い火の粉が一瞬舞い上がり、消える。
部屋に漂う煙と紅茶の香りが混じった空気の中で、リアナはカップをゆっくりとテーブルに置いた。
澄んだ音が室内に落ちる。
「美味しい紅茶だったわ、エリオット様。ありがとう」
エリオットが動作を止めた。
「でも、もうお茶の時間は終わりね」
リアナは立ち上がった。
革のブーツが絨毯を踏む音が、静かな部屋では妙に鮮明に聞こえる。
「貴族の矜持が、まだなにかに納得できないのなら……剣の時間にしましょうか」
エリオットの青い瞳が、わずかに細くなった。
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部屋の空気が、一拍遅れて引き締まった。
バルドとレオンが立ち上がる。
甲冑の関節がカチリと鳴り、二人の手が同時に剣へ向かう。
エリオットもゆっくりと立ち、レイピアの柄に指を置いた。
暖炉の炎が彼の金髪を赤く染める。
「私一人で十分だと思わないか?」
「一人じゃ物足りないわ」
リアナは腰の剣の鞘を軽く叩いた。
乾いた金属音が答えのように響く。
「バルドとレオンもきなさい。三人相手でも構わない。数も強さよ。
本気できてよ。命をかけて」
挑発ではない。だからこそ、重い。
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エリオットは動かなかった。
暖炉の炎が揺れ、彼の影が壁で伸び縮みする。
その沈黙の中で、何かが彼の中で動いた――
リアナには見えないが、感じられる。
貴族の誇りと、この女への純粋な好奇が、音もなく激しくぶつかり合っている。
嘲笑わない。媚びない。逃げない。
ただ、真正面から来る。
「バルド、レオン」
エリオットが静かに言った。
「下がっていろ」
「しかし、エリオット様――」
バルドが低く呟いた。
「これは私の誇りの問題だ」
二人が渋々、剣から手を離す。しかし目はリアナを離さない。
エリオットはレイピアを鞘から引いた。
刃が暖炉の光を受けて、鋭く輝く。
「外の庭へ移ろうか。別邸の芝生は、血を吸うのにちょうどいい」
「楽しみね」
リアナの剣が、鞘から指一本分だけ覗いた。
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裏庭は静かだった。
芝生に陽光が降り注ぎ、風が木々の葉をざわめかせる。
遠くで鳥が鳴いて、すぐ止んだ。
二人は庭の中央に立ち、互いに距離を取る。
エリオットがレイピアを前に構える。
貴族の剣術だ。無駄のない、正確な構え。
華やかさと冷徹さが同居している。
リアナは剣を鞘から引いた。
陽光が刃を銀色に輝かせる。
構えない。ただ、持っている。
その佇まいが、エリオットの目に奇妙に映った。
傭兵崩れにしては、余白が多すぎる。
風が一陣吹き抜け、二人の影が芝生に伸びた。
庭に静寂が落ちる。
互いの呼吸だけが、その静寂の中で確かに存在していた。
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エリオットが踏み込んだ。
一歩、速い。
レイピアが弧を描き、リアナの左肩を狙って伸びる。
正確で、迷いがない。
体の重心移動も、刃の軌跡も、訓練の深さを物語っている。
貴族の剣術は、本物だった。
リアナの体が反応した。
思考より先に、体が動く。
右足を軸に体が沈み、半歩横へ。
刃が空を切る。
その流れのまま、リアナの剣が弧を描いた。
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金属と金属がぶつかり合う音が庭に響いた。
――キィン。
レイピアの先端が弾かれ、エリオットの右腕に痺れが走る。
手の中で柄が一瞬浮いた。
ただの力ではない、命をかけた数多の戦いで得たであろう戦闘技術。
リアナの剣は弾いた勢いを殺さず、そのまま回転した。
流れるように、迷いなく。
刃の腹がエリオットの喉元で止まった。
冷たい鋼が、皮膚に触れる寸前で止まっている。
風が、二人の髪を揺らした。
落ち葉が一枚、ひらりと芝生に落ちた。
庭の端でバルドが息を呑む音がした。
エリオットは動かなかった。
動けなかった、ではなく、動かなかった。
その違いをリアナは感じた。
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距離は一尺にも満たない。
互いの呼吸が、肌に触れるほど近い。
エリオットの青い瞳がリアナの琥珀の瞳を見ている。
驚きでも、怒りでもなく、確かに、何かを受け取ろうとするような目だ。
リアナは静かに口を開いた。
「わたしは、わたしでいることを死ぬまで変えられない」
声は小さいが、重い。
「無理やり変えようとする人も、媚びて変わろうとする人も、嫌い。
あなたの貴族の矜持も、ティオの涙も、全部、わたしはわたしとして見てるだけ。
それだけよ」
エリオットの喉が動いた。
レイピアを握った手が、わずかに震えた。
彼の心の中で何かが揺れているのが、リアナにはわかった。
屈辱じゃない。
もっと別の、言葉にならない感覚だ。
何年も纏い続けてきた鎧が、一瞬だけ、軽くなったような。
父が死んで六年。
代官代理として三年。
誰もエリオットを、一人の人間としては、見なかった。
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エリオットはゆっくりと息を吐き、レイピアを下げた。
リアナも剣を引いたが、目は離さない。
「……負けたか」
彼の声は低い。自嘲がある。
しかしどこかに、奇妙な清潔感があった。
顔を上げ、リアナの目を見て、そして唐突に言う。
「ティオの、姉の薬を手配しよう」
「ほんと?ありがとう」
「約束する、レイド家の名にかけて」
エリオットはリアナを見た。
初めて、対等に、という目で。
「ただし、条件がある」
「条件?」
「もう少し、また君と話がしたい。今度は――ただのエリオットとして」
陽光が二人の影を芝生に長く落とした。
庭に静かな余韻が満ちている。




