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リアナ紀行  作者: 山川猫
3/7

第3話 肝っ玉の挨拶とティータイム

馬車の中は、想像より狭かった。


赤いビロードの座席は柔らかく、膝が沈むほどだ。

だが左右に護衛が一人ずつ張り付いていると、その柔らかさは少しも慰めにならない。


車輪が石畳を軋ませ、馬車が動き出す。

低い振動が背骨に伝わり、馬具の金属がカチャリと鳴る。


向かいの席にエリオットが座り、長い脚を組んでリアナを観察している。


陽光が細い窓から差し込み、彼の金髪の輪郭をなぞる。


青い瞳は静かだが、底に鋭い光がある。


右の護衛は無骨な体躯で、兜の下から見える目は岩のように動かない。


左の護衛は細身だが、指が剣の柄から一瞬も離れていない。


密室だ。逃げ場がない。


リアナはそれを確認した上で、深く息を吸った。

呼吸を整えると、緊張が静かに体の外へ流れていく。


---


「ねえ、みんな」


リアナは明るい声で切り出した。


左右の護衛が微かに体を硬くする。

エリオットの片眉が上がる。


「せっかくの馬車旅なんだから、自己紹介くらいしてもいいよね?」


沈黙。


「……肝が据わっているな」

エリオットが言った。


「続けろ」


リアナはマントを整え、背筋を伸ばす。


「わたし、リアナ。二十三歳。元傭兵で、今は旅の途中。

剣はそこそこ使えるけど難しい話は苦手。でも面白い話ならいくらでも付き合うわ」


右の護衛に顔を向け、にこりとした。


「そっちの騎士さん、名前は? ずっと黙ってると怖いんだけど」


護衛は視線を逸らしかけ、しかし低い声で答えた。


「……バルド。護衛副長だ」


「じゃあそっちは」

今度は左へ。


「……レオン」


「よかった、二人ともちゃんと声出るじゃない」


リアナはエリオットに向き直った。


「で、貴族様は? 名前はもう知ってるけど、

ちゃんと自己紹介してくれたら嬉しいな。美味しいお茶をごちそうしてくれる相手の名前は、ちゃんと覚えておきたいし」


---


エリオットはくすりと笑い、手を胸に当て、わずかに頭を下げる仕草をした。


貴族らしい、洗練された動作だ。


「エリオット・ヴァン・レイド。

現領主ヴァルドの甥にして、エルドリアの代官代理を務めている。

剣の腕は……あなたほどではないかもしれないが、自信はある。

退屈はさせないつもりだ」


「なかなか素直じゃない」


「君はなかなか変わっているな」


リアナは座席に少し体を傾け、左右を見た。

バルドとレオンがまだ張り付いている。


「それでさ、この状況ちょっと窮屈なんだけど。わたし、逃げないから。

スペースもらえない?」


バルドとレオンが同時にエリオットを見る。


エリオットは軽く手を振った。


「少し空けてやれ。逃げたとしても……もっと面白くなるだけだ」


二人が無言で体を離す。リアナは大きく息を吐いた。


「やっぱり息苦しいと、紅茶も美味しくないわよね」


---


馬車が町はずれに差し掛かり、木々の影が窓を覆い始める。

葉擦れの音が増し、鳥のさえずりが遠くに聞こえた。


エリオットは頬杖をつき、リアナをじっと見た。


「君は本当に面白い。私の前に現れる平民達は皆、

震えるか、媚びるか、逃げるかだ。私の目を見据えて自己紹介から始める者は、

初めてだ」


「無理やりは嫌いって言ったでしょ」


「そうだな」


「ちゃんと話せる距離で話したいだけ。

剣を抜くにしても、ちゃんと知り合ってからの方がいいじゃない」


「命をかける相手の名前くらい、知っておくべきだと?」


「そういうこと」


エリオットの瞳が細くなった。

初めて、本物の興味が浮かんだ。


鉄の門が視界に入る。重厚な扉がゆっくりと開き、馬車が敷石の道へ入っていく。


車輪の音が変わり、速度が落ちた。


別邸が近い。


---


別邸は古い石造りだった。


蔦が壁を這い上がり、窓辺の獅子の彫刻が風雨で少し削れている。

威圧的というより、長い年月を纏った重厚さがある。

庭の芝生は整えられ、花壇に白い花が咲いていた。しかし人の声がない。


静かすぎる屋敷だ。


馬車が止まり、使用人が出迎えた。

中年の女性、灰色のドレスに白いエプロン、表情が固い。

その後ろに若い男性が立ち、緊張した顔で頭を下げる。


リアナは馬車の扉の前に差し伸べられたエリオットの手を、軽く笑って無視し、自分でひらりと飛び降りた。


芝生の湿った感触が、ブーツの底から伝わる。


土と草と、石の壁が吸い込んだ年月の匂いが混じっていた。


「ようこそ、レイド家の別邸へ。約束どおり、紅茶をご馳走しよう」


エリオットが言い、中へ導いた。


---


応接室は広く、暖炉に火が入っていた。


薪がパチパチと小さな音を立て、木の燃える甘い煙の香りが部屋を満たす。

重厚な絨毯が足音を吸収し、壁に並んだ肖像画の人物たちが、どれも同じ鋭い目でこちらを見下ろしていた。


レイド家の先祖たちだ。

歴史とその誇りと威厳が、絵の具の中に重く滲んでいる。


リアナは指定された椅子に座った。

クッションの沈み込みが心地よく、しかしそれに油断する気にはなれない。


使用人が紅茶を注ぐ。湯気が立ち、花のような甘い香りが鼻をくすぐった。

口に含むと、温かく滑らかな余韻が広がる。


「上質な茶葉ね」


「レイド家の伝統だ。良いものを楽しむのも、貴族の務めだ」


エリオットの声は穏やかだが、青い瞳の奥に鋭い光がある。


リアナはカップを置いた。


「じゃあ、せっかくだから教えて。あなたのこと、レイド家のこと。ただの冷徹な貴族様じゃないんでしょ」


---


エリオットはカップを両手で持ち、紅茶の表面をしばらく眺めた。


暖炉の火が彼の横顔を照らす。こうして静かにしていると、冷たい貴族の仮面の下に、別の何かがあるのが見えてくる。


「レイド家は、この地を代々治めてきた。

先祖は剣と信念で侵略者を退け、エルドリアを含むこの地域を守った英雄だ」


静かな声だ。


「伯父ベルハルトが領主を継ぎ、父はその弟として生きた。

六年前、父は病で死んだ。そして三年前、父の弟、ヴァルドが領主を継いだ。

私はその甥として、この町の代官代理を務めている」


「正式な代官は、まだ?」


「決まっていない。決めない方が都合のいい者が、どこかにいるのかもしれない」


その言葉は、淡々としていた。しかし何か淀みがある。


「あなた自身は、どう思ってるの」


エリオットは少し間を置いた。


「私は貴族として、民を法の下に正しく導くことが美徳だと教えられた。

しかし、ただ弱さを許すことは愚かなことだ、とも。それは今も変わらない」


---


部屋の空気が少し重くなった。

暖炉の炎が揺れ、壁の影が伸び縮みする。


リアナは紅茶を啜りながら、エリオットの言葉を咀嚼した。


単純な悪人じゃない。

それはわかった。彼の論理には一貫性がある。


貴族として生きることを、疑いなく選んだ人間の論理だ。

しかし、その確信が、時折、瞳の奥に孤独の影を生む。


父を六年前に失い、正式な立場も与えられないまま代官代理として町を仕切っている。

選んだのか、選ばされたのか。


「レイド家が英雄の末裔なら」

リアナは言った。


「民の心を掴む方法は、他にもあるんじゃない?」


エリオットの唇がかすかに動いた。

答えではなく、問いかけを飲み込んだように見えた。


暖炉の薪が一本、崩れた。

炎が一瞬大きく揺れ、二人の顔を赤く染める。


外で風が窓を揺らした。

細い音が、重い沈黙の中に混じった。


この会話が、お茶の席以上の何かになる予感がする、とリアナは思った。

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