第2話 旅人と貴族
黒塗りの馬車が広場に滑り込んできた。
四頭の黒馬が蹄を石畳に打ちつけ、銀の馬具が朝陽を弾いて眩しい。
車輪の軋みが腹の底に響き、広場の空気がひやりと凝固する。
商人たちが後ずさり、老婆が口を押さえた。
リアナは動かなかった。
腰の剣の柄に、自然と指が触れる。
いつものように、冷たく、馴染む感触。
馬車が止まり、扉が開かれる。
最初に出てきたのは二人の護衛騎士。
黒い甲冑、無表情の顔、腰の剣に常に触れた指。
続いて、一人の若者が降り立った。
金色の髪が陽光を受けて輝く。整った顔立ち。
深紅のマントの下に白銀の胸当て、腰に細身のレイピア。
二十代半ばに見える。
歩き方に迷いがなく、周囲の視線を当然のものとして受け取る態度がある。
生まれながらの貴族ね、とリアナは思った。
良くも悪くも。
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男は広場を一眺めし、薄い笑みを浮かべた。
「朝から賑やかだな、ガロン隊長。領地の財産を奪う泥棒が出たと聞いた。
罪人は捕まえているようだが……なぜまだ首を括っていない?」
声は滑らかだ。棘は意図して差し込んでいる。
隊長の男はガロンという名だ。
ガロンが素早く敬礼する。
「エリオット様……この男の言い分を確認しておりまして。姉の病が――」
「言い分などどうでもいい」
エリオットは片手を上げ、遮った。
「盗みは盗みだ。領主の倉庫は我が家の財産。法は明快だろう。処刑を急げ」
ティオが震えた。リアナの腕に、細い指がすがりつく。
「やめて……お願いだ……!」
エリオットはティオをちらりと見た。一秒にも満たない視線。
そしてすぐに興味を失ったように目を逸らす。
人間じゃなく、書類にかかれた文字を見るような目だ。
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リアナは一歩、前に出た。
「ねえ、貴族様。贅沢な馬車で来て、朝から処刑命令って……
ずいぶん優雅な朝の楽しみ方ね」
声は平静だ。怒りじゃない。ただ、事実を述べている。
エリオットの視線がリアナに向いた。
今度は、興味を持った目だ。
細い金の眉が、わずかに上がる。
「旅の剣士か。面白い表現だな」
「褒めてくれてるの? 」
「口の利き方には気をつけた方がいい。首が惜しくないのか?」
護衛の一人が剣を半抜きにした。
金属の擦れる音が広場に響く。
リアナは肩をすくめた。
「わたしは、誰かの贅沢の影で流れる涙が嫌いなだけよ」
沈黙。
老婆が息を呑む音が聞こえた。
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エリオットはゆっくりとリアナに近づいた。
彼の指先が伸び、リアナの顎へ向かう。
触れる前に、リアナはその手を鋭くはじいた。
素早く、無駄のない動き。研ぎ澄まされた体の反応は、見た目より遥かに速い。
エリオットの瞳が、初めて真剣な光を宿した。
「……腕が、立つようだな」
「お世辞はいらないわ」
「公務の妨害だ。拘束しろ」
エリオットが護衛に告げた。
護衛が動き出す。
ガロンが渋い表情で護衛達に向かって一歩踏み出そうとした。
リアナは片手でそれを制する。
「隊長、待って」
彼女は静かに息を吐き、剣の柄に指をかけた。
マントが風にはためき、石畳に影を落とす。
広場が、息をするのをやめた。
ティオの小さな嗚咽だけが、その静寂の中で響いた。
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片手で制する動きのまま、護衛が動く前に、リアナは先に動いた。
ただし剣ではなく、ポーチの方へ。
指先が銅貨数枚と銀貨1枚をつまむ。反射の陽光が鈍く光る。
リアナはそのまましゃがみ込み、ティオと視線を合わせた。
ティオの目は赤く腫れ、細い肩が小刻みに揺れている。
「ティオ」
静かな声だ。責めていない。
「盗んだもの、ちゃんと返しなさい。
そして、これでお姉ちゃんに栄養のあるものを買って帰りなさい」
銅貨と銀貨をティオの掌に乗せた。
ひんやりした金属の感触が、震える指に伝わる。
「……でも、こんなの受け取れない」
「いいから。わたしが好きでやってるの」
ティオの口から、嗚咽が漏れた。
抱えていた革袋ごと傍にいた衛兵に差し出す。
「ごめんなさい…」
衛兵は戸惑った顔でガロンを見る。ガロンが無言で頷いた。
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リアナは立ち上がり、エリオットに向き直った。
マントが裾から翻り、黒髪が風に流れる。
琥珀色の瞳がエリオットの青い瞳を、まっすぐに捉えた。
「貴族様」
声は穏やかだ。しかし芯がある。
「若者たちの食事代くらい、わたしが立て替えてあげるわ。
迷惑料もあげる。これで一件落着でしょ」
ポーチからもう1枚銀貨を摘まみ、軽い放物線を描いてエリオットへ投げた。
銀貨が彼の胸当てに当たり、金属音を立てて石畳に転がる。
護衛が反射的に剣に手をかけた。
それをエリオットは片手で制した。
しばらくの沈黙。
エリオットの表情は動かない。
しかし青い瞳の奥に、小さな何かが揺れた。
「……銀貨1枚で済む話と思っているのか?」
「まだ駄々をこねるつもり?」
リアナは肩をすくめた。
「…だったらさ、エリオット様、提案だけど。
わたしにお茶をごちそうしてくれたら、あなたが納得できるまでつきあってあげる。紅茶のいい香りがするところで、ゆっくりとね」
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広場が静まり返る。
老婆が目を丸くした。ガロンが口を半開きにした。ティオが呆然と見上げた。
エリオットは…リアナをじっと見た。
値踏みするような目ではなく、何かを確かめるような目だ。
彼の指先がレイピアの柄を離れた。
「……随分、命知らずな提案だな」
リアナの声が、少し低くなる。
「わたし、無理やりは嫌いなの。もし、そういうのがお好きなら命かけてよ。
無理やり、わたしをどうにかしたいなら、いま剣を抜いて命をかけなさい」
間を置く。
「それとも――もし、あなたが素敵な貴族様なら、
命知らずの提案を評してお茶を優雅にごちそうしてくれたり、するのかしら?」
風が吹いた。リアナのマントがはためき、エリオットの金髪が額にかかる。
二人の間の空気が、ぴんと張りつめた糸のように、細く、鋭く、伸びている。
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エリオットはゆっくりと息を吐いた。
そして、笑った。薄く、しかし本物の笑みだ。
「……面白い。乗ってやろう」
護衛に目配せし、馬車の扉を示す。
「乗れ。町はずれの別邸に、いい茶葉がある」
ティオがリアナの前に立ち、深く頭を下げた。
「ありがとう……本当に、ありがとう……!」
リアナはティオの頭に手を乗せ、軽く撫でた。
「約束しなさい。もう盗まないって」
ティオは涙をぬぐいながら頷いた。
ガロンが何か言いたそうな顔でリアナを見ていたが、口は開かなかった。
リアナはマントを整え、馬車の方へ歩き出した。
お茶が美味しければ、まあいいか。
広場に、鐘の余韻が薄く残っていた。




