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リアナ紀行  作者: 山川猫
1/7

第1話 霧とエルドリア

初投稿です。よろしくお願いいたします。

挿絵は順次いれるかもしれません。取り急ぎ主人公ビジュアルは…いれておこうと思いました。


霧だ、とリアナは思った。


ここはアルディア大陸南東部、オルテナ王国エルドリアの街。


一人の旅の剣士が荷馬車から降り立つ。


エルドリアの朝は、濃い霧から始まる――


誰かがそう言ったのか、それとも雑誌で読んだのか。


荷馬車の幌をめくって地面に降り立った瞬間、冷たく湿った空気が頰を包み、黒髪が数本、口元に張り付いた。


石畳の感触がブーツの底から伝わってくる。

凹凸のある古い石。何百年分もの足音を吸い込んだ石。


「なんだか夢の中みたいね」


リアナは独り言を吐き出しながらかすかに白くなった息が霧に溶ける。

革の短いマントを肩から整え、腰の細身の剣が正しい位置にあるか指先で確かめる。いつもの癖だ。傭兵を辞めてから半年が経つが、この癖だけはやめられない。


黒いレースアップのレザーパンツに包まれた脚が石畳をしっかりと踏みしめ、琥珀色の瞳が霧の中のエルドリアをゆっくりと見渡す。

木造の家々。濡れた屋根から滴る水音。

どこかで犬が一声、気怠げに吠えたのが聞こえた。


整った顔立ちに、旅の疲れが薄く乗っている。

それでも彼女の立ち姿には、無意識の鋭さがある。

元傭兵の彼女は、どんな状況でも自然と「隙のない場所」を選んで立つ。


今はやりたいこと、守りたいもの、いわゆる、夢を探す旅の途中。


二十三年生きて、剣の腕と戦いの勘はいっちょ前に磨いてきた。

さて、次は何を磨こうか?

その答えもまた、今は霧の中――


挿絵(By みてみん)


---


広場の朝市は、霧をものともせず動き始めていた。


野菜の青々とした香り。どこかで焼かれるパンの、甘く焦げた匂い。

鍛冶屋の金槌がリズムを刻んで鉄を叩く音。

人々の声が波のように重なり、霧の中でぼんやりと輪郭を持つ。


リアナの腹が、遠慮なく鳴った。


朝市のパン屋の前に足が向く。

店主は小柄な中年男性で、豊かな髭に白いエプロン、目尻に深い笑い皺を刻んでいる。

焼き上がったばかりのライ麦パンが木の棚に並び、湯気がゆらゆらと昇っていた。


「ようこそ、お嬢さん。霧の朝にはこれが一番さ」


「じゃあ、一つちょうだい」


ポーチから銅貨を取り出し、温かいパンを受け取る。

かじると、ほのかな酸味と小麦の甘さが口いっぱいに広がった。

柔らかく、少し重い。旅の疲れが、じんわりとほぐれていく気がした。


「旅人かい? 珍しい。最近、エルドリアに旅人は少なくなったよ」


「そう。なんで?」


店主が答えかけた、その瞬間。


「泥棒だ! あの男を捕まえろ!」


男の叫び声が広場を切り裂いた。


---


人ごみが割れる。


若い男が、胸に革袋を抱えて全力でこちらに駆けてくる。


ぼさぼさの茶髪、ぼろぼろの服、土で汚れた素足。


瘦せた体躯が必死に風を切り、怯えた目が行き場を探して揺れている。


革袋の中からパンや果物がこぼれそうになっている。


その後ろを、剣を帯びた衛兵が三人、息を弾ませながら追っていた。


リアナはパンをくわえたまま、ため息をついた。


「……まったく、朝から面倒ね」


それでも足は動く。元傭兵の本能が、最短の進路を瞬時に計算する。

一歩、二歩。軽やかなステップで人ごみを抜け、若者の正面に回り込む。


若者が目を剥いて急ブレーキをかけた。

転びかけた体を、リアナの片手がしっかりと支える。


「待ちなさい。逃げてる暇があるなら、ちゃんと話をしたら?」


衛兵たちが追いつき、荒い息とともに剣を半抜きにする。

若者は肩を震わせ、リアナの腕を掴んだ。


「ゆ、許して。お願いだ……これは、たしかに俺のものじゃないけど……

姉さんに……」


---


衛兵の隊長と思われる男が前に出る。


がっしりとした体躯に鎖帷子、四角い顎に威圧的な眼光。


「ふざけるな!

おまえが領主の倉庫に搬入する荷から、食料を盗んだところは見てるぞ!」


「食料の盗みは…重罪だぞ」


リアナは若者の肩に軽く手を置いたまま、隊長の男に視線を向ける。


「ちょっと待って」


「なんだ、お前は」


「ただの旅人。でも、話くらいは聞いてから決めたらどうかしら」


若者が涙をにじませながら、声を震わせた。


「姉が、病で……いま、栄養のあるものが、どうしても必要で……」


広場がざわつく。商人たちのひそひそ声。老婆が手を合わせる仕草。


霧が少し晴れて、陽光がようやく石畳に届き始めた。


リアナは若者の目を見た。怯えた、純粋な目だ。


リアナの勘が告げる。この勘が外れたことはないと思っている。


「わたしが巻き込まれる義理はないけど」


彼女は小さく息を吐いた。


「……放ってはおけないわね」


---


リアナはゆっくりと、しかしはっきりと言った。


「誰かの贅沢の影で流れる涙は、わたし好きじゃない」


石畳の上に声が落ちる。隊長の男が眉を動かし、若者が息を呑む。


「でも、弱さを武器に嘘をつく卑怯者も好きじゃないわ」


琥珀色の瞳が、隊長の男と若者を交互に見る。


糾弾でも脅しでもない。ただ問いかけるように、静かに。


「あなたたち、どう思う?」


広場の空気が止まった。商人たちのざわめきが途絶え、金槌の音も間を置く。

朝の陽光だけが、じわじわと霧を押しのけながら広場に降りてくる。


---


隊長の男は四角い顎を動かし、太い腕を組んだ。


灰色の短髪、頬を横切る古い傷跡、使い込まれた剣の輝き。


この男は飾り物の隊長じゃない、とリアナは直感する。

現場で生き抜いてきた人間の匂いがする。


「俺たちはただ…法と命令に従ってるだけだ。領主の倉庫は街の備蓄でもある。

病だろうが何だろうが、盗みは盗みだ」


男の声は強い。だが、完全に揺るぎない声じゃない。どこかに、小さな隙間がある。


若者が膝をつきかけ、リアナが肩を支えた。


「名前は?」


「……ティオ」


「いくつ?」


「じゅ、十七……」


ぼろぼろの服の袖口から伸びた腕は、肉が薄く、節ばっている。

逃げ続けてきた体だ。


「ティオ。あんた、嘘ついてる?」


ティオは首を振った。涙が石畳に落ちる。


---


周囲から声が上がり始めた。


エプロンをかけた老婆が一歩前に出る。

しわくちゃの顔に、しかし芯のある目をしている。


「隊長、ティオの姉は本当に重いんだよ。もう二か月は寝込んでる。街の皆が知ってることだ」


別の商人が続く。

「領主様の先月の宴会、食べ物の半分は捨てたって聞いたぞ」


隊長の男の表情が微妙に変化する。

苛立ちと、やりきれなさと、そして言えない何かが、彼の顔の上で混在した。


リアナはその変化を見逃さなかった。


「隊長も、分かってるんじゃないの?」


「……」


「黙ってるのも答えよ」


隊長は低く息を吐いた。


「俺の立場じゃ、言えんことがある」


その一言だけで、リアナには十分だった。

この男もまた、頭は硬いのかもしれないが、腐った人間じゃない。


---


「じゃあ、みんなで考えましょうよ」


リアナはマントを翻し、周囲を見渡した。


「わたし、理屈っぽい話は苦手だけど、誰も泣かない方法を探すのは嫌いじゃない。

真相を確かめて、一番まともな落としどころを探してみましょ」


ティオが顔を上げた。老婆が小さく頷く。隊長が渋面のまま腕を組み直す。


その瞬間、重い鐘の音が三度、空気を揺らした。


続いて――馬の蹄の音。

複数の、速い蹄音が石畳を叩きながら近づいてくる。


隊長の顔色が変わった。


「……この街の、代官代理…貴族様だ」


全員の視線が、霧の晴れた大通りの向こうに向く。

黒塗りの馬車が、四頭立てで速度を落とさずに広場へ向かってくる。


リアナはパンを一口噛みながら、目を細めて思う。


面倒が、倍になったわね。

引き続きよろしくお願いいたします…

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