4:しばらく夢に見たそうな
誰か――自分の後ろから速足で近付いて来た見知らぬ女生徒に、肘打ちで突き飛ばされたのだ、と気付いた時には遅かった。
リーアは不意打ちの暴力にされるがまま、勢いよく地面に倒れ込んだ。咄嗟に手を突いたため、膝と手の平に痛みが走る。
原作でのリーアはドジっ子属性もあったため、注意力散漫という完全なる自業自得でよく転んでいた。
そしてそれがゲーム冒頭での、王太子殿下と悪役令嬢との出会いに繋がるのだが――
「貧乏人のくせに正門から入って来るだなんて、なんて身の程知らずなんでしょう。図々しくも、殿下とコルネリオ様まで凝視して」
中の人が前世を思い出したため、リーアのドジっ子属性は消え去った。
だが代わりに、誰とも知らぬ令嬢から突き飛ばされ、せせら笑われるという謎サービスに晒されていた。栗色の長い髪をかき上げる彼女の後ろには、同志または取り巻きと思しき少女が二人ほどいる。
取り巻きの片方は背が高くふくよかで、そしてもう片方は小柄で痩せていた。
「王家のお情けに胡坐をかいて、よくも学園まで来られたものよね」
「田舎の貧しい方は、羞恥心をご存知ないのでしょうか?」
そう言ってクスクス笑う彼女たちからは、拭いきれぬドロンジョ一味感並びに、なんともパッとしないモブ臭が漂っていた。
まあモブなんだろう、実際。きっと原作ゲームの学園内フィールドで、庭園や廊下を無意味に往復している名もなき生徒の内のどれかなのだろう。
とはいえ、こんな悪質な個性を出されても困る。
色々面倒臭くなったリーアは、地面に突っ伏したまま「なるほどな」と考えていた。
(特待生って、在校生のお貴族様からはあんまりよく思われないのか。最悪だ)
もしくは特待生という存在自体がレア過ぎるあまり、扱い方をよく分かっていない可能性もある。
しかしリーアは、国からのヘッドハンティングを受けて転入して来た生徒なのだ。たとえもっさり陰キャであろうとも、爵位も財力も低い家の子であろうとも、将来大化けするかもしれないのだ。
本来なら遠巻きに様子を伺い、役に立ちそうと判断出来れば恩を売り、そうでないなら「いないもの」扱いをするぐらいが適当だろうに。
日本でも諸外国でも異世界でも、金がある=人徳があるというわけではないらしい。
(入学早々、見知らぬお嬢さんに突き飛ばされたので通学したくありませぇん!って泣いて喚いて引きこもって、そのまま退学できないかなー)
リーアは能天気バカゲーらしからぬ民度の低さにほんのり落胆しつつ、不埒なことを考えていた。ちなみにこの間ずっと、地面に突っ伏したままである。いっそこのまま、学校職員が来るまで寝ていようかと考えていた。
その方が大事に出来そうだし。
(しかも道端にマックの空袋とかタバコとかガムも落ちてないし。さすがは金持ち学園、民度はアレだけど清潔だね)
しかし無言で地面に伏せたまま、なんだったら足まで伸ばしてくつろぎ始めたリーアに、モブ令嬢ズもカチンと来たらしい。
「ちょっと! あなた何なのよ、ずっと寝転んで! 同情でも誘っているつもり? いい加減起きたらどう――」
「おい、お前ら。さっきからクソうるせえぞ。寄ってたかって、何してやがんだよ?」
キャンキャンと吠える先頭モブ令嬢の冴えない声に、横柄な口調のイケボが割って入った。リーアは地面をにらんだまま、心の中で身構える。
まずい。この声には聞き覚えがあるのだ。
俺様キャラだが、実は次期国王として周囲の期待に押しつぶされまいと頑張る努力家のイケメンこと、ウンコ――ウンデルト王太子殿下のお声である。モブ令嬢ズがギャンめきやがったおかげで、こちらに気付いたらしい。
というか、思った以上に声も近くから聞こえた。うつ伏せで寝ていたのが災いし、知らない内に接近されていたようだ。リーアはこのまま、気絶したい衝動に駆られた。
(くそう、どうして催眠とか麻痺魔術は術者本人に効かないの! まあ効いたら危ないよね! そりゃそうだ!)
なおも石畳を進む足音に、背中が冷や汗でしっとり濡れ始める。いっそ周囲の人間を、無差別に魔術で昏倒させて逃げようか――いや、さすがに迷惑過ぎる。
それに王太子を巻き込めば、国家反逆罪に問われかねない。下手をすれば死罪だろう。
地面に突っ伏したままグルグルと悩むリーアの、淡い桃色のボサボサ頭をウンデルトはじっと見ていた。ほぼ真上から。
俺様だが案外気のいい長男キャラでもある彼は、完全なる親切心から見覚えのない少女を助けるつもりだった。見知らぬもっさい小娘とて、大事な国民である。
ウンデルトは彼女に手を差し伸べようと、身をかがめた。
しかし――
「殿下。不運に見舞われた女生徒を助けるためとはいえ、私の前では跪かないように。尊い貴方のお召し物を汚したのか、と私が陛下に叱責されます」
彼が膝を曲げたところで、淡々としたハスキーな声が待ったをかけた。声の主は、一瞬躊躇した主を押しのけて地面にしゃがみ込む。
「愛らしいお嬢さん、大丈夫ですか? 立てますか? どこか痛みはありませんか?」
そして煮詰めた砂糖にハチミツとホイップクリームをぶち込んだかのような、とんでもなく甘ったるい声でリーアに声をかけたのだ。
苦悶の表情を浮かべて考え込んでいた彼女も、全く聞き覚えのない声にうっかりつられて無警戒に顔を持ち上げる。
すると、しゃがみ込むどころか両手を地面に付き、顔も地面すれすれまで平行に下げた美青年のとろけ顔と超至近距離で目が合ってしまった。
彼の悪役令嬢コルネリアを思わせる、真っ赤な瞳の瞳孔もガンガンに開ききっている。どう見ても変質者、どう見ても通報必須だ。助けて騎士団。
リーアの本能が命の危機を察知し、喉の奥から悲鳴を放った。しかし強すぎる恐怖心から声帯が仕事を放棄した結果、「ピヒュウゥゥ……」という隙間風みたいな弱々しい音しか出せない。
一方のモブ令嬢ズやウンデルトも、突如地面に両手を突き、転倒した少女の顔を舐め回すように観察する変質者もとい、コルネリオに困惑していた。
特に彼との付き合いが長いウンデルトは、困惑どころかドン引きだ。
「お前、何やってんだ? その令嬢、知り合いか……いや、知り合いでも距離、クソ近すぎん? その子も涙目じゃねーか。」
「知り合いではありませんが、これから密に知り合っていく予定ですよ」
コルネリオは淡々とした愛想ゼロボイスで、ウンデルトに素っ気なく返した。その間も視線は、リーアにがっちり固定されている。
リーアは膨れ上がる恐怖心から、いつの間にかハリネズミのように体を丸めて震えていた。コルネリオはそんな彼女へ、ガンギマリフェイスのままニタリと微笑んだ。
「愛らしいお嬢さん。ぜひ、お名前を伺っても?」
「ぅひぇぇぇっ……」
ここで無様な鳴き声しか上げられなかったリーアを、誰も責めることが出来なかった。ウンデルトもモブ令嬢ズも、そして周囲の生徒や朝練を終えた相撲部員たちも皆、似たり寄ったりの情けない声しか出せなかったのだ。
それぐらい、男体化(推定)したヤンデレ令嬢の笑顔は怖かった。イカれた猟奇殺人鬼の笑みだった。




