1:他に転生先はなかったのか?
全13話と、短めなお話の予定です。
月・水・金曜日に更新していきますので、お付き合いいただけますと幸いです!
文字を覚えたてのリーアが、絵本の次に見たのは地図だった。
平民の家に毛が生えた程度の、屋敷と呼ぶにはおこがまし過ぎる我が家の玄関に掲げられた国内地図を見上げたのだ。
地図は日焼けして古ぼけた、年代物だった。吹けば飛ぶような木っ端貴族である我が家にとっては、先祖代々受け継いでいる大事な品なのかもしれない。しかし地図の場合、定期的に買い替えた方がいい気もするが――これも一応、国名や主だった領地名は辛うじて読み取れる。
地図の中央上部に大きく書かれている国名は、ボットンニー王国だ。
「国土全体がボットン便所で出来てるわけ? コロコロコミックの、ギャグマンガに出て来る国名じゃないんだから」
リーアは思わず呟き、次いで空色の目を見開いた。
「……コロコロコミックって、何?」
ほぼ無意識に口を突いて出た単語は、この五年の半生において一度も聞いたことがない代物だった。困惑する彼女の脳裏に次の瞬間、記憶の奔流が襲い掛かる。
自動車、高層ビル、満員電車、アスファルト舗装された道路、天高くそびえるビル群、年々上がる物価、夜中でも煌々と明るいコンビニ、クソみたいな労働環境、パワハラ上司、同僚たちとの愚痴飲み会、インターネット、SNS、そしてゲーム……
かつて日本で暮らしていた自分の、パッとしない人生をものの数秒でおさらいした。あまりの情報量に、鋭い頭痛を覚えて小さな体をふらつかせる。
それでも視線は、目の前の壁に飾られた地図から外せなかった。
このふざけた国名と、そして両親から聞いた覚えのある我が国の王子殿下のお名前が、前世でも聞き覚えのあるものだったのだ。
だが何よりも恐ろしいのは、自分の名前と家名、そして髪の色であり。
「……なんでわたしが、乙女ゲーのヒロインなんかに転生してるの……?」
頭痛の次に感じた寒気に、声を震わせる。
前世のリーアは、たしかにオタクではあった。自分の性別や詳しい享年こそ覚えていないものの、がっつりインドア派だった記憶はある。親戚に一人はいるであろう、職業・年齢不詳のおじさん/おばさん枠だったに違いない。たぶん。
そしてWEB小説もそれなりに嗜んでいたので、悪役令嬢ものや異世界転生ものにも覚えはある。
しかし前世の彼女の主戦場はWEB小説でも、少女マンガやヒストリカルロマンスでも、ましてや乙女ゲームなどでもなく――
「どうしたんだい、リーア? 可愛いお顔が台無しだよ」
眉間に深いしわを寄せて考え込む彼女の頭上から、柔らかな声がした。顔を上げると、声にお似合いの優しい顔立ちの男性がリーアを覗き込んでいる。彼女の父である男爵だ。
「ごめんなさい。地図の文字がね、あんまり読めなくて」
本当は読めないどころか熟読した結果のしかめっ面だったが、精一杯の愛らしい顔でごまかした。リーアは齢五歳にして、恐ろしいまでの美少女なのだ。ヒロインなのだから当然かもしれないが、眉を垂れさせて小首を傾げようものなら周囲の大人を残さず骨抜きに出来る。
現に父もデレッデレの笑顔になって、リーアを抱き上げては頬ずりをした。
「そうかそうかー。この地図はずいぶんと古いからね。ちょっと見づらいかもね」
「はい。でも古風で、素敵な地図だと思いますよ?」
「古風だなんて、難しい言葉を知ってるんだなぁ! リーアは可愛くて賢いなぁ!」
思わずまろび出た享年アラフィフの気遣いに、父はますますやに下がった。
「こんなに可愛くてお利口なら、きっと王太子妃だって夢じゃないぞ!」
「いやいや、それは絶対にないからね。うん」
しかし続く父の過ぎたる大望に、リーアは氷点下の声音でブスリと釘を刺した。年相応のあどけない表情から一転し、妙に老獪で冷めきった顔である。
娘の突然のスンッ……顔に、父はリーアを抱き上げたまま固まった。目だけはゆっくりと、まばたきを繰り返している。
そこへ彼女は畳みかけた。
「いいですか、お父さま? わたしは男爵家の、それも貧乏をちょっぴりこじらせてる平凡以下な家の娘ですよ?」
「あ、うん……そう、かもね……」
娘から正面切って「貧乏」「平凡以下」と断言され、父の顔色が悪くなる。目も潤んだ。
「わたしの顔が多少恵まれてる程度で、王家に嫁ぐだなんておこがましいです。分不相応です。それに小さい頃はお利口でも、大人になればだいたいパッとしなくなるんですよ。つまり凡人。世の中そんなもんです」
「そう、かなぁ……」
「そうです。なので上を目指すにしても、小金持ちの商人や子爵家辺りで手を打つのが妥当です。分相応です」
「はぁ……左様で、ございますか……」
父は最終的に、国のお偉いさんとご対面中のようなへりくだり口調になっていた。心なしか、腰も低くなっている。
しかし娘を溺愛しており、ついでに彼女を過大評価しまくりの父はしつこかった。その中途半端なスクワット体勢のまま、まさかの粘りを見せる。
「でも。自分のことをそこまで分かっている子なら、やっぱり玉の輿だって夢じゃ――あ、ううん、ごめんね。なんでもないよ」
が、その娘から視線だけで「口を縫い付けようか?」と凄まれて、大人しくお口を閉じた。
父への分からせに成功し、リーアは凛々しい表情で達成感を覚える。
(数多の悪役令嬢ものに出て来ては、汚ぇ花火と化した転生ヒロインどもみたいに、しょうもない野心をこじらせて犬死してたまるか。貧乏だけど一応貴族で、食べるのにも困らない家の美少女に生まれたのに。勿体なさすぎる)
そして胸の内で、己を戒める。
(わたしは絶対、高望みはしない。平凡で普通の日常を愛せ。王太子にも、他の攻略対象にも、というかゲーム関係者とは絶対に接触しない)
だって自分が転生したのは、乙女ゲーの皮を被ったバカゲーなのだ。
関係者と縁を持ったところで、百害あって一利なしであろう。




