0.5 老執事、セバスチャン
あの日から、僕は変わった。
部屋に閉じこもって泣くのはやめた。
変わるんだと、そう決めた。
父クロノはアロイスの申し出に深く頷き、すぐさま行動を起こした。
最初に屋敷に来たのは、王都の大学で教鞭をとる数学の教授だった。
彼は最初、僕を哀れむような目で見ていた。「魔力ゼロの落ちこぼれ貴族」への、慰めのような授業だと思っていたのだろう。
「いいですか、アロイス様。まずは基礎の計算から……」
僕は必死だった。
先生の言葉を一言も聞き漏らすまいとペンを走らせ出された課題に食らいついた。
遊んでいる暇なんてない。僕には「魔法」という翼がないのだから、自分の足で地べたを這ってでも進むしかない。
一週間後。
教授の目が驚きに変わった。
「……アロイス様。先週出した宿題は?」
「終わりました。先生、次の問題集をください」
「なっ、あれは一ヶ月分の量ですよ!?」
歴史の授業も、言語学も同じだった。
僕はわからない単語があれば辞書を引き、夜中まで教科書を読み込んだ。
最初はちんぷんかんぷんだった知識が、ある瞬間から頭の中で繋がり始める。それが楽しかったし、何より「昨日より賢くなった自分」だけが、僕の不安を消してくれた。
教師たちの評価は、次第に変わっていった。
「公爵閣下。ご子息は……凄まじいですな」
「教えれば教えるだけ吸収する。まるで乾いたスポンジだ」
「魔力がない分、他の感覚が鋭敏なのかもしれませんこのまま育てば、素晴らしい知性の持ち主になりますぞ」
ある晩。
机の上には、山積みになったノートと、使い潰されたペンの山。
父上はそれを手に取り、嬉しそうに、けれどどこか寂しそうに僕の頭を撫でた。
「……よく頑張っているな、アロイス。先生方も褒めていたぞ」
「まだです、父上。まだ足りません」
僕はペンを握り直した。
僕がいくら勉強しても、世間の目は冷たい。「でも魔法は使えないんでしょう?」という嘲笑が聞こえる気がした。
だから、もっと詰め込まないと。隙間なんてなくなるくらいに。
「……無理をしていないか?」
父上の大きな手が、僕の震える肩を包んだ。
「完璧でなくていいんだぞ。お前はまだ5歳だ。もっと遊んだり、甘えたりしても……」
「いいえ」
僕は父上を見上げた。
「僕は、父上と母上、それにセリナを守れるようになりたいんです。
力がなければ、知恵で。魔法がなければ、知識で。
……だから父上、もっと本をください。僕の頭をいっぱいにしてください」
父上は一瞬言葉を詰まらせ、それから力強く僕を抱きしめた。
「……ああ、わかった。お前が望むなら、世界のすべてを与えよう」
父上の肩越しに、僕は窓の外を見た。
この日々の積み重ねが、僕の基礎を作った。
勉学に励む日々には満足している。
魔法以外で周りを超える。
しかし、僕の中には魔法をまだ諦めきれていなかった。
魔法が使えないなら、魔法の「仕組み」を知り尽くせばいい。
父上の書斎にこもり、朝から晩まで活字の海に溺れる日々。
「……アロイス様。根を詰めるのも結構ですが、休憩も仕事のうちでございますよ」
本の塔の隙間から、重厚で落ち着いた声がかかる。
湯気の立つ紅茶を盆に乗せた、白髪の老紳士。
イニティウム家に50年仕え続ける古参の執事長、セバスチャンだ。
その背筋は老いを感じさせないほどピンと伸び、モノクルの奥の瞳は鋭く、しかし温かい。
屋敷の若い使用人たちが「落ちこぼれ」の僕を陰で笑う中、彼だけは違った。
「ありがとう、セバス。……でも、まだ休めない。この『魔力循環論』の数式、どこか矛盾があるんだ」
「ふむ。……東方帝国の古い論文によれば、その定数は『3』ではなく『3.14』と仮定する説もありますな」
セバスチャンがさらりと助言をくれる。
彼はただの執事ではない。先代、先々代の公爵にも仕え、その知識と武術の心得は達人の域にある。
そんな彼が、今はこの「無能」な僕に付きっ切りで仕えてくれている。
「……セバス。どうして僕なんかに構うの? 他の使用人みたいに、見限ればいいのに」
僕が自嘲気味に言うと、セバスチャンは眉をひそめ、静かに首を振った。
「アロイス様。私は長くこの家を見てきましたが……貴方様ほどの『才』を持ったお方はおりませんよ」
「才? 魔力ゼロなのに?」
「魔力など、飾りに過ぎません。……貴方様のその『諦めない心』と『真理を見抜く目』。それこそが、王者の資質でございます」
老執事は、シワの刻まれた手で紅茶を注ぎながら微笑んだ。
その言葉の重みが、孤独な僕の唯一の支えだった。
翌日。
イニティウム家で茶会が開かれた。
父上の古い友人である伯爵家が、娘を連れて挨拶に来たのだ。
名はエリザベス。金髪の巻き毛が特徴的な、人形のように可愛らしい少女だった。
実は、僕たちが生まれる前から、家同士で「婚約」の話が進んでいたらしい。
だが、僕が「魔力ゼロ」だと判明してから、向こうの態度は一変していた。
庭園のガゼボで、二人きりの気まずい時間が流れる
「…………」
エリザベスは、目の前の紅茶に口もつけず、僕の方を見ようともしない。
その肩は小刻みに震えていた。
「……あのさ、エリザベス嬢」
僕が声をかけると、彼女はビクリと反応し、堰を切ったように叫んだ。
「嫌ッ!!」
彼女は涙目で僕を睨みつけた。
「私、あなたとなんか結婚したくない!魔力ゼロなんて、貴族の恥よ! 泥だらけで剣を振るなんて野蛮だわ!どうして私が、こんな落ちこぼれの『お世話係』にならなきゃいけないの!?」
残酷な言葉が突き刺さる。
でも、不思議と傷つかなかった。彼女の言うことは 世間の常識そのものだからだ。
「……そうだね」
僕は静かに紅茶を飲んだ。
「君の言う通りだ。僕には、君を幸せにする魔法は使えない」
僕は立ち上がり、彼女に一礼した。
「父上には、僕から断っておくよ。『僕にはもったいない女性だ』ってね。
……だから、泣かなくていいよ」
「え……?」
エリザベスは驚いて僕を見た。罵られると思っていたのだろう。
「さようなら、エリザベス嬢。いい人と結婚できるといいね」
僕は背を向けて歩き出した。
これが、僕の最初の婚約の終わりだった。
(……いつか、魔力や家柄じゃなく、僕自身を見てくれる人が現れるのかな)
空白ふやしてみました。
こっちの方が読みやすそうですね。
今後はこれでいってみます。
誤字脱字、改善点などあれば教えてほしいです。




