第80話 私の中の愛しき敵
出撃前夜。
帝都ガラドの皇宮は、嵐の前の静けさに包まれていた。
私は、自室の鏡台の前で、髪を下ろしていた。
鏡に映る少女。黄金の髪、空色の瞳。
皇帝になってからは、吟遊詩人に世界で一番美しいと称される、可憐な容姿。
だが、その中身は、今や数万の人間を虐殺する計画を立てた、冷酷な独裁者だ。
そう、私は、かつての世界で、そう在ったはずだ。感情を殺し、ただ目的のためだけに生きた。
その記憶はまだ霧の中だが、身体に染み付いた冷徹な判断力だけは、この世界に来たとしても、いまだに衰える事はない。
(……ねえ。貴女は、怖くないの?)
不意に、脳内で声がした。
久しぶりだ。この甘く、震えるような声を聞くのは。
私の中にいる、もう一人の私。
ホパ村の村娘、リオ。
「久しいな……しばらく出てこなかったではないか。それとも、我々は混じってしまって、もう私も気づくことなくお前の統制をうけているということか? 今、この瞬間も。それなのに、怖い? 今さら何を。お前は私ではないか」
私は、鏡の中の自分に向かって、声に出して問いかけた。
傍から見れば狂人だが、構わない。今夜は、はっきりさせておく必要がある。
(だって、戦争よ? 毒ガスに、爆撃……。あんな酷いこと、本当にするの?)
「しなければ、私たちが殺される。それだけのこと」
(でも……罪のない人も、たくさん死ぬわ)
「罪がない人間なんていない。彼らは『神』を選び、思考を放棄した。その代償を払うだけよ」
私は冷たく言い放つ。
だが、鏡の中の私は、泣きそうな顔をしていた。
それは私の表情筋が勝手に動いているのか、それとも幻覚か。
「……単刀直入に聞く。貴女は、何?」
私は、ずっと抱いていた疑念を口にした。
「学園で分かったわ。あの『乙女ゲーム』の記憶。あれは、私を無力化し、幸福な鳥籠に閉じ込めるための何物かの罠だった。……なら、その主人公であるはずの貴女も、敵が仕込んだ『檻の番人』なんでしょう?」
私の合理的思考を邪魔し、情に訴えかけ、戦意を削ぐためのトラップ。そう、ゲーレンがいってた精神汚染ではないのか。
それが、村娘リオの正体だと、私は推測している。
エイデン王子に惹かれたのも、平穏を望んだのも、全ては私を「骨抜き」にするための機能に過ぎない、と。
(……そうかも、しれない)
脳内の声は、否定しなかった。彼女自身も、自分が何者なのか分かっていないようだ。
(私は、貴女に幸せになって欲しかった。戦いなんて忘れて、王子様と恋をして、ふわふわしたドレスを着て……。そう思うのが普通じゃないの。14歳の少女がこんな恐ろしい戦争を遂行するなんて異常だわ)
「なら、消えなさい。明日からの戦場に、貴女のような甘さは命取りになる」
私は、精神の深層で、彼女を拒絶しようとした。
だが。
(……嫌よ)
彼女は、頑として動かなかった。
ゲームとか何かの強制力か? いや、違う。もっと根源的な、強い意志。
(だって、貴女が死んだら、私も死んでしまうもの)
「……は?」
(私が誰かなんて、分からない。でも、私は今、ここにいる。貴女と一緒に、息をして、ご飯を食べて、笑って、泣いている)
脳内で、温かい何かが広がる。
それは、私が一番苦手とする「感情の奔流」のようなもの。
(貴女のやり方は、残酷で、見ていられないわ。……でも、貴女が誰よりも必死に、『生きよう』としていることだけは、分かるの)
リオの声が、少しだけ強くなった。
(誰が何と言おうとも、私は私よ。エイデン様を好きな気持ちも、メアリーを大切に思う気持ちも、全部私のものだわ。……だから、私は貴女を見捨てない。貴女が地獄へ行くなら、私も一緒に行って、隣で泣いてあげる)
「……泣かれても、迷惑なだけだ」
(いいえ。貴女は泣けないでしょう? だから、私が代わりに泣くの。それが、私の『役割』よ)
鏡の中の私が、ふわりと笑った気がした。
その笑顔は、聖女のように慈悲深く、そして共犯者のように悪戯っぽかった。
私は、ため息をついた。
やはり、この精神汚染は、除去不能だ。
敵が作った罠だとしたら、あまりにも人間臭く、そして厄介すぎる。
(……まあいいわ。正体不明のバグだが、この『生きたい』という強烈なエゴだけは利用できる。それは私に掛けられた死ぬなという呪いを何倍にも強化するだろう)
「……いいわ。連れて行ってあげる」
私は、鏡に向かって手を伸ばした。
「見ていなさい。貴女が愛するこの世界が、私の科学でどう変わるかを。……その時になって、やっぱり引き返したいなんて言っても、遅いわよ?」
(望むところよ。……相棒)
ふっ、と気配が溶けた。
私の中の異物が、馴染んでいく。
彼女は消えていない。私の心の、一番柔らかい場所に居座り、明日からの虐殺を、目を見開いて見届けるつもりだ。
それが、私にとって最大の「弱点」になるのか、それとも……。
「……おやすみ、リオ」
私は明かりを消した。
部屋は闇に包まれたが、不思議と、孤独ではなかった。
敵か、味方か。私が何者で、彼女が何者なのか。
その答えはまだ出ない。
だが、私たちは二人で一つ。狂った世界で生き残るための、歪な「共犯者」として、明日の朝を迎える。
その夜私は不思議な夢を見た。科学技術の発展した世界だが、元居た世界ではなく戦いのない平和な世界。
私のような存在のいない世界。
そこでは、普通に異世界転生小説や乙女ゲームを楽しむことが出来る世界だった。
これはリオの世界? 私が居た世界にも似たその平和な世界を、ただ羨望の気持ちで眺めていた。
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