第73話 適合者たちの進撃
ナブラ王国の王立魔法学園をあとにし、ロキヌス帝国の帝都ガラドへ帰還した私は、軍靴の泥を落とす間もなく作戦司令室へと直行した。
分厚い防音扉を開けた瞬間、鼓膜を叩いたのは、怒号と悲鳴にも似た報告の声が飛び交う、戦場の縮図だった。
そこには、大陸最強の軍隊と言われた帝国軍の参謀本部の姿はなかった。
巨大な作戦卓の上には帝国全土の精緻な地図が広げられ、赤い駒――ゲメリア神聖国軍――が、まるで動脈を食い破るウイルスのように、帝国領内深くへと侵食している様が無慈悲に示されている。
前線からの断末魔のような伝令が絶え間なく届き、参謀たちは顔面蒼白で、震える手で駒を進めていた。
「……遅かったか」
私が低く呟くと、作戦卓を囲んでいたシオン、そして帝国の軍事トップであるモルトケ参謀総長とスコルツェニー将軍が弾かれたように顔を上げ、敬礼した。
その表情は一様に憔悴しきっており、目には隠しきれない絶望の色が浮かんでいる。
「報告します、陛下! 事態は極めて深刻です!」
最初に口を開いたのは、白髪の老参謀、モルトケだった。常に冷静沈着な彼が、今は脂汗を流し、悲鳴のような声を上げている。
「北部国境の第一防衛線、突破されました! 敵の進軍速度は日速80キロを超えています! 補給や休息を一切無視した、生物としての限界を超えた進軍です! 兵站の常識が……戦争の理屈が、全く通じません!」
「第二防衛線の要塞都市バルムンクも沈黙! 最後の報告によれば、街全体が極大魔法の光に包まれ……そのまま、消滅した模様!」
「消滅、だと……? あの難攻不落のバルムンクが一撃で?」
「言い訳はいいわ。敵の戦力分析を。感情を排して事実だけを述べなさい」
私は上座に座り、足を組んだ。
アノンが私の背後に立ち、無言の圧を放つことで、パニック寸前の場を辛うじて鎮める。
「はっ……。侵攻してきたゲメリア神聖国軍……奴らは、軍隊の体をなしていません。あれは……意思を持たぬ生物兵器の群れです」
参謀総長のモルトケが声を上げた。
続いて答えたのは、巨躯の猛将、スコルツェニー将軍だった。
普段は戦場での殺戮を好む彼ですら、その顔には明らかな嫌悪と恐怖が張り付いている。
「閣下、奴らの主力……『聖堂騎士団』とかいう連中ですが、ありゃあ人間じゃねえ! 痛みを感じねえのか、手足を吹き飛ばそうが、ハラワタがずるりとこぼれ落ちようが、止まりゃしねえんです! それどころか、ニタニタと気色悪い笑みを浮かべながら、平然と魔法を撃ち返してきやがる! 死ぬことすら『神へのご奉仕』だとでも思ってんのか、自分の命を安い弾丸みたいに使い捨ててきやがります。 心が折れるなんてこたぁあり得ねえ。ありゃあ、死を恐れねえゾンビの軍団ですぜ!」
報告を聞く参謀たちの顔色が、さらに青ざめていく。
通常の軍隊であれば、損耗率が3割を超えれば部隊は崩壊する。だが、敵は最後の一兵になるまで、笑いながら殺しに来るというのだ。
「随伴戦力は?」
「そ、それが……信じがたい報告ですが……上空を飛行する敵影を確認。あれは……伝承にある『天使』そのものです」
モルトケが、震える手で資料を指し示す。
「天使ですって?」
「はい。背中から光の翼を生やし、人の姿をしていますが、その顔には感情がなく、ただ無機質に魔法の光を撃ち下ろしてくるのです。神の使いとしか思えぬ美しくも恐ろしい姿……。高高度からの正確無比な爆撃により、我が軍の陣地は次々と蒸発しております。前線の兵士たちは、これは戦争ではなく『神罰』だと恐れおののき、戦う前に心が折れている状況です」
「……天使、ね。適合率が極限まで高まった結果、人の形を保ったまま、より高次の何かへと進化した成れの果てか。あのゲーレンが空を飛んだのと同じ理屈ね」
私は冷たく分析する。空を飛べるということ自体が、彼らがもはや人間を辞めている証拠だ。
だが、絶望は空からだけではなかった。
「それだけじゃねえ。地上じゃ魔族の群れが、ゲメリアの兵隊と仲良く押し寄せてきやがります。 あの化け物ども、どういうわけか俺たちロキヌス兵だけを選んで襲ってきやがるんです。目の前にいるゲメリア兵には、指一本手出ししねえときた。 まるでデカい一つの意思に操られてるみてえに、気味が悪いくらい統率が取れてやがる……異常ですぜ、こいつは」
「……やはり、ね」
私は、メサリアでの戦いを思い出す。
あの時は、魔力測定器という「餌」を使って魔族を誘導し、敵を襲わせた。だが、今回はその手は使えない。
「陛下。以前のように、あの『遺物』を使って、敵の指揮系統を攪乱することはできないのですか?」
シオンがすがるような目で私を見る。
内政官である彼にとって、この理不尽な暴力の嵐は理解の範疇を超えているのだろう。
私は首を横に振った。
「無理よ。その『天使』たちは、神への適合率が極端に高いはずだわ。彼らはすでに人間としての個を捨て、神の一部として完全に組み込まれている」
魔族にとって、彼らは恐らくは「上位個体」として認識されている。だから、同士討ちは起こらないし、こちらの小細工も通じないでしょうね。
「つまり……地には痛みを知らぬ狂信者と無尽蔵の魔族が溢れ、空からは天使が魔法を雨のように降らせる。しかも、個々の魔法火力と再生能力は桁違い、ということか」
アノンが、冷静に、しかし絶望的な分析を加える。
「従来の密集陣形や城壁に頼った防衛戦では、天使の空爆と魔法の集中砲火で蒸発させられるだけだ。機動力でも火力でも、そして兵士の質でも負けている。……詰んでいるな」
室内に、重苦しい沈黙が落ちた。
モルトケもスコルツェニーも顔を見合わせ、シオンでさえも顔色を失っている。中世レベルの戦争常識では、これは「敗北確定」の状況だ。
魔法が全てのこの世界で、魔法戦において圧倒的に劣り、神に愛されていない我が軍に、勝機など万に一つもない。
誰もがそう思った。死を覚悟した空気が、司令室を支配する。
だが。
「……面白いじゃない」
私の口から漏れた言葉に、全員がぎょっとして私を見た。
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