閑話 猛獣が首輪を付け替える日
帝都は地獄と化していた。 突如として現れた魔族の大群が、市街地を蹂躙している。 俺は愛用の戦斧を振るい、群がる魔族を肉片に変えながら、宮殿の地下へと急いでいた。
「退け! 雑魚どもが!」
俺の筋肉が軋みを上げ、戦斧が一閃されるたびに、石畳が血で濡れる。 だが、俺の心にあるのは焦燥だけだった。 魔族の狙いは、明らかにこの宮殿――そして、聖域で行われている「皇帝陛下の講話」だ。
「陛下……ッ!」
俺は、カイゼル陛下を崇拝していた。 高潔だからではない。最強の魔力を持ち、力こそ正義と体現する「強者」だからだ。 帝国の守護者たる俺が、その頂点をお守りするのは当然の理。
聖域の重厚な大扉の前までたどり着く。 扉は内側から固く閉ざされていた。 外の魔族の侵入を防ぐためだろう。中には、講話を聞きに来た多くの貴族や民衆が取り残されているはずだ。
俺は全身の魔力を込めて扉を蹴り飛ばし、中へと躍り込んだ。
「陛下! 救援に参りま……」
だが、俺の叫びは、喉の奥で凍りついた。
そこは、外とはまた違った種類の「地獄」だった。
広い聖域を埋め尽くす貴族や民衆たちは、誰一人として動いていなかった。 逃げることも、叫ぶことも忘れ、ただガタガタと震えながら、中央の演台――今は瓦礫の山と化したステージを凝視していた。 外には魔族。中には「これ」だ。彼らには逃げ場などなかったのだ。
俺もまた、彼らの視線の先を見て、息を呑んだ。
粉砕された床。へし折られた柱。 その中心に、異形――鉄の巨人が鎮座していた。 だが、俺の目を奪ったのは、その怪物ではない。
その怪物と対峙している、一人の「影」だ。
小柄で、華奢な身体。身につけているのは、ナブラ王国の学校制服か? どこの誰かは知らんが、たった一人で、あの鉄の暴風の中に立っている。
鉄の巨人が振るう六本の腕――回転刃、高熱カッター、杭の嵐。 少女はそれを、魔法障壁で防ぐわけでもなく、ただ純粋な体捌きだけで紙一重ですり抜けていく。
「な……ッ!?」
周りの民衆と同じ場所で、俺はその光景に釘付けになった。 魔法による身体強化の光が見えない。 あれは、研ぎ澄まされた純粋な筋肉のバネと、異常なまでの空間把握能力によるものだ。 俺が魔法使いでありながら追い求めてきた、「物理の極致」がそこにあった。
だが、戦況は絶望的だ。少女のナイフは弾かれ、決定打がない。 ……助太刀すべきか? そう思い、俺が戦斧を握りしめた時だった。
少女が疾走した。逃げるのではない。 あろうことか、逃げ惑う陛下を背後から羽交い締めにし、鉄の巨人の射線上に引きずり出したのだ。
「ひぃッ!」「陛下を……盾にしただと!?」
周囲の民衆から悲鳴が上がる。 「なんてことを!」「神をも恐れぬ所業!」 罵声が飛ぶ中、回転し始めた鉄の筒が、ピタリと止まる。 鉄の怪物は、主を撃てずに沈黙した。
俺の背筋に、ゾクリとした戦慄が走る。 卑怯? 外道? いいや、違う。 あれは、究極の「戦闘センス」だ。 敵の思考回路を読み切り、使えるものは「皇帝」であろうと利用する。その躊躇のなさ。
さらに異常なことが起きた。 少女が陛下の口に何かをねじ込んだ直後、陛下が異形の怪物へと変貌し、暴走した魔力で極大魔法を放ち始めたのだ。 聖なる光の奔流が、少女を直撃する。
「ああっ!?」
誰かの絶叫。だが、俺の目は確かに捉えた。 光の槍が、灼熱の炎が、少女の身体を「素通り」したのを。 まるでそこには何もないかのように、魔法が彼女を認識せずに通り過ぎ、背後の鉄の巨人を直撃したのだ。
「なぜだ……なぜ効かぬ!?」 化け物と化した陛下が叫んでいる。俺も同じ気持ちだ。 だが、少女は無傷で佇んでいる。
そして、決着の時。 陛下の放った光の奔流が巨人を貫き、鉄の悪魔が崩れ落ちる。 残ったのは、魔力切れで肩で息をする、醜い怪物(元皇帝)だけ。
少女は、土煙の中を、ゆっくりと歩み寄る。 その手には、見たこともない奇妙な形の、黒い鉄の塊が握られていた。 彼女は、その鉄塊の先端を、怪物の眉間に突きつけた。
「や、やめろ……!」
逃げ場のない民衆たちが、絶望のあまり顔を覆う。 だが、俺は見た。瞬きすら惜しんで、その光景を目に焼き付けた。 魔法障壁? 信仰? 権威? そんなものは、彼女の前では紙切れ以下の価値もないのだと、その立ち姿が告げていた。
タタンッ!
乾いた破裂音が、聖域の静寂を引き裂いた。 何が起きたのか、俺の目には見えなかった。 ただ、怪物の頭が弾け飛び、巨体が崩れ落ちたという事実だけが残った。
しん、と静まり返る聖域。 貴族や民衆は、恐怖のあまり声も出せず、ただガタガタと震えている。 外には魔族、中には皇帝殺し。彼らにとって、ここは逃げ場のない処刑場であり、「帝国の終わり」に見えただろう。
だが、俺は違った。
少女は、感情の読めない青い瞳で、皇帝の死体を見下ろしている。 名前も知らぬその少女の姿は、俺が夢想したどんな戦乙女よりも、残酷で、美しかった。
(ああ、これだ)
俺の魂が、歓喜の咆哮を上げる。 俺が仕えるべきは、魔法という虚飾に守られた豚ではない。 魔法を無効化し、未知の武器で皇帝すら屠る、この「本物の暴力」だ。
少女がふと顔を上げ、俺たちがいる群衆の方へ視線を向けた気がした。 民衆が「ひぃッ!」と悲鳴を上げて後退る。
だが、俺はその場から動かなかった。 恐怖? まさか。 俺は震える手で戦斧を離すと、その場に音を立てて両膝をついた。 周りの貴族たちが、狂ったのかという目で俺を見る。 構うものか。お前ら羊にはわかるまい。
俺は床に頭を擦り付け、祈るように、しかし生涯で最も晴れやかな気分で、心の中で告げた。
(いいえ、陛下)
俺は、死体の山の上に立つ、新たな支配者を見上げた。 どこの誰かは知らん。だが、この圧倒的な強さこそが、俺の新しい「皇帝陛下」だ。
(この帝国将軍スコルツェニーの命と暴力。これより全て、貴女様に捧げましょう)
俺はひれ伏したまま、口元が吊り上がるのを止められなかった。 周りの羊たちは絶望しているが、俺には希望しか見えない。
彼女となら始められる。 最高に愉快な、蹂躙を。
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