第68話 建国記念舞踏会
ホール中の視線が、私と、目の前で跪くエイデン殿下に突き刺さる。
彼の、あまりにも真っ直ぐな瞳。差し出された、大きな、温かい手。
その手を取れば、きっと、もう、引き返せなくなる。
そう、頭のどこかで、冷静な誰かが警告している。
(……断る、という選択肢が、なぜか、浮かばなかった)
私は、まるで何かに導かれるように、そっと、自分の手を、彼の手のひらに重ねた。
彼が、嬉しそうに、花が綻ぶように、微笑む。その笑顔だけで、私の心臓が、また一つ、大きく跳ねた。
彼に導かれ、ワルツの輪の中へ。
引き裂かれたスカートが揺れ、太腿に括り付けたホルスターの革ベルトが、シャンデリアの光を鈍く反射する。
だが、エイデン殿下はそんな異様な装いなど目に入らないかのように、私の瞳だけを見つめていた。
優雅な三拍子のリズム。だが、私の体は、合理的な戦闘機動しか知らない。
案の定、最初の一歩で、私は、彼のつま先を、思いっきり踏みつけてしまった。
高いヒールで。
「あ……! も、申し訳……!」
顔から火が出そうだ。皇帝として、これ以上の失態はない。
だが、エイデン殿下は、痛がる様子も見せず、ただ、優しく微笑むだけだった。
「大丈夫だよ、リオ姫。……僕に、全部、預けてみて」
彼は、そう言うと、私の腰を支える手に、そっと力を込める。ぐっと、二人の距離が近づいた。
彼の、落ち着いた心臓の鼓動が、ドレス越しに伝わってくる。薔薇のコサージュが、ふわりと甘く香った。
「……っ」
「ほら、僕の足だけを見て。そう……」
彼の囁く声と、優しい眼差しに導かれて、私の体は、少しずつ、強張りを解いていく。
くるり、と回されるたびに、視界の全てが溶けて、色と光の渦になる。その中心に、彼だけがいる。
腰のナイフの重みも、背中の爆弾の冷たさも、この瞬間だけは忘れてしまいそうになる。
ただ、彼に身を委ね、この光の渦の中で、回り続けるこの時間が、永遠に続けばいい、とさえ、思ってしまった。
一曲が、終わる。
夢のような時間からの覚醒に、私は、少しだけ、寂しさを感じていた。
「……ありがとう、ございました」
「こちらこそ。……リオ、君は、本当に……」
彼が、何かを言いかけた、その時だった。
私たちの間に、割り込むように、一つの影が落ちる。
「ご苦労だったな、兄上。無様な子供の足踏みは、もう見飽きた」
セラス第二王子。
彼は、有無を言わさぬ態度で、私に、手を差し出した。
「次は、僕と踊れ。皇帝陛下」
「セラス! なんて無礼な……!」
「いいのです、エイデン殿下」
私は、二人の間で、これ以上、面倒なことになるのを避けるため、エイデン殿下の手をそっと離し、セラス殿下の手を取った。
その瞬間、彼は、獰猛な笑みを浮かべ、私の体を、強引に引き寄せた。
エイデン殿下の、ゆったりとしたリードとは、全く違う。
力強く、正確で、まるで、私の全てを支配しようとするかのような、傲慢なダンス。火花が散るような、激しいステップ。彼の瞳が、挑戦的に、私を射抜く。
だが、不思議と、彼のリードには、一歩も、踏み外すことがなかった。
「……その物騒なオモチャをぶら下げたまま踊るとは。思ったよりは、マシだな。それとも、僕のリードが、それほどまでに優秀だということか」
耳元で囁かれる、皮肉のこもった声に、私の顔が、また、熱くなる。
「……殿下こそ、随分と、強引ですのね」
「僕は、欲しいと思ったものは、常に、力ずくで手に入れてきた」
彼は、そう言うと、私の腰を抱く手に、さらに力を込めた。
心臓が、先ほどとは違う、危険な速さで、高鳴っている。負けたくない。彼の強引なリードに、食らいついていきたい。そんな、子供っぽい感情が、胸の奥から湧き上がってくる。
◆
その、華やかな光景を、ホールのテラスから、二人の男女が、冷ややかに見つめていた。
一人は、この国の公爵令嬢、セレニティ・ナイジェル。
そして、もう一人は、ゲメリア神聖国の司祭であり、彼女が聖女修行でかの国に滞在していた頃からの知人、ユリウスと名乗る男だった。
「……見苦しいですわね」
セレニティが、扇で口元を隠しながら、吐き捨てる。
彼女の嫉妬に満ちた視線は、セラスと密着して踊る、リオの姿に注がれていた。
「あの破れたドレスは、一体何ですの。まるで浮浪者のようななりで、聖なる舞踏会を穢して……。エイデン殿下だけでなく、あろうことか、わたくしの婚約者であるセラス様まで誑かすとは。まさに、国を傾ける魔女ですわ」
その辛辣な言葉に、ユリウスは、聖職者らしい、穏やかな笑みで相槌を打った。
「お言葉ですが、セレニティ様。私には、彼女は、ただのふぬけた少女にしか見えませんが」
「……何ですって?」
「私どもゲメリアでは、ロキヌスの新皇帝は、冷酷非道な怪物だと、そう噂されておりました。ですが……」
ユリウスは、楽しげに踊るリオの姿に、侮蔑の視線を向ける。
「今宵、私が見たのは、何ですか。破れたドレスで注目を集め、二人の王子の間をふらふらと行き来する、ただの恋に狂う小娘。……正直、拍子抜けです。あれが、本当に、かの魔導皇帝を討った人物なのでしょうか」
その言葉は、セレニティのプライドを、大いに満足させた。
「ええ、その通りですわ、ユリウス様! あの女など、所詮は、まぐれで成り上がっただけの田舎娘。ただの虚仮威しにございますわ」
「はは、貴女様がそう仰るのなら、きっと、そうなのしょう。しかし、主はなぜあのような女を……」
ユリウスは、そう言って、グラスのワインを飲みほした。
◆
曲が終わる頃には、私は、完全に、実験も忘れて、のぼせあがっていた。
二人の王子に、心を、かき乱されて。
(どうすればいいの、こんな気持ち……)
自分が誰なのか、という、あの切実な問いさえも、霞んでしまうほど。
私は、ただの、恋に戸惑う、一人の乙女になっていた。
この世界の異物である私は、彼らの思いに答える事は、決して出来ないのに
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