第67話 裂かれたドレスと鋼鉄の淑女
アノンとの話を終えた私は、複雑な気持ちを抱えたまま、舞踏会の準備のために、自室へと戻った。
扉を開けた、その瞬間。私は、空気が凍り付いているのを感じた。
部屋の主役であるはずの、あの美しいドレスは、無かった。
いや、かつて、ドレスだったものが、床の上に、無惨な骸となって、散らばっていた。
星屑を散りばめた夜空は、鋭利な刃物によって、無数に引き裂かれ、純白であるはずのレースには、どす黒いインクの染みが、まるで血痕のように、べったりと付着していた。
(こ……これは、乙女ゲームの定番イベント。主人公のドレスが汚される嫌がらせ。犯人はわかっているが、そんなことよりも、舞踏会直前にこれが発生したということは、私はヒロインとしてうまくゲームのシナリオに乗っていると言う事になるか)
その中央に、メアリーが、立ち尽くしていた。
彼女は、ゆっくりと、本当に、ゆっくりと、こちらを振り返る。
その顔からは、一切の表情が抜け落ちていた。
「あああああ! わたくしの……! わたくしの、ドレスが……! リオお嬢様の、晴れ舞台が……!」
彼女は、その場に泣き崩れる。それは、絶望の叫びだった。
私は、ただ、黙って、床に散らばる布の残骸と、号泣する彼女を、静かに見下ろしていた。
◆
その頃。学園の、人気のない一室。
数人の令嬢が、息を殺して、震えていた。
「や、やったのね……?」
「ええ……。お嬢様の指示通りに……」
一人の令嬢が、震える手で、インクに汚れた小さなナイフを、テーブルの上に置く。
「だ、大丈夫よ……! ここはナブラ王国よ! いくら皇帝でも、ドレスを少し汚したくらいで、手出しはできないはず……! そうでしょう!?セレニティ様が守って下さるわ」
リーダー格の令嬢が、自分に言い聞かせるように、声を張り上げる。
だが、その声は、恐怖で上ずっていた。
――もし、私たちが怒らせた相手が、セレニティ様、いやナイジェル公爵家でも抑えきれない相手だとしたら?私達は?いや、ナイジェル公爵家につかえる私達の家門は。
その想像が、彼女たちの心を、氷のように、冷たく蝕んでいた。
◆
メアリーの絶望的な嗚咽に包まれていた。
床には、かつてドレスだったものの、無惨な骸が散らばっている。
「……もう、おしまいです……。舞踏会には、間に合いません……」
泣き崩れる彼女を、私は、ただ静かに見下ろしていた。
幼稚な嫌がらせ。
だが、メアリーの心を折り、私をこの舞台から引きずり下ろすには、十分すぎる一撃だ。
……だが、その前提が、根本的に間違っている。
「……メアリー」
「はい……なんでございましょうか、お嬢様……」
「手伝って」
私が、その破れたドレスの、比較的、形の残っている上半身部分を手に取ると、メアリーは、信じられないものを見るかのように、目を見開いた。
「お、お嬢様……? まさか……!?」
「問題ない。これでも、布の面積は足りている」
私は、淡々と、破れたスカート部分を、動きやすいように、さらに引きちぎる。まるで、戦場で服を裂いて、包帯を作るかのように。
「お待ちください! お待ちくださいませ、お嬢様! そのような、そのようなお姿で、舞踏会へなど……! 帝国の、そしてサンジェルマン公爵家の恥になります!」
「大丈夫よ、メアリー」
私は、鏡に映る自分の姿を一瞥する。アシンメトリーにも程がある、ボロボロの前衛的なデザイン。いや、これはデザインではなく、ただの引きちぎられたドレスだ。ほつれた糸や垂れ下がったフリルが痛々しい。貴族令嬢が見れば、卒倒するだろう。
「最初からこれなら、何があったとしても、貴女に私がドレスをダメにしたと疑われなくて済むでしょう?最初からボロボロなんだから」
「そういう問題ではございません!」
「そうそう。舞踏会といえば……」
「そうですわ、舞踏会と言えば、煌びやかな宝石で作られたアクセサリーが外せませんわ。お嬢様は皇帝陛下で、公爵令嬢でもあるわけですから、参加されている女性陣のなかで、間違いなく最も位が高いお方です。この大粒ダイヤのネックレスを……」
「いや、強力な武器よ」
前回の王宮での舞踏会で、素手で戦う羽目になった苦い思い出がよみがえる。
今回は、しっかりと愛用のナイフと自動拳銃《CZ75》を体に括り付ける。
科研謹製の新型爆弾も装着。
「お嬢様~一体何をしに、舞踏会に行くんですかぁ」
メアリーの悲痛な叫びを背に、私は、部屋の扉を開けた。
◆
王立魔法学園、大ホール。
きらびやかなシャンデリアの光が、着飾った貴族たちの宝石やドレスに反射し、眩いばかりの光の洪水を生み出している。優雅なワルツの音色と、楽しげな談笑の声。誰もが、この夜の主役は自分だと、信じて疑っていなかった。
その、瞬間まで。
『――ロキヌス帝国皇帝陛下、リオ・フォン・ロキヌス様、ご入場!』
朗々とした声が響き渡り、会場の全ての視線が、開け放たれた扉へと注がれる。
そして、静寂が、訪れた。
ワルツが、止まる。談笑が、途絶える。
入場ゲートに立っていたのは、噂に名高い、若き皇帝。
陽の光を吸い込んだような黄金の髪、澄み切った空色の瞳を持つ、絶世の美少女。
だが、彼女がその身に纏っていたのは、誰の想像をも絶する、異様なドレスだった。
いや、それはドレスではなく、残骸だった。
上半身は、かろうじてドレスの形を保っている。だが、スカートは、まるで獣に引き裂かれたかのようにズタズタで、そこから覗く脚には、物騒なナイフホルダーまで巻かれていた。
それは、あまりにも場違いで、あまりにも冒涜的で、しかし、あまりにも、彼女という存在を、雄弁に物語る、一着だった。
会場の隅で、セレニティとその取り巻きたちは、顔を青ざめさせていた。計画は、成功したはずだった。彼女は、泣きながら部屋に閉じこもるはずだった。なのに、なぜ。なぜ、あんなにも堂々と、あの引き裂かれたドレス姿で、ここにいるのか。
セラス王子は、一瞬、呆気に取られた後、耐えきれないといった様子で、喉を鳴らして笑った。「……はっ、本当に、とんでもない女だ」と、その瞳は、獲物を見つけた獣のように、爛々と輝いていた。
だが、その中で、ただ一人、即座に行動を起こした者がいた。
エイデン第一王子。
彼の顔は、驚愕から、深い憂慮へ、そして、この仕打ちをした何者かへの、冷たい怒りへと、瞬時に変わった。
◆
彼は、凍り付いた周囲の空気など意にも介さず、まっすぐに、私の元へと歩み寄る。
そして、私の目の前で、深く、深く、騎士の礼をとった。
差し出された、彼の手。
会場中の誰もが、固唾をのんで、その光景を見守っている。
「リオ姫。今宵、この会場の誰よりも、貴女が一番美しい」
彼の声は、静かだったが、ホール全体に響き渡るほど、凛としていた。
「……どうか、私と、最初の曲を踊っていただけませんか」
私は、ただ、静かに、目の前に差し出された、彼の温かい手を見つめていた。
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