第65話 私の苦手なこと
寮にある自室のベッドに身を横たえ、私は、昨日の出来事を反芻していた。
図書館での、セラス第二王子との、あの奇妙なやり取り。
(……一体、何だったんだ)
私の言葉に、顔を真っ赤にして、何かを言いかけて、結局、何も言えずに逃げるように去っていった、彼の姿。
そして、すれ違いざまに聞こえた、「とんでもない女だ」という、あの呟き。
侮蔑しているようで、どこか悔しそうでもあり、そして、ほんの一瞬だけ、楽しそうにも見えた、あの複雑な表情。
理解、できない。
彼の行動原理は、兄であるエイデン殿下以上に、私の思考の範疇を超えていた。
ただ、一つだけ確かなのは、彼が私を見る目が、以前の「見下すべき格下の存在」から、全く別の何かに変わったということだ。それが、今後の私の実験に、どのような影響を与えるのか。
(……変数が増えすぎている)
私は、思考を打ち切るように、小さくため息をついた。
◆
その翌日。
学園の掲示板の前に、ひときげわ大きな人だかりができていた。
女生徒たちの、甲高い、興奮したような声が、廊下にまで響いてくる。
「まあ! 今年も、建国記念舞踏会ですって!」
「今年はどんなドレスを着ていこうかしら!」
「エイデン殿下は、どなたをお誘いになるのかしら……!」
掲示されていたのは、年に一度、王立魔法学園で開かれる、最も大規模で、最も華やかな祭典の告知だった。王族や、王国中の有力貴族が一堂に会する、一大社交イベント。
(……最悪)
その告知を遠巻きに眺めながら、私は、心の中で悪態をついた。
【社交】【恋愛】【学校】――魔法を除く私の三大苦手要素が、完璧に凝縮されたイベント。
以前の舞踏会ではゲーレンの襲撃で、ある意味、うやむやになった。
だが、今回はそうもいかないだろう。
ロキヌス皇帝として、そして、大聖女候補として、この国の王子たちと顔を合わせている以上、不参加という選択肢はあり得ない。
これもまた、記憶にあるゲームの一大イベント。私が遂行すべき「実験」の一環のはず。私は「ヒロイン」として参加しなければいけない。
でも、考えただけで、うんざりする。
心が、おかしくなってしまうからだ。
だが、その憂鬱な気分とは裏腹に、事態は、私の知らないところで、急速に動き始めていた。
◆
その日の午後、第一王子専用の訓練場。
エイデンは、従者から差し出されたタオルで汗を拭いながら、決意に満ちた目で、従者に告げた。
「建国記念舞踏会の件だが、もちろん、私は、リオ姫をエスコートする」
その言葉に、驚きはない。彼の心は、あの日、劇的な再会を果たした時から、完全に決まっていた。
「準備はいいか。ただ誘うだけではだめだ。彼女に、最高の思い出を贈りたい。王宮の温室に、今、最も美しく咲いている花は何だ? それから、彼女が好きな白詰草も、用意できないか?」
生死の淵から戻ってきた、彼のたった一人の「思い人」。
彼女を、今度こそ、自分が守り、そして、世界で一番、幸せな女性にするのだ。
その決意が、彼の全身から、輝くように溢れていた。
一方、その頃。第二王子セラスもまた、自室で、従者からの報告を受けていた。
「……ふん、舞踏会、か。あの女も、もちろん参加するのだろうな」
「はっ。ロキヌス皇帝陛下として、正式にご招待が届いているはずです」
「そうか」
セラスは、口元に、挑発的な笑みを浮かべた。
彼の脳裏に、昨日の、図書館での光景が蘇る。
自分の常識を、プライドを、いとも容易く打ち砕いてみせた、あの少女。
生意気で、腹立たしくて、そして、今まで出会った、どの人間よりも、面白い。
「……あの女、満足にダンスなど、できるのか?」
「さあ……サンジェルマン公爵令嬢として、一通りの作法は、身につけておられるかと」
「どうだかな。見てみたいものだ。あの、とんでもない女が、僕の前で、どんな顔をするのかを」
それは、兄への対抗心か、あるいは、ただの好奇心か。
彼自身、まだ、その感情の正体に気づいてはいなかったが、彼の心もまた、舞踏会で、あの少女――リオと再会することを、確かに、望んでいた。
◆
そして、その日の夕方。
私が、退屈な授業を終えて、自室に戻ると、そこには、普段の十倍はあろうかという、尋常ならざる闘気を放つ、侍女メアリーの姿があった。
彼女は、広げられた設計図のようなものと、山と積まれた最高級の生地を前に、瞳を爛々と輝かせている。
「お帰りなさいませ、リオお嬢様!」
「……メアリー。その、禍々しいオーラは、一体……」
「ご覧くださいませ! 建国記念舞踏会の告知でございます!」
彼女が、一枚の羊皮紙を、恭しく、しかし有無を言わさぬ迫力で、私に突きつける。
「今度こそ! 今度こそ、このメアリー、持てる全ての技術と情熱を注ぎ込み、お嬢様を、この舞踏会の、いえ、この世界の、誰よりも輝く『華』として、咲かせてご覧にいれます!」
彼女は、固く、固く拳を握りしめている。その瞳には、炎が宿っていた。
「もう、刺客の血で汚されるなどという悲劇は、繰り返させません! どのような衝撃にも耐え、どのような汚れも弾き、そして、何人たりとも、お嬢様の美しさを損なわせることのない、完璧で、究極のドレスを、この手で……!」
(……また、始まった)
私は、遠い目をしながら、彼女の情熱的な演説を聞き流す。
どうやら、私の知らないところで、私のあずかり知らぬところで、嵐は、もう、すぐそこまで、迫っているらしかった。
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