第58話 遺産
血の匂いと、硝煙の香りが、まだ微かに残っていた。
聖域を支配していた戦いの嵐は、今や、潮が引くように消え去っている。
私の足元には、神の代行者を名乗った男の骸。
その傍らには、完全に沈黙した、前世の殺戮機械の残骸。
「……終わった、のか」
アノンが、二人の護衛を斬り伏せた刀を、静かに鞘へと納める。
◆
その後の数日間、帝都ガラドは、激動の渦中にあった。
夜明けと共に、城壁の外で繰り広げられていた魔族と帝国第三軍との死闘は、両者が互いを喰らい尽くす形で、凄惨な終結を迎えていた。
そこへ、シオンが動いた。
彼が率いる革命軍は、帝都から「一時撤退」していた兵力を再集結させ、混乱の極みにあった帝都へと進駐したのだ。
彼らは、相打ちとなって消耗しきっていた魔族と帝国軍の残党を、完全に「掃討」。
そして、備蓄していた食料を解放し、飢えと恐怖に震える民衆に配給し、街の治安を、驚異的な速度で回復させていった。
同時に、彼らは、一枚のプロパガンダを、帝都中に撒き散らした。
『――圧政者カイゼルは、その邪悪さ故に、魔族を呼び寄せた! だが、我らが革命軍は、東より現れた聖女様と共に、その両方を打ち破った! 彼女こそが、我らを解放する、真の救世主である!』と。
そして、皇帝カイゼルの死から、七日後。
皇宮の玉座の間に、帝国の貴族、官僚、聖職者たちが、不安と野心に満ちた顔で集められていた。
彼らの前に、現れたのは、私だった。
豪奢なドレスではない。皇帝の軍服を、私の体に合わせて仕立て直した、黒く、機能的な衣装。
「これより、私が、このロキヌス帝国を統治する」
私の、その短い言葉に、反論する者は、誰もいなかった。
皇帝を殺し、魔族と帝国軍を退け、そして今、帝都の全てを掌握した、この小柄な少女に逆らうことが、何を意味するか。
皇帝の処刑を見た彼らは、本能で理解していたのだ。
そして、血の粛清が始まる。私にケンカを仕掛けてきたメルギド伯などの敵対者は、軒並み逮捕拘禁され、結論の決まった形式的な裁判にかけられることになるだろう。
こうして、私は、この異世界に来てから、わずか数ヶ月で、一国の絶対的な支配者――皇帝の座に就いた。
◆
皇帝として即位してから数日後。
私は、アノンだけを伴い、再びあの黒曜石の聖域へと足を踏み入れていた。
皇帝カイゼルの亡骸はすでに丁重に(シオンの指示で)運び出されたが、広間の中央には、あの殺戮機械――キマイラの残骸が、巨大な墓標のように横たわっている。
「……アノン」
「何だ、破星」
「シオンに、彼の最も信頼できる部下を送るよう伝えて。この『ゴーレム』を、解体させるわ」
私は、戦闘の痕跡が生々しく残る、キマイラの装甲を指でなぞりながら言った。
私の瞳は、その残骸を、もはや脅威としてではなく、あり得ないほどの価値を持つ、宝の山として捉えていた。
(主動力炉は、自爆で誘発された過負荷で融解している。胴体フレームも修復は不可能……。だが、四肢を駆動させていたサーボアクチュエータは、ほぼ無傷。装甲版に使われているのは、この世界の冶金技術では到底再現不可能な、セラミック・チタンの複合合金。……そして、あのガトリングガン。弾薬さえ再現できれば、これ以上ない対人兵器になる)
「この残骸の、ネジ一本、配線の一筋に至るまで、全てが、前世の科学技術の結晶よ。その全てを、慎重に回収し……帝都に新設する、科研の中央本部へ、ね」
私は、決然として、アノンに命じた。
「これこそが、私たちの新しい力の、礎となるのだから」
そして、私たちは、キマイラがせり上がってきた、奥の奈落へと、足を踏み入れた。
そこは、単なる格納庫ではなかった。
埃一つない、静謐な空間。
壁も床も、天井も、全てが、ホパ村の洞窟と同じ、淡い燐光を放つ金属でできている。
そして、そこには、私が前世で見ていたものと、全く同じ光景が広がっていた。
――実験室だ。
シャットダウン状態のコンピュータ端末が、ずらりと並び、その奥には、高度な科学機器であることが一目で分かる装置の数々が、静かに眠りについている。
(……まるで、時が止まっているみたい)
ここは、この魔法世界に、不自然に穿たれた、前世の孤島。
私の心の奥底で、忘れていたはずの、科学をもてあそぶ魂が、歓喜の声を上げていた。
私が、中央にある最も大きなコンソールに、そっと手を触れた、その瞬間。
ウィィィン……という、低い起動音と共に、室内の装置が一斉に光を灯し始めた。
そして、コンソールの前から、青白い光の粒子が立ち上り、一つの、人型を形作っていく。
そこに現れたのは、あの、漆黒の仮面をつけた男――ゲーレンの、立体映像だった。
『――破星。お前が、これを見ているということは』
ホログラムのゲーレンは、まるで、私がここに現れることを、完全に予測していたかのように、語り始めた。
その声は、生身で聞いた時と同じ、感情の読めない、平坦な響きを持っていた。
『皇帝を排除し、守護者であるキマイラを、乗り越えた、ということか。取り合えず試験は、合格、といったところだな』
試験……?
『私は、お前の味方ではない。あくまで、お前の行動を観測し、その価値を判断するだけだ』
ゲーレンは、続けた。
『この場所を与えた以上、計画を遂行するに足る、確かな実力を私に示してみせろ。お前にできるかな』
ホログラムのゲーレンは、それだけ言うと、ノイズと共に、掻き消えた。
残されたのは、再び静寂を取り戻した実験室と、呆然と立ち尽くす、私とアノンだけだった。
「……」
アノンは、何も言わずにそれを眺めていた。
(……ふざけないで)
私の胸の奥で、激しい怒りが、込み上げてきた。
試験? 計画?
誰が、そんなものを、お前に頼んだ。
私は、ただ、生き延びたいだけだ。平穏に、普通に、生きたいだけ。
そのために、皇帝になり、帝国を手に入れた。
なのに、この男は、その私のささやかな願いを、得体のしれない「計画の遂行」へと、勝手にすり替えようとしている。
だが、同時に、否定できない高揚感があることも、事実だった。
彼の言う「計画」は、皮肉にも、私が「生存」のために描いた、壮大な計画と、完全に、一致しているのかもしれない。
ゲーレンは、私の背中を押している。いや、私が進むべき道を、初めから示していた。
私は、目の前で、静かに光を放つ、科学機器へと、手を伸ばした。
「彼の計画も、この魔法世界に……科学文明を作り出せということなのか」
その言葉は、誰に言うでもなく、ただ、虚空に消えた。
「上等じゃない。やってやろうじゃないの。でも、それは、あんたの『計画』のためじゃない」
私は、振り返り、アノンを見た。
「――全て、私が、生き残るためよ」
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