第7話 旅立ち
ホパ村は滅びた。
私たちは、その静かな骸に背を向け、歩き出した。
生き残った子供たちに食料探しの旅に出るとだけ伝え、私とアノン、そして唯一の道案内役であるバーンの三人は、領主の街メサリアを目指す。
ごく僅かな干し肉と水袋、そして棺から見つけた銃とナイフ。
それが私の全財産だった。
異世界を旅するには心許ない装備だが、無い物は仕方がない。
最初の日は、不気味なほどの静寂に満ちていた。
魔族が通り過ぎた森は、まるで墓場のように静まり返り、鳥の声ひとつ聞こえない。
時折、風が枯れ木を揺らす音が、誰かの悲鳴のように響いた。
夜は小さな洞窟で火を焚き、交代で見張りに立つ。
揺れる炎を見つめていると、記憶の混濁した脳が、答えの出ない問いを繰り返す。
私は、一体誰なのだろう。
「ねえ、バーン。私は、いつから村にいたの?」
沈黙を破った私の問いに、バーンは少し驚いたように瞬きした。
「また聖女様が変なことを……。僕も詳しくは知らないんです。ただ、村長が……どこかから君を拾ってきた、とは言っていました。確か、一年くらい前だったと」
やはり、元のリオも孤児だったのか。
そして、この村に来てまだ一年。
それ以前の記憶は、彼女自身にもなかったのだろうか。
私と彼女の記憶が混濁し、村の大人たちが皆、灰になってしまった今、それを知る術はない。
私は詮索を諦め、浅い眠りに落ちた。
二日目、森を抜けると、昨日までの死んだような静けさが嘘のように、世界に色が戻ってきた。
街道だ。
荷馬車を引く商人、武装した傭兵らしき一団、巡礼者の列。
村以外の人間を見るのは初めてで、そのざわめきに私は少しだけ気圧された。
「領主の街メサリアはこちら、ですね。反対側行けば王都ですが、かなり遠いので」
三叉路に立つ道標を、バーンが少し嬉しそうに指差した。
その時だった。
前方の街道から、人々の悲鳴と、甲高い金属音が風に乗って聞こえてきた。
馬車が慌ててUターンし、商人たちが荷物もそこそこに逃げ出してくる。
その混乱の流れに逆らうように、朝日を浴びて銀色に輝く一団が、魔物へと突撃していった。
「騎士団だ! 本物の騎士団が、魔族と戦っている!」
バーンの声が、憧れと興奮に震える。
道の先では、全身を鋼の甲冑で固めた騎士たちが、一体の上級魔族と対峙していた。
「あんな着ぐるみで、よく動けるものね」
思わず、分析的な感想が漏れた。
「近代戦なら、ただの的だな」
隣で、アノンがこともなげに呟く。
「すごい……本物だ……」
バーンだけが、夢見るような瞳でその光景に見入っていた。
騎士たちの剣は、しかし、上級魔族の防護フィールドに阻まれ、決定打を与えられずにいる。
村での絶望的な戦いを思い出す。
「このままじゃ、ジリ貧ね」
そう分析した瞬間、戦場に清らかな祈りの声が響いた。
騎士団の後方で、純白の衣をまとった少女が、天に手をかざしている。聖女だ。
彼女の詠唱と共に、天を衝く光の柱が立ち上る。
光の粒子が雨のように降り注ぎ、騎士たち一人一人の甲冑に吸い込まれていった。
(……なんだ、あれは。暗示による士気高揚か? それとも、何らかの触媒による身体能力の強制的な活性化か?)
私の内なる問いに答えるかのように、隣でバーンが夢見るような、それでいて興奮に満ちた声を上げた。
「すごい……! あれが、聖女様だけが使えるという『祝福』……! 見てください、騎士様たちの力が、光に呼応してどんどん上がっていきます! あれこそが最高の強化魔法なんだ……!」
バーンの言葉を証明するように、騎士たちの動きが明らかに変化した。
重々しかった動きが嘘のように俊敏になり、彼らが振う剣は白銀の輝きを帯び、今度はたやすく魔族の皮膚を切り裂いていく。
聖女の「祝福」。
村人たちが使う生活魔法とは、威力も、効果範囲も、何もかもが次元が違う。
勝負は、一瞬でついた。
連携を乱さず、騎士たちは的確に魔族の四肢を断ち、心臓に止めの一撃を突き立てる。
あれほど私たちを苦しめた上級魔族が、まるで訓練の的のように、あっけなく絶命した。
「……一個小隊の戦力を数倍に引き上げる強化魔法。効率的な軍事利用ね」
私の呟きに、興奮冷めやらぬバーンが胸を張って答えた。
「当たり前ですよ! あれほどの魔法が使えるのは、騎士様や聖女様が、皆、高貴な血筋のお貴族様だからです!」
「貴族だけ?」
「はい。優れた魔力は、血によって受け継がれるんです。だから、魔法の才能がある貴族が、この国を守り、導くんです」
なるほど。
この世界は、生まれ持った魔法の才能、つまり血筋によって身分が決定される社会らしい。
「私」のいた世界とは、また違う形の、残酷なまでの実力主義。
(遺伝的資質による階級社会。非効率だが、安定した支配構造ではある)
私の思考が冷静に分析する一方で、心の奥底で村娘としてのリオの魂が冷えていくのを感じた。
(……結局、どこへ行っても同じなんだ。魔法が使えない私は、やっぱり誰からも認められない、最底辺の存在なんだ……)
弱々しいリオの心の声が、思考のノイズのように響く。
馬鹿なことを。
なぜ、この世界の価値観で自分を測る必要がある?
そんな内なる感傷を断ち切るように、バーンの純粋な声が響いた。
「でも、聖女様には『科学』という、僕には理解できない凄い魔法があるじゃないですか!」
バーンの言葉に、ノイズに捕らわれた私はハッとした。
そうだ。
私はもう、無力な村娘ではない。
この世界のルールがダメなら、私のルールで戦えばいい。
私を虐げる者がいるなら、9mm弾を眉間に叩き込み、アノンに斬り捨てさせればいいだけだ。
思考が切り替わると、目の前の景色まで違って見えた。
魔族の脅威が去り、再び様々な人々が往来するようになった街道を進んでいく。
街道の先に、巨大な城壁に囲まれた都市が見えてきた。
メサリア。
大小の塔が天に向かって伸び、城壁の上には領主の旗がはためいている。
私は、アノンから整備済みの自動拳銃を受け取ると、その冷たい感触を確かめるように、強く握りしめた。
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