第57話 黒い実験
胸部装甲から展開された機関砲が、死の宣告のように、ゆっくりと回転を始めた。
(……まずい)
私の思考が、瞬時に、しかし絶望的な計算結果を弾き出す。
(発射速度、毎分三千発以上。口径から推測するに、弾丸は徹甲弾。戦術皮膚の防御力でも、この飽和攻撃を受ければ、瞬く間にズタズタにされる。回避行動を取っても、そう逃げ切れない。生存確率、限りなくゼロ……!)
死。
その、絶対的な予感が、全身を支配する。
皮肉なものだ。
この魔法世界で、私を追い詰める最後の敵が、魔法を一切使わない、前世の亡霊だなんて。
ガガガガガッ!
銃口から、最初の火線が放たれる。
床の黒曜石が、凄まじい勢いで砕け散り、跳弾が甲高い音を立てて飛び交う。
私は、死と生の境界線で、思考を加速させた。
なんとか柱の影に飛び込み、荒い息を整える。
何か、何か、この盤面を覆す、一手はないのか。
その時、私の視界の端に、恐怖と、そしてそれ以上の恍惚とした表情で、この光景を眺めている男の姿が映った。
――皇帝、カイゼル。
この殺戮機械を、起動させた、張本人。
(……そうだ。プログラムには、必ず、優先順位がある。今は信じるしかない)
絶望の闇の中に、一筋の、蜘蛛の糸よりも細い光明が見えた。
銃弾の嵐が、私の隠れた柱ごと粉砕する、その寸前。
後方へではない。回避のためではない。
――前方へ。皇帝カイゼルへと向かって、一直線に走り出す。
(私を撃てば、皇帝と射線が重なる。どうだ)
そして、私の予測通り。
キマイラの射撃が、ぴたりと、止んだ。
さすが前世の精密な科学兵器。
守るべき人物を射線上に置いて、着弾がばらける機関砲で銃撃するほど愚かには作られていないようだ。
前世の科学は、信頼できる。
「なっ!?」
私が、まさか自分の方へ向かってくるとは思わなかったのだろう。
皇帝の美しい顔が、驚愕に見開かれた。
私は、その神の代理人を、まるで盾にするかのように、背後から羽交い締めにした。
その赤い単眼が、不気味に明滅し、混乱しているかのように、小刻みに震えている。
(……やはり。プログラムの最優先事項は、『起動者の保護』!)
『攻撃対象を殲滅せよ』という命令と、『起動者を傷つけるな』という絶対命令。
その二つが、システムの中で致命的な矛盾を引き起こしているのだ。
だが、このままでは埒が明かない。
時間稼ぎはできても、あの頑強な装甲を破壊できる対戦車兵器でもなければ、奴を倒す事は不可能だ。
どうする。どうすれば、この鉄の悪魔を破壊できる?
その時、私の脳裏に、ある光景が閃いた。
メサリアの神殿で、シャガーンが、自らの命と引き換えに、更なる力を得て、最後には自爆しようとしていた、あの光景。
王都の舞踏会で、ロキヌスの間者が自爆を図るために使った、あの魔石。
懐で、微かな熱を帯びる、今までの戦いで手に入れた「遺物」。
(……そうだ。使おう。アレを)
シャガーンが使い、ロキヌスの刺客も持っていた、禁断のアーティファクト。
私の口元に、冷たい、残酷な笑みが浮かんだ。
また、一つ、黒い実験を思いついてしまった。
「科学vs魔法。雌雄を決する戦いといきましょうか」
羽交い締めにされ、みっともなくじたばたする皇帝の顎を掴み、壁に叩きつけて黙らせる。
私は懐から、あの禍々しい輝きを放つ、二つの魔石を取り出した。
「神に祈るのもいいけれど、神と一体化したいなら、もっと即効性のある薬があるのよ」
私は戦術皮膚を硬化させた手で、皇帝の口を無理やりこじ開けた。
恐怖に見開かれた彼の瞳を、何の感情もなく見つめ返す。
「痛い? 苦しい? そういう時には、これをお飲みになるといいわ」
抵抗する皇帝の喉の奥へと、一つ目の魔石を、容赦なく押し込んだ。
「ごふっ!?」
無理やり飲み込まされた皇帝が激しく咳き込む。
だが、実験はまだ終わらない。
「一つでも絶大な効果があるのは、シャガーンで確認済み。さて、もう一つ入れたらどうなるんでしょうね?」
爆発的な魔力の上昇と、急激な肉体の変異をもたらす魔石。
では、そんな劇薬を、立て続けに二つも投与された生体は、一体どうなってしまうのか?
好奇心は、時に悪魔よりも残酷だ。
私は、皇帝という名の被験体の口に、もう一つの魔石を、躊躇なく放り込んだ。
「ああ……が、あ……!」
皇帝の喉から、もはや言葉にならない絶叫が迸る。
魔石を二つも飲み込んだ彼の体が、凄まじい痙攣を起こし始めた。
バキバキッ!と、骨が軋む音が聖域に響き渡る。
その全身の筋肉が、異常なまでに膨張し、純白の祭服を内側から引き裂く。
裂けた皮膚からは、新たな骨や角が、歪な形で突き出してきた。
瞳からは理性の光が完全に消え失せ、ただ純粋な破壊衝動だけを宿した、真紅の光がぎらついている。
もはや、それは、皇帝でもなければ、人ですらなかった。
自らの有り余る生命力を燃料に、ただ周囲の全てを破壊し尽くすためだけに顕現した、暴走する神の天罰。
あるいは、神の力を過剰摂取した、哀れな成れの果て。
「さあ、お楽しみの時間よ。私の様な、か弱い少女をいじめるより、お互い戦う相手としてはお似合いでしょう?」
私が皇帝の身体を突き飛ばした、その瞬間。
科学が生んだ殺戮兵器と、魔法が生んだ破壊の化身。
二体の怪物が、同時に、私へと殺意を向けた。
(……あらら。両方、私を狙うの)
つぶし合いをしてくれれば楽だったのに、という思考は一瞬で切り替える。
どうやら、二体とも、この場における最大の異物が私であると、正しく認識しているらしい。
元皇帝の化け物が、その腕を振りかぶる。指先から放たれたのは、聖なる光の槍。
だが、私が注意すべきはキマイラの方だ。
私は常に、元皇帝とキマイラの中間に位置取り、キマイラの銃撃を封じ続ける。
光の槍が、私に到達する。
しかし、それは何の抵抗もなく私の体をすり抜け、まるで幻のように、背後に控えるキマイラの分厚い装甲に着弾した。
ドゴォォォン!
凄まじい爆発音。
さすがのキマイラも、至近距離からの極大魔法には堪えたようだ。その巨体が僅かにぐらつく。
好都合だ。元皇帝の魔法は、私には一切通用しない。
つまり、私の身体を狙えば、間違いなく後ろにあるモノを吹き飛ばす。
「もっと、もっとよ! あなたの信じる神の力は、その程度なの!?」
私は元皇帝を煽り立てる。
理性を失った化け物は、私の挑発に乗り、次々と極大魔法を放ち始めた。
光の槍、炸裂する聖なる炎、空間を断ち切る光の刃。
その全てが、私を通り抜け、キマイラの装甲を打ち据える。
最初は耐えていたキマイラの装甲も、凄まじい魔法の飽和攻撃に、徐々に限界を迎え始めていた。
表面が溶解し、分厚い装甲板が歪み、剥がれ落ちていく。
そして、ついにその時が来た。
元皇帝が、残った生命力の全てを振り絞るかのように放った、最大級の光の奔流。
それが私の背を通り抜け、半壊したキマイラの胸部装甲を直撃した。
ギャリリリリリッ!
金属が断末魔を上げるような、耳障りな絶叫。
内部の動力回路が完全に破壊されたのだろう。
キマイラの全身から青白い火花が激しく散り、その巨体が凄まじい痙攣を起こす。
赤い単眼の光が、急速に弱まっていく。
そして、数秒後。
全ての動きを止め、ただの鉄の塊と化した殺戮機械は、大きな音を立てて、その場に崩れ落ちた。
時を同じくして、最後の一人となっていた皇帝近衛騎士を、アノンの剣が無慈悲に貫いていた。
鉄の悪魔が沈黙し、残る脅威は一つ。
元皇帝の化け物は、まだ私が倒れないことに苛立ち、がむしゃらに魔法を連発している。
私にとっては、そよ風ほどの脅威もない。
私はゆっくりと、化け物へと歩み寄った。
放たれる魔法の嵐が、私を通り過ぎていく。
まるで、絶対的な王の帰還を、ひれ伏して迎えるかのように。
ホルスターから、静かに自動拳銃を引き抜く。
その銃口を、化け物の眉間に、ぴたりと突きつけた。
どんな魔法障壁も、私の前では意味をなさない。
この一撃は、絶対に届く。
皇帝の公開処刑。
それが誰にも止められないことは、この場に居る誰もが理解していた。
既に阻止を試みる者は、全て敗北し沈黙しているのだから。
乾いた破裂音が、一度だけ、聖域に響き渡った。
ロキヌス帝国が、音を立てて崩れ落ちた瞬間だった。
私は、硝煙が立ち上る銃口を、ゆっくりと下ろす。
聖域に、静寂が戻る。
残されたのは、私と、アノン。
そして、柱の影から、固唾をのんでこの世の終わりのような光景を見つめていた、巡礼者や貴族たちだけだった。
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