第56話 殺戮のゴーレム
「面白い」
皇帝は、まるで初めて見る玩具を与えられた子供のように、その美しい唇の端を吊り上げた。
「神の理を外れたイレギュラー……その深淵、ワタクシが覗いてみましょう」
次の瞬間、皇帝の姿が掻き消えたかと思うほどの魔力奔流が、聖域全体を圧迫した。
もはや、それは先程までの試すような魔法ではない。
この場に存在する全てを塵芥と化す、純粋な破壊の意志そのものだった。
「――神罰の天光!」
皇帝が天に手をかざせば、ドーム天井から白金の光柱が幾筋も降り注ぎ、私がいる空間を完全に飽和させる。
床を這うように両腕を広げれば、聖域の床を浄化の炎が津波となって駆け巡った。
指を鳴らせば、絶対零度の吹雪が空間を凍てつかせ、虚空を薙げば、神の吐息そのものである真空の刃が無数に走る。
だが、その悉くが、私には、その意味を失う。
光は通り過ぎ、炎は熱くなく、氷は寒くなく、刃はそよ風にもならない。
私は、荒れ狂う神々の御業の奔流の中心で、ただ静かに佇んでいるだけ。
しかし、聖域そのものは無事では済まなかった。
凄まじい光と熱が黒曜石の床を穿ち、砕けた破片が嵐のように舞い上がる。
天井を支えていた荘厳な柱には深い亀裂が走り、壁の燐光は明滅を繰り返し、聖域そのものが悲鳴を上げているようだった。
「なぜだ……! なぜ効かぬ……! ワタクシの力が、神の御業が、なぜ貴様のような冒涜者に通じない!」
皇帝の興味は、既に純粋な憤怒と焦燥に変わっていた。
彼は、ただ無心に、その身に宿す全ての魔力を絞り出すかのように、最大級の魔法を放ち続ける。
それはもはや神の威光を示すための魔法ではない。
癇癪を起こした子供が、思い通りにならない玩具をただ壊そうとするかのような、無秩序な破壊の連鎖だった。
やがて、その嵐が、止んだ。
凄まじい魔力の放出を終えた皇帝が、ぜぇ、はぁ、と、苦しげに肩で息をしていたからだ。
神々しいまでの美貌は、今はわずかに乱れた白金の髪と、額に浮かぶ汗、そして信じられないものを見るかのような驚愕の色に彩られている。
静寂を取り戻した聖域には、破壊の爪痕だけが生々しく残されていた。
あらゆる魔法が、絶対的なまでに通用しないという、あり得ない現実を前に、彼の精神は、信仰の拠り所を失い、ゆっくりと崩壊を始めていた。
彼の瞳から、理知の光が消え、狂信者の、濁った光だけが残る。
「……許さぬ。神に仇なす魔王め。貴様だけは……!」
追い詰められた皇帝は、何かに思い至ったように、懐から、一つの、奇妙な物体を取り出した。
それは、黒い水晶でできた、複雑な紋様が刻まれた、一枚の鍵。
◆
(……あの男)
皇帝の脳裏に、数週間前に、この聖域を訪れた、あの仮面の男の言葉が蘇る。
『――皇帝陛下。もし、万が一、貴方の聖なる力が全く通用せぬ、異端者と相見えることがあれば、これをお使いなさい。これは、神が降臨なさる以前、この地に眠っていた、より古く、より絶対的なる力への、鍵です』
◆
皇帝は、震える手で、その鍵を、聖域の中心にある、演説台の窪みに差し込んだ。
「……神よ。この、不敬なる行いを、お許しください……!」
彼が、祈りながら鍵を回した、その瞬間。
聖域全体が、地響きと共に、激しく揺れた。
淡い燐光を放っていた壁や床の輝きが増し、その表面に、無数の、青白い幾何学模様が走り始める。
それは、魔法陣などではない。もっと無機質で、冷たい――回路。
この、神を祀るための神聖な空間が、その偽りの仮面を剥がし、本来の姿を現していく。
ホパ村の、あの洞窟。この聖域の意匠が、あれと酷似していたのは、偶然ではなかったのだ。
皇帝の前方にある床が、音もなく、下へと沈み込んでいく。
そして、その暗い奈落の底から、ゆっくりと、巨大な「何か」が、せり上がってきた。
それは、ゴーレム、と呼ぶには、あまりにも、異質だった。
滑らかな、鈍色の金属で覆われた、巨大な人型の胴体。
そこから伸びる、六本の、蛇のようにしなやかな腕。
その先端には、回転する刃や、高熱を発するカッター、そして、一点を穿つための杭が、それぞれ備え付けられている。
頭部にあたる部分には、単眼の、血のように赤いセンサーが、不気味な光を灯していた。
魔法の気配は、一切しない。
だが、その全身から放たれる圧力は、特級魔族のそれをも、遥かに凌駕していた。
「……!」
それを目にした瞬間、私の全身を、凄まじい悪寒が駆け巡った。
(……嘘でしょ。なぜ、こんな物が、この世界に……! まさか、ゲーレンの奴が)
あれは、ゴーレムなどではない。
私は、知っている。
前世で、その恐ろしさを、骨の髄まで叩き込まれた、殺戮のためだけに進化した、機械の悪魔。
(――軍事用戦闘ロボット、コードネーム“キマイラ”。対人・対戦車用の、ハンターキラー……!)
当然、魔法など使わない。
純粋な物理法則だけを、その行動原理とする、殺戮機械。
私の魔法無視は、魔法という「奇跡」には絶対だが、鋼鉄の拳という「現実」の前には、あまりにも無力……!
赤い単眼が、私を、ターゲットとして、覗き見た。
刹那、私は思考よりも早く身体を動かし、ホルスターから自動拳銃を引き抜いていた。
狙うは頭部の単眼センサー。前世の兵器のセオリー通りなら、そこが弱点のはず。
タタンッ!
乾いた二発の銃声が、聖域に響き渡る。
放たれた9mm弾は、寸分違わず赤い単眼に吸い込まれ――カキン、と軽い音を立てて弾かれた。
強化防弾ガラスか、あるいはそれ以上の未知の素材。傷一つついていない。
「……ッ!」
その事実が、私の全身を絶望で凍りつかせるよりも早く、キマイラが動いた。
巨体からは想像もつかない、爆発的な加速。床を蹴り、一直線に私へと突進してくる。
六本のアームの一本、その先端に備え付けられた杭が、心臓を穿つ槍と化す。
私は咄嗟に後方へ跳躍し、回避する。
直後、凄まじい衝撃音と共に、先程まで私が立っていた黒曜石の床が粉砕され、クレーターのような穴が空いた。
速い。あまりにも、速すぎる。
アノンは、未だ、二人の護衛と激しく斬り結んでいる。援護は望めない。
私一人で、こいつを、相手にするしかない。
私は戦術皮膚を瞬時に硬化させ、ナイフを構え直す。
だが、一度距離を詰められたが最後、そこは機械の悪魔が支配する領域だった。
右腕の回転刃が、空間を横薙ぎに切り裂く。
私は身を屈めてそれを避けるが、背後にあった聖域の柱が、バターのように、音もなく切断された。
間髪入れず、左腕の先端が赤熱する。高熱カッターだ。
私の首を狙って振り抜かれる灼熱の刃を、私はのけぞるようにして回避する。頬を熱波が撫で、髪が僅かに焦げる匂いがした。
六本の腕が、それぞれ独立した意思を持つかのように、あらゆる角度から襲いかかってくる。
斬撃を潜り、刺突をいなし、熱線を避ける。
私は、前世で叩き込まれた生存技術の全てを使い、滑らかな黒曜石の床を滑り、林立する柱を蹴って跳び、必死に攻撃の隙間を縫い続ける。
好機は一度だけあった。
三つの腕による同時攻撃をアクロバティックな動きで捌ききり、懐へ潜り込んだ瞬間。
私は、全体重を乗せた渾身の一撃を、キマイラの胴体部へと突き立てた。
――ギャリィン!
耳障りな金属音。
私の手の中に残ったのは、腕が痺れるほどの衝撃と、その硬い装甲に刻まれた、浅い、浅い一本の傷だけだった。
ナノテクノロジーによって強化された特殊作戦群仕様のナイフが、赤子のかんしゃくのように、いとも容易く弾かれたのだ。
(……まずい。完全に、嬲られている)
私の戦闘技術をもってしても。
このような、人間を遥かに超えた、機械の怪物を、想定してはいない。
こちらの攻撃は、一切通じない。
回避し続けるだけで、体力と集中力は急速に削られていく。
私が倒れるのは、もはや時間の問題。
この殺戮機械は、それを理解した上で、私という獲物を弄んでいるのだ。
その、私の心が、絶望に塗り潰されかけた、その時だった。
キマイラの動きが、一瞬、止まった。
その胸部装甲が、スライドし、中から、新たな武装が姿を現す。
それは、機関砲だった。
無数の銃口が、私へと向けられる。
(……遊戯は、終わりということか)
絶体絶命。
私の脳が、その言葉を、冷たく、弾き出した。
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