第55話 皇帝の聖域
皇帝近衛騎士団が守っていた場所は、今や、肉片と瓦礫が散乱する、ただの屠殺場と化していた。
科学がもたらした破壊の爪痕。
その中心を、私たちは、静かに歩き抜けていく。
足元で、深紅のマントの残骸が、ぬかるんだ血だまりの中で揺れていた。
この地獄絵図を作り出したのは、他の誰でもない、私自身だ。
だが、私の心に、感傷はなかった。
ただ、目的を遂行するための、冷たい決意があるだけだ。
「神聖なる世界の理を穢す、不浄なる者よ」
皇帝は、私たちを見ても、まるで動じなかった。
その声は、穏やかで、しかし、人の感情というものが、一切抜け落ちているかのように、無機質に響いた。
彼の両脇には、影のように、二人の護衛が控えている。
彼らが、皇帝直属の、近衛騎士団の頂点に立つ者たちだろう。
こいつらが、魔法障壁で皇帝への爆発の直撃を防いだのだ。
「貴様が、ロキヌス皇帝か」
アノンが、低い声で問う。
「いかにも。そして、貴様たちが、魔族と共に、我が神聖なる帝国を、汚しに来た」
「おしゃべりは、そこまでだ」
アノンが、一瞬で距離を詰め、その刃を皇帝へと振り下ろす。
だが、その一撃は、皇帝の喉元に届く寸前で、見えない壁に阻まれた。
玉座の両脇に控えていた二人の護衛が、いつの間にか、アノンの前に立ちはだかっていたのだ。
凄まじい剣戟の音が、聖域に響き渡る。
アノンの「外流雷の型」が、二人の護衛の、嵐のような双剣と、激しく火花を散らしていた。
「……私の相手は、貴女、か?」
「……」
「先の戦いで、我が軍が敗北した際、聖女がナブラ王国に現れたと言う話だったが。あの時も、突然魔族が現れて我が軍は全滅した。そしてまた、今回も帝都に魔族の大軍が押し寄せている」
皇帝は、その黄金の瞳を、まっすぐに、私に向けた。
「これは偶然なのか、ナブラの聖女よ」
「先にケンカを売ったのはそちらよ」
「我が同胞である、メルギドの軍勢を弄び、そして、あの邪悪なる魔族どもを、まるで手駒のように使役する。その所業、聖女などではなく、まさしく、神に仇なす、新たな魔王そのもの」
「魔法も使えないのに、魔王、ですって?」
私は、思わず、鼻で笑った。
「理とか言っているけど、戦争を仕掛けてきたのはそちら。舞踏会に刺客を送ってきたのもそちら。私のような、ただ普通に生きたいだけの存在を、排除しようとするのなら。全力で破壊するまでよ」
「……やはり、貴女は、浄化せねばならない」
皇帝が、私の目の前に立ちはだかった。
「我が名は、カイゼル・フォン・ロキヌス。神の御心を、この地上にて代行する者。その名において、神敵である貴女を、今ここで、聖なる光の塵へと還しましょう」
彼が、そっと右手を掲げる。
その瞬間、聖域を満たす光が、その輝きを増した。
全ての色を奪い、全てを白く染め上げる、絶対的なまでの、純粋な光の暴力。
「――聖なる光槍」
皇帝の指先から、数え切れないほどの光の槍が、私に殺到する。
私は、その全てを、この身に受け止めた。
光の槍は、私の体に触れた。
しかし、貫くことも、爆ぜることもない。
まるで、私の体が幻であるかのように、その全てが、ただ、すり抜ける。
私の体を包み込んだ光は、そこで熱も力も、全ての物理作用を失い、ただの美しい幻影へと変わった。
数秒後、魔法の効果時間が終わり、光が消え去った時、そこには、制服の裾一つ焦がしていない、無傷の私が立っていた。
「……馬鹿な」
皇帝の、その神々しいまでに整った顔に、初めて、純粋な狼狽の色が浮かんだ。
「ワタクシの、神より賜りし、この聖なる力が……なぜ、通じない……!?」
彼は、次から次へと、異なる系統の魔法を放つ。
灼熱の炎、凍てつく吹雪、万物を断ち切る真空の刃。
だが、その全てが、私の前では、意味をなさなかった。
「ワタクシの聖なる力を、その身に受けて、なお、平然と立っているとは」
皇帝の、その美しい顔に、狼狽は、やがて、人間らしい「興味」の色へと変わった。
「貴女という冒涜は、ワタクシの想像以上に、根が深いようですな」
彼は、さらに、その魔力を高めていく。
聖域の空気が、びりびりと、震え始めた。
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