第53話 混沌の狼煙
その日、帝都ガラドは、祝祭の熱気に包まれていた。
春の穏やかな風が街路を吹き抜け、皇帝の威光を示す金の旗が青空にはためいている。
神の使いである皇帝陛下が、直々に講話を行われる。
その一目を見ようと、帝国中から集まった巡礼者たちが、祈るような表情で宮殿へと続く大通りを埋め尽くしていた。
平和で、敬虔で、そして、欺瞞に満ちた光景。
「……まもなく、始まります」
帝都を見下ろす、とある建物の屋上。
シオンが、恍惚とした表情で、眼下に広がる人の波を眺めていた。
「予定通り、すでに革命軍は全て撤収し、再突入に向けて配置につきました。あとは、所長の合図一つで」
私は、彼の言葉には答えず、ただ、静かに街を観察していた。
宮殿へと続く道筋には、帝都防衛第三軍が、物々しい警備体制を敷いていた。
全てが、私の描いたシナリオ通りに、動いている。
「破星」
隣で、アノンが、いつものように短く私の名を呼んだ。
彼は、手にした大型リボルバーのシリンダーを、こともなげに回転させている。
その瞳は、獲物を前にした捕食者のように、冷たく、そして鋭い。
準備は、万端ということか。
「そろそろ頃合いかしら。シオン、私達は皇帝の講話がある宮殿の聖域にいくわ、そちらも適当なタイミングで革命軍を呼び戻して」
「御意に」
私とアノンは巡礼者のフリをして、宮殿に向かう。
◆
宮殿の聖域と呼ばれる場所は既に帝国の貴族や巡礼者などでごった返していた。
そこは、ただ、だだっ広い、円形の空間だった。
壁も、床も、天井も、全てが継ぎ目のない、磨き上げられた黒曜石でできている。
特定の光源は見当たらない。
だが、壁や床そのものが、ホパ村の洞窟で見たものと同じ、淡い燐光を放っており、林立する柱の間に長い影を落としながら、空間全体を青白く、不気味に照らし出していた。
そして、その光が、ただ一点だけを浮かび上がらせていた。
空間の最奥に、高くせり上がり、ポツンと置かれた、たった一つの、簡素な演説台を。
そこには、一人の男が、静かに佇んでいた。
年の頃は、二十代後半だろうか。
長い白金の髪を、背中で緩やかに編込んでいる。
その顔立ちは、性別を超越したかのように中性的で、そして、神々しいまでに美しかった。
彼が、ロキヌス帝国皇帝。
皇帝の両脇には、影のように、二人の護衛が控えている。
彼らが、皇帝直属の、近衛騎士団の頂点に立つ者たちだろう。
(お前はもう二度とこの建物から出る事はない)
皇帝の存在を確認した私は、懐から、神殿で盗み出した二つの『部品』を取り出した。
手のひらサイズの、水晶でできた台座。
そして、それとは別に、布に包んでおいた、淡い光を放つ魔石。
これが、この世界の理を歪める、禁断のスイッチ。
私は、静かに、その魔石を台座の窪みへと嵌め込んだ。
カチリ、と小さな音がした、その瞬間。
手のひらの魔石が、禍々しいほどの光を、一瞬だけ放った。
数字が表示されるだけで、音はなく、衝撃もない。
だが、不可視の信号が、致命的な警報が、この世界の理を管理する「システム」へと、確かに発信された。
『ここに、適合率0.000001%の異物あり』と。
――混沌の狼煙は、上がった。
そして、貴族や巡礼者が見守る中、ついに皇帝の講話が始まる。
聖女がいないロキヌス帝国はナブラ王国と違って、皇帝自身が宗教の最高指導者でもあった。
演台に立つ皇帝は、静かに口を開く。その声は、不思議なほどよく通り、荘厳な空間の隅々まで響き渡った。
「――朕が愛するロキヌスの民よ。まずは、我らが世界に大いなる奇跡、魔法をもたらしたもうた、唯一なる神の御名を讃えよう」
皇帝の言葉を合図にしたかのように、空間の縁に控えていた近衛騎士たちが、一斉に胸の前で拳を打ち合わせた。
ゴォン、という重低音が黒曜石の広間に反響し、床を震わせる。
それに合わせるように、どこからともなく荘厳な聖歌が響き始めた。
皇帝は、その聖歌が満ちる中で言葉を続ける。
「思い出してみよ。神の光が差す以前、この世界がどれほど冷たく、暗い場所であったかを。我らの祖先は力なく、ただ闇に怯え、獣に食われるだけの存在であった」
その言葉に呼応し、今まで空間を照らしていた壁や床の燐光が、すぅっと力を失っていく。
世界は、演台の上の皇帝の姿さえも見失いそうな、深い闇に包まれた。
静寂と闇が支配する中、皇帝の声だけが響く。
「だが、神は我らを見捨てられなかった。その御手より放たれし聖なる炎こそが、魔法である」
次の瞬間。皇帝が静かに掲げたその右手に、白金の光が灯った。
それは炎のように揺らめきながらも、熱を感じさせない神々しい光の塊だった。
その光は瞬く間に広がり、闇に沈んでいた巨大な空間を、先程までとは比べ物にならないほど強く、そして白く、照らし出した。
光の中心で、皇帝は告げる。
「それは我らを照らす光となり、我らを守る盾となり、そして、この偉大なるロキヌス帝国を築く礎となったのだ。ゆえに、民よ。心せよ。魔法とは、我らが驕り高ぶって振うべき力にあらず。神が我らに与えたもうた試練であり、信仰の証に他ならぬ。この恩寵に感謝し、日々祈りを捧げることこそ、我ら帝国臣民の崇高なる義務であると知れ……」
皇帝が作り出した白金の光は、闇を払うだけでなく、そこにいる全ての者たちの魂を照らし、揺さぶっていた。
居並ぶ貴族たちは、ただ無垢な信徒と化していた。
磨き上げられた儀礼鎧が神々しい光を反射し、ある者は恍惚の表情で天を仰ぎ、またある者は、その目に涙を溜めながらも、皇帝の姿から一瞬たりとも視線を外そうとはしなかった。
それは畏怖と歓喜が入り混じった、絶対者への完全なる帰依の姿だった。
私達の周りに居る巡礼者たちの反応は、より直接的で、激しかった。
彼らは、ただ泣いていた。嗚咽を漏らし、額を冷たい黒曜石の床に擦り付け、震える両手を演台へと差し伸べる。
長き旅の苦難が、この一瞬の奇跡によって全て報われたのだ。
彼らにとって、皇帝はもはや人ではなく、神そのものであった。
私は目立たぬように身をかがめながら思う。
実に退屈だ。
だから、神に選ばれなかった私達が、この場を面白くしてあげる。
貴方たちに最高のショーを、今から見せてあげるわ。
◆
最初に異変に気づいたのは、鳥たちだった。
帝都の上空を舞っていた鳥たちが、一斉に鳴き声を止め、恐慌をきたしたように四方八方へと飛び去っていく。
次いで、大地が、微かに、しかし、確実に、震えた。
遠くから、地鳴りのような、低い振動が伝わってくる。
「……な、なんだ?」
「地震か……?」
地上の人々が、不安そうにざわめき始める。
城壁の上に立つ、一人の衛兵が、震える指で、西の地平線を指差した。
「……あれは……なんだ……?」
地平線に、一本の、黒い線が出現していた。
それは、凄まじい速度で、その太さと濃さを増していく。
やがて、それが、ただの線ではないことに、誰もが気づいた。
それは、軍勢だった。
人間ではない。馬でもない。
大地を埋め尽くす、おびただしい数の、異形の怪物たち。
巨大な角を持つ、上級魔族。身の丈ほどもある大剣を振り回す、中級魔族。
そして、その足元を、黒い津波のように駆け抜ける、無数の下級魔族。
神の天罰。
世界の理を乱す者を、喰らい、滅ぼすための、死の軍団。
「ま、魔族だ! 魔族の大群だぁぁああああ!」
衛兵の絶叫が、帝都中に響き渡る。
それまで祈りを捧げていた巡礼者たちの敬虔な表情は、一瞬にして、純粋な恐怖に染まった。
祝祭の熱気は、阿鼻叫喚の地獄へと変わる。
「総員、戦闘準備! 城壁西門へ向かえ!」
「第三軍は、直ちに城壁の防衛にあたれ! 何としても、一体たりとも、市内へ入れるな!」
帝都防衛軍の指揮官たちが、必死の形相で号令を飛ばす。
彼らの任務は、皇帝陛下をお守りすること。
だが、その皇帝がおわす宮殿に背を向け、今、目の前に現れた、より直接的な脅威――帝都そのものの消滅――に、対処せざるを得ない。
城壁の上から、帝国軍の魔法が一斉に放たれ、魔族の軍勢へと降り注ぐ。
だが、その程度の抵抗など、黒い津波の前では、あまりにも無力だった。
魔族の軍勢は、魔法の爆炎をものともせず、帝都の城壁へと殺到する。
凄まじい轟音と共に、帝都防衛軍と魔族、二つの軍勢の激突が始まった。
街は、完全に、混乱の渦に叩き込まれた。
兵士たちは、城壁の防衛のために、その持ち場を離れていく。
宮殿周辺の警備も、見る間に手薄になっていた。
◆
「魔族の襲撃です!」
突然の伝令に、皇帝の講話が止まり、会場内もざわつく。
聖域内部に居た兵士たちが次々と、外へと向かってゆく。
皇帝が居るこの建物を、絶対防衛地点として守り抜く配置なのだろう。
予定通りだ。
私は、役目を終えて静かになったアーティファクトの魔石を、再び台座から抜き取り、別々に懐へとしまい込んだ。
しかし、まるで動かない兵士たちも居た。
寸分の隙もなく、深紅のマントを羽織った皇帝近衛騎士団、その精鋭たち。
その数、およそ三百。帝都防衛第三軍の中でも、最強と謳われる皇帝直属の守護者たち。
彼らは、外の魔族との戦いには一切参加せず、ただ、皇帝を守るという、その一点のためだけに、ここに布陣していた。
皇帝を倒すためには、まずは、この300人を我々2人だけで排除するしかない。
「さあ、行きましょうか」
私は、アノンに、短く告げた。
「主役が待つ、最高の舞台へ」
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