第48話 「普通」は何て難しい
王宮に滞在し、一週間ほどが過ぎた。
朝は侍女に起こされ、一流の料理人が腕を振るった食事が運ばれてくる。
昼は読書をし、夜はふかふかのベッドで眠る。
マナーについて、口うるさく言われることもない。
用心棒という奇妙な立場が、私から貴族令嬢としての窮屈な義務を免除してくれているようだった。
ここは、驚くほど快適だ。
だが、その快適さに比例して、私の内なる違和感は、日増に強くなっていた。
自分の部屋の装飾、庭園の風景、廊下の絵画。
その全てに、なぜか、漠然とした既視感を覚える。
それが一体なぜなのか、どうしても思い出せない。
そして、何よりも奇妙なのは、私自身の心の変化だった。
リオの意識と、「私」の意識。その境界が、少しずつ曖昧になってきている。
かつては明確に区別できたはずの思考が、今は混ざり合い、どちらが本当の自分の考えなのか、分からなくなる時がある。
(色々な事があった……リオだけではない。私も、疲れているのだ)
だから、余計な事は考えずに、少しだけ、この穏やかで安楽な生活に身を委ねても、罰は当たらないはずだ。
「ねえ、メアリー?」
ある日の午後、紅茶を淹れてくれていた彼女に、私は唐突に尋ねた。
「私くらいの年頃の貴族の娘って、『普通』なら、一体何をしているのかしら?」
銃やナイフを振り回しているはずがないことだけは、確かだ。
「まあ、お嬢様!」
メアリーは、ぱっと顔を輝かせた。
「お嬢様が、ついに『普通』のことにご興味を! このメアリー、感無量ですわ!」
彼女は、興奮気味に指を折りながら数え始める。
「まず、何と言っても、学校ですわね。王立魔法学園などが、特に有名でございます」
「……学校」
その言葉に、私の脳裏に、冷たいコンクリートの壁と、血反吐を吐くほどの過酷な訓練の記憶が、一瞬だけ蘇った。
「……あまり、良い印象はないわね」
「まあ! 王子様たちも通われている、それはそれは素敵な場所ですのに」
王子、という単語に、私の眉がひそむ。
「学校以外に、何かあるの?」
「そうですね……あとは、やはり、恋愛でしょうか?」
「恋愛?」
「はい! 王宮にはエイデン王子がいらっしゃいますし、お嬢様の護衛には野性味あふれるアノン様、執事には陰のあるシオン様と、美形ばかり! なぜ、誰とも恋愛関係におなりにならないのかと、不思議でなりませんでしたのよ!」
「……それが、『普通』なの?」
「はい! 極めて『普通』のことかと存じますわ!」
メアリーが力説する。私には、全く理解できない。
「……学校と、恋愛以外には?」
「でしたら、やはり社交は外せませんわ! 美しいドレスで着飾って、夜会に出席なされば、お嬢様の若々しい愛らしさと、街を救った英雄という実績で、社交界の華となることは間違いありません! さあ、山ほど届いている招待状の中から、今夜の出席先を選びましょう!」
メアリーが、私の目を盗んで隠し持っていたらしい、招待状の束を取り出す。
社交。それは、私がこの世界で、魔法の次に苦手なものだ。
「……はぁ」
思わず、深いため息が漏れた。
「お嬢様、ため息ばかりですわ」
普通とは、なんと難しいのだろう。
その全てが、私の最も苦手とする分野であることに、私は愕然とするしかなかった。
◆
部屋に閉じこもっているのも、飽きてきた。
気晴らしに、私は王宮の庭園を散策することにした。
早朝だからか、庭には誰もいない。
見事に手入れされたバラ園を抜け、噴水のある広場へと向かう。
薔薇の甘い香りが、心地よかった。
権力闘争も、世界の謎も、前世の因縁も忘れて、こうして静かに過ごす時間。
これこそが、私が求めていた「普通」なのかもしれない。
そう思った、その時だった。
風を切る、鋭い音が、静寂を破った。
広場の向こうで、人影が一つ、一心不乱に剣を振っている。
あれは、エイデン王子。
「もっと強く、もっと速く、もっと正確に……! 僕は、彼女よりも、強くならねば……!」
こんな早朝から、彼は一人、剣の稽古に打ち込んでいた。
その剣筋は、以前よりも、遥かに鋭く、洗練されている。
だが、彼の体は限界に近いようだった。
額からは玉の汗が流れ、呼吸は荒く、その顔には悲痛なまでの決意が滲んでいる。
強くなりたい、と。
自分の無力さを恥じ、あの夜の屈辱を、彼は決して忘れてはいなかったのだ。
私のような用心棒に頼らず、自らの力で、国を、そして、誰かを守るために。
彼に見つかると、また面倒なことになりそうだ。
私は、静かにその場を立ち去ろうとして、ふと足を止めた。
彼の、あまりにも真っ直ぐな瞳。そのひたむきな姿。
それを見ていると、私の心の、冷たく凍てついていたはずの部分が、少しだけ、温められるような気がした。
だが、同時に、強い不安に襲われる。
(……彼は、強くなろうとしている。誰かを守る為に)
その思いが、いずれ、彼自身を破滅させるかもしれない。
舞踏会での戦いの様に、私の警告を聞かずに戦いの場に割り込んできたりしたら……ゲーレンのような、規格外の脅威を前にした時、中途半端な力は、無力である以上に危険なのだ。
そう、この前は単に運が良かっただけ。ゲーレンは本気ではなかった。
あのような行動をされると、次は守り切る自信がなかった。
奴が本気なら、私とアノンの2人がかりでも、勝てるかどうかすら怪しいものなのに。
その上で誰かを守りながら戦うなど悪夢に等しかった。
私は、アーチの影に身を隠したまま、ただ、彼の剣の軌跡を、複雑な思いで見つめていた。
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