第5話 最重要護衛対象
男の声は、私のことを明確に「破星」と呼んだ。
それは、私の名なのか?
だが、誰だ、この男は。
血で霞む視界では、彼の顔がよく見えない。
長身で痩躯。闇色の、所々が擦り切れた衣服を纏っていることしか判別できなかった。
「それにしても、この化け物は一体何だ? まあいい。後は俺に任せておけ」
男はこともなげに言うと、私を一瞥し、何の躊躇もなく上級魔族へと歩みを進めた。
対する魔族は、棺の中から人間が現れるという超常現象を理解できずにいた。
その緋色の瞳が、驚愕と混乱に見開かれている。
ほんの一瞬の、致命的な硬直。
男は、その隙を見逃さなかった。
魔族が我に返り、私にとどめを刺そうと腕を振り上げた、まさにその刹那。
男の姿が掻き消えた。
否、常人には捉えきれない速度で踏み込み、回し蹴りを放ったのだ。
ゴォン!
まるで巨大な鐘を撞木で打ち鳴らしたかのような、重く鈍い衝撃音が洞窟に響き渡る。
村を半壊させ、私を死の淵まで追い詰めた上級魔族が、子供のように無様に蹴り飛ばされ、仰向けに転倒した。
防護フィールドなど、まるで存在しないかのように。
『聖女様に続いて、勇者様まで……?』
生き残った村人の誰かが、震える声で呟いた。
馬鹿な。私は聖女などではない。
そして、この男も、おとぎ話に出てくるような勇者であるはずがなかった。
その動きは、神聖さとは無縁の、あまりにも洗練された殺しの技術だった。
「助けてくれて、ありがとう」
私が掠れた声で礼を言うと、男はゆっくりと振り返り、私の元へ歩み寄ってきた。
「問題ない。俺の任務は、破星の護衛だからな」
そう言うと、彼は私の腕を取り、何かを無造作に突き立てた。
ブシュッ、と圧縮空気が抜ける微かな音。オートインジェクターだ。
銃と同じ、前世の工業製品。冷たい薬液が体内に注入されると、灼けるようだった全身の痛みが、嘘のように急速に引いていく。
「ほら、最後の一本だ。有難く使え」
空になった注射器を投げ捨てると、彼は傷だらけだった私を、壊れ物を扱うかのように、そっと横抱きにした。
いわゆる、お姫様抱っこだ。
「破星、お前の死は絶対に認められない」
男は静かに、だが絶対的な意志を込めて言った。
「邪魔だ、化け物。俺の最重要護衛対象に、いったい何をしてくれた?」
再び魔族へ向き直る男の横顔は、底なしの怒りに染まっていた。
「護衛……? 王女でも貴族令嬢でもない、魔法すら使えないただの村娘の、私を?」
私の問いに、男は少し考える素振りを見せた。
「破星、お前……記憶が? まあいい。俺はお前を守る。それだけだ」
気恥ずかしいことを、さも当然のように言う男だ。
抱きかかえられたままの体勢で、顔に熱が集まるのを感じる。
いや、これは私ではなく、王子様に憧れていた「リオ」の感情だろう。たぶん。
その時、態勢を立て直した魔族が咆哮と共に魔法を放つ。
だが男は、私を抱えたまま、視線すら向けずに最小限の動きでそれを回避した。
その身のこなしは、私の「生存技術」をも上回る、幾多の死線を越えてきた者の動きだった。
「そうだ、バーンも助けてあげて!」
私は、隅で黒い煙を上げて倒れているバーンの姿を指差した。
「あの煙が出ているぼろ雑-巾のような少年か」
男は私を棺の横に静かに下ろすと、バーンに向かって駆けていった。
ダメージで霞んでいた視界が回復し、彼の姿がより鮮明に見える。
後ろで無造作に束ねた黒髪。痩身ながら、服の上からでも分かるほど引き締まった体躯。
いくつかの傷跡が刻まれた顔は、精悍な軍人を思わせる。
腰に提げた大型のリボルバーと、腰に吊り下げられた刀。
やはり私と同じ、前世世界の人間か。
彼はバーンを抱え上げると、自身が出てきた棺の中に横たえた。
バーンの皮膚は広範囲にわたって炭化し、常識的に考えれば即死しているはずの状態だった。
「この損傷レベルは……最大出力でいくしかないか」
男は呟くと、棺の蓋を閉め、側面に触れて何かの操作を行った。
ウィィン、という起動音と共に棺の内側が淡い光を放ち始める。
どうやら、これはただの棺ではなく、一種の医療ポッドか何からしい。
全ての処置を終え、男はゆっくりと魔族へと向き直った。
「さて、護衛対象が世話になった礼をさせてもらう」
男が腰のリボルバーを抜き放つ。
私の使っていた自動拳銃とは比較にならない、大口径の威圧的な銃だ。
魔族は即座に防護フィールドを展開し、最大級の警戒を示した。
轟音。
銃声というより、それはもはや小規模な砲声だった。
放たれた大口径弾は、上級魔族の防護フィールドに触れた瞬間、凄まじい運動エネルギーで空間の歪みをこじ開けるかのように突き進み、奴の肩を深々と抉った。
「ぎゃぁああああああ!」
これまで絶対の防御を誇っていた障壁をいとも容易く貫通され、魔族は信じられないといった表情で絶叫した。
「その敵、接近戦の方がダメージが大きい!」
私が叫ぶと、男は「承知」とだけ短く応え、リボルバーをホルスターに収め、腰の刀に手をかけた。
近代的な銃器と、時代錯誤な日本刀。あまりにも不釣り合いな組み合わせ。
だが、彼が鞘から刀を抜き放った瞬間、洞窟内の空気が凍りついた。
刀身が放つ凄まじいまでの殺気と圧力が、魔族の魔力さえも圧倒していた。
「な……貴様、その刀は……!」
魔族が何かを言いかけたが、男は答えなかった。
ただ、静かに刀を正眼に構える。
「外流雷の型」
その呟きは、死の宣告だった。
男の足が床を蹴った瞬間、その姿は私の動体視力をもってしても捉えきれなかった。
稲妻が迸った、と錯覚した。
「――刺殺」
魔族が迎撃の魔法を唱えるより速く、男はゼロ距離まで踏み込み、その眉間を寸分の狂いもなく刀で貫いていた。
「――旋殺」
突き刺した切っ先を軸に、男の体が独楽のように回転する。
それは死の舞踏。遠心力を乗せた刃が、防護フィールドごと魔族の首を水平に断ち切った。
宙を舞う首は、まだ信じられないという表情のままだった。
「――斬殺」
さらに回転の勢いを殺すことなく、男は天へと振り上げた刀を、今度は首のない胴体へと垂直に振り下ろした。
断末魔の叫びを上げる間もなく、上級魔族の巨体は、脳天から股下まで綺麗に両断された。
魔法を唱える暇など、微塵も与えられなかった。
異世界チートとは、まさにこの男のためにある言葉だろう。
男は悠然と刀の血を振るうと、音もなく鞘に納め、私の元へと戻ってきた。
「どうやら、護衛対象に問題はないようだな」
「ありがとう。なんとか、死なずに済んだわ」
「破星は俺の最重要護衛対象だ。気にする必要はない」
「破星……それは私の名前なの?」
私の問いに、男は少し考えてから答えた。
「…………知らない」
「知らないのに、私を助けたの? 訳が分からないわ」
「どうにも、ハッキリとは思い出せない。どうやら、俺の記憶はひどく混乱しているようだ」
この男も私と同じ、記憶障害を抱えているのか。
私と彼は、一体何者で、この異世界に何故いるのか。
そして、「破星」という名の意味は。
目の前の謎は深まるばかりだった。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。
やる気が出ます。




