第42話 バルコニーの語らい
王宮の広々としたバルコニーには、私以外に誰もいなかった。
春の夜の冷たい風が、メアリーが時間をかけて結い上げた私の髪を、容赦なく乱していく。
眼下には、王都の宝石のような夜景が広がっていた。
ここは、空中庭園になっているらしい。さすがは王宮、としか言いようがない。
舞踏会の会場は、今頃、王子の求婚を無礼にも袖にした女の噂で、持ちきりだろうか。
そんなことを考えながら、私は大理石の手すりに体重を預けた。
(……やはり、私に結婚など、できるはずがない)
この異世界では、ただ普通に生きる。そう決めたはずなのに。
心の奥底で、何かがそれを頑なに拒絶している。
なぜ、そんなふうに考えてしまうのだろう。
普通に生きるのなら、結婚も、誰かを愛することも、決して不自然なことではないはずだ。
もう、認めるべきなのかもしれない。
私には、ただ生き残るだけでなく、その先に、何か成し遂げるべきことがあったのではないか、と。
今まで、その可能性からは、意識的に目を逸らしてきた。
だが、状況証拠は、あまりにも雄弁にそれを物語っている。
そして、その前世での「やるべきこと」が、今の私が「平凡」になることを、決して許さないのかもしれない。
そもそも、なぜ私は、この世界で目覚めた?
まさか、この異世界で、何かを、引き続き実行させるため……?
いっそのこと、面倒だから、完全にリオの心に乗っ取られてしまえばよかった。
そうすれば、こんな余計なことは考えずに、エイデン王子の求婚を受け入れ、おとぎ話のような幸せな未来を、夢見ることができたかもしれないのに。
「どうした?」
静寂を破り、背後からかけられた声。
「アノン……」
「単独行動は危険だ。特に、今の状況下ではな」
彼は、いつの間にか、私の背後に影のように立っていた。
「ありがとう。いつも、守ってくれて」
「……俺の、最重要護衛対象だからな」
「私は、ただ平凡に暮らしたいだけの、普通の女の子よ。貴方に、そこまでして守られる価値なんて、本当は何もないのかもしれないのに」
「普通の女、か……」
アノンが、呆れたように呟く。
その言葉に、私の心の何かが、カチンと音を立てた。
「馬鹿にしないで。私、王子様から求婚されたのよ。私だって、普通の女の子なのだから、結婚くらいするかもしれないじゃない」
元村娘が、舞踏会で王子から求婚される。
我ながら、まるでおとぎ話のような展開だ。
「あの、チャラい王子にか? 破星、奴はお前の力が欲しいだけだ。それくらい、お前にも分かるだろう」
アノンのような、筋金入りの軍人からすれば、きらびやかな衣装で女性と踊るような男は、皆、軟弱に見えるのだろう。
私と同じで、彼もまた、舞踏会とは無縁の人生を送ってきたに違いない。
「さあ、どうかしら。それでも、もし私が彼と結婚すると言ったら、貴方は、それでも私を守ってくれる?」
「愚問だな」
彼は、即答した。
「『生存技術』をその身に刻み込まれたお前は、残念だが、もう決して『普通の女』には戻れない。俺が守るのは、そういうお前だ」
……普通じゃない。全く、反論の余地もなかった。
今日の昼間も、この国の大魔導士を、軽く一蹴してしまったのだ。普通感、ゼロだ。
「……最近、こうも思うの。もしかすると、前世の私には、何か成し遂げるべき『使命』のようなものがあったのではないかって」
「……何か、思い出したのか?」
アノンの声に、緊張が走る。
「ううん、何も。でも、貴方のような特別な護衛がつき、常識外れの特殊訓練を受けていたことを考えれば、そう思う方が自然でしょう?」
「……そうか」
「『死の自由はない』。あの男の言葉が、本当に意味するところ……それは、何らかの使命を果たすまで、決して死ぬな、という意味だと考えれば、腑に落ちるのよ」
「使命、か。俺の使命は、あくまでお前を護衛すること。それ以上でも、それ以下でもない」
「じゃあ、前世での私の使命って、一体何だったのかしら。それに、銃撃されて死んだということは、その使命を果たせなかった、ということよね?」
「……そうかもしれないな」
私の心の深層にいる、あの存在が言っていた、「世界を救う」ということだろうか。
異世界に来てまで、なおも私を縛り付ける、重い鎖。
「『生存技術』を教えた、あの男に責任を取ってほしいわ。私は、ただ普通に暮らしたいだけなのに……」
「破星。お前は、やはり変わったな」
アノンが、どこか遠い目をして呟いた。
「……だが、結婚、か。それなら、いつか、俺とでも……」
「えっ? 今、なんて?」
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
「今、何か大事なこと言わなかった?」
「何も。……それより、あのチャラい王子が、こちらへ来たようだぞ」
何か、決定的に重要な言葉を、はぐらかされた気がした。
「姫君! やはり、ここにいらっしゃいましたか」
息を切らしながら、エイデン第一王子が、私を追ってバルコニーに現れた。
「王子である貴方が、持ち場を離れて、こんなところで遊んでいてよろしいのですか?」
「いえ、遊んでいるわけでは。もう少し、姫君とお話ししたいと思いまして」
「お話? 申し訳ありませんが、私の周りは、何かと危険ですので」
「危険……一体、なぜです?」
「さあ。ですが、どうにも危険なようですわ。何しろ、世界最高の護衛がついているくらいですから」
「ここは王城です。特級魔族ですら、易々と侵入はできません。ご安心ください、姫君」
「それは、そうかもしれませんが」
「ですから、安心して、先程のお話の続きを……」
そう言って、王子が私の顔を覗き込む。
だから、その整った顔を、むやみに近づけないでほしい。
私は平気でも、中のリオがバグを起こしたら、どうするのか。
心臓の鼓動が、少しだけ、早くなっているのが分かった。
「ですが、私は……」
「姫君……まずは、友人からでも、と願っております」
「あの、それは……」
私が、彼の真摯な申し出に、どう答えるべきか迷っていた、その時。
「破星。甘いお話の最中、悪いが、どうやら刺客のようだ。恋愛と違って、お前の得意分野だろう」
アノンが、抑揚のない、棒読みの声で言った。
その言葉に、私は、はっと我に返る。
いつの間にか、バルコニーの柱の影に、いくつもの、濃密な殺気を放つ気配が潜んでいた。
王子に言い寄られ、完全に、警戒心が鈍っていたらしい。
「……私だって、気づいていたわよ」
「ははは。そうは見えなかったがな」
「何ですって? そこにいるのは分かっているわ。出てきなさい!」
私の声に応えたのは、言葉ではなかった。
闇の中から、数発の魔弾が、私を狙って、正確に撃ち込まれた。
その全てを、私は、少し身を捩るだけで躱す。
「なっ……! 王城の警備を掻い潜り、この舞踏会場の、すぐ側まで潜入しただと!?」
王子が、驚愕に目を見開いていた。
今宵の舞踏会は、敵国との講和会議も兼ねている。警備は、普段の数倍は厳重なはずだ。
それを突破してきたということは、相手は、ただの暗殺者ではない。
「私の周りは、危険だと言ったでしょう。王子様、早く、ここからお逃げください」
手練れの刺客。面倒だが、これは、私の範疇の出来事だ。
「君を残して、行けるわけがないだろう!」
「私の実力は、先程ご覧になったはずですわ」
「しかし……! 僕にも、王族としての意地がある! 女性を盾にして、逃げるわけにはいかない!」
邪魔だと言っているのに。
エイデン王子は剣を抜き、戦闘態勢に入った。
アノンもまた、自然な動きで、臨戦の構えを取る。
全く、一体どこの連中だ。
私がわざわざ国家転覆を図らずとも、結局、この舞踏会は、血生臭いものになりそうな予感がした。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。




