第39話 大魔導士アザック
「……なぜ俺様が、貴族令嬢などという軟弱なものと、わざわざ戦わねばならんのだ」
衛兵に連れられて中庭に現れた男は、心底うんざりした、という顔で私を一瞥した。
長身痩躯、切れ長の目に、腰まで届く長い銀髪。
その傲岸不遜な態度さえなければ、誰もが見惚れるであろう、完璧な美形だった。
彼が、かの『暴虐のアザック』か。
「国王陛下のご命令です、アザック様」
「まったく、気が進まんな。お嬢様、そんなヒラヒラのドレスを着たまま、この俺様と戦う気か? ここは舞踏会の会場ではないぞ」
「心配はいらないわ。……それより、どなたか、短剣を一本貸してくださらない?」
国王が目配せすると、衛兵の一人が儀礼用の短剣を私に手渡した。
「ほう? それで戦うと? その玩具のようなもので、俺様の魔法と?」
アザックが、鼻で笑う。
私はその言葉には答えず、受け取った短剣を、自らが纏う純白のドレスのスカートへと、躊躇なく突き立てた。
ザシュッ、と絹が裂ける生々しい音。
観覧している貴婦人たちから、小さな悲鳴が上がった。
私は構わず、邪魔なスカートの裾を派手に切り裂き、動きやすいように長さを調整する。
ついでに、凶器のように細いヒールのハイヒールを、その場に脱ぎ捨てた。
裸足が、ひんやりとした石畳の感触を捉える。
「……準備はいいわ」
「陛下、よろしいですな? 本気でやりますぞ。このお嬢様は、普通に死にますが」
アザックが、最後の確認のように国王に問う。
「うむ。サンジェルマンのタヌキめが、ただの娘を送り込んでくるはずがなかろう。何かがあるはずじゃ。それを見極めよ」
王の許可が下りた。
次の瞬間、アザックの全身から、凄まじい魔力が迸る。
「死にたくなければ、避けることだな、姫君! 炎槍!」
彼の指先から、数条の炎の槍が、凄まじい速度で私に殺到する。
だが、私はそれを、ただ半身をずらすだけで、全て回避した。
この能力魔法無視を、まだここで開示するつもりはない。
私の手の内は、可能な限り隠しておくべきだ。
「……今のを、躱すか」
アザックの目が、初めて、興味の色に染まった。
「確かに、身体強化魔法が使われた形跡はないな。大した動体視力だ。だが、どうやって魔法を使わずに、この俺様を倒す?」
「……こうやるのよ」
私は、先程脱ぎ捨てたハイヒールの一足を拾い上げると、それをアザックの顔面目掛けて、全力で投げつけた。
そして、それと寸分違わぬタイミングで、私自身の体も、彼に向けて突進する。
五メートルの距離。一秒もかからない。
私の奇襲に、アザックは咄嗟に魔法防御を展開したようだった。
彼の周囲の空間が、陽炎のように揺らめく。
だが、ハイヒールは魔法ではない。ただの、物理的な質量を持った物体だ。
飛来する靴に、彼の反応が一瞬、明らかに遅れた。
「ぶっ……!?」
硬いヒールが、彼の完璧な美貌に、深々と突き刺さる。
(……牽制のつもりだったのに、直撃とは。少し、鈍すぎないか?)
いや、違う。
この世界の人間は、誰もが魔法で戦うのが当たり前だ。
特に、彼のような純粋な魔術師は、物理的な攻撃への対処に慣れていない。
言葉では何と言おうとも、非力な私は必ず魔法で攻撃してくる。彼は、そう固く信じ込み、その一点にのみ、全神経を集中させていたのだ。
魔法の万能性こそが、この世界の戦士たちの、最大の弱点。
靴が命中し、彼が体勢を崩した、そのコンマ数秒の隙。
私は、すでにアザックの目前に到達し、短剣の柄を、彼のみぞうちに叩き込んでいた。
人体の急所、太陽神経叢。この部分への的確な打撃は、横隔膜の動きを麻痺させ、一時的に呼吸を困難にする。
彼が、どれほど強力な身体強化魔法をかけていようと、関係ない。
ゼロ距離まで接近した私の前では、あらゆる魔法は、その意味を失う。
「ぐ、へっ……!」
アザックの肺から、全ての空気が強制的に搾り出される。
彼は、呼吸もできず、その場に膝から崩れ落ちた。
『……馬鹿な! あの『暴虐のアザック』が、あんな華奢な令嬢に、一撃だと!?』
『一体、何が起こったのだ……』
周囲が、信じられないといった声で、大きくどよめいた。
「手加減してあげたわ。今のが、短剣の刃だったら、あなたは死んでいた」
私が冷たく言い放つと、アザックは苦しそうに喘ぎながら、私を見上げた。
「……がはっ……一体、どうなってやがる……。魔力の発動は、全く、感じられなかった……。なのに、俺様の身体強化が、破られただと……? この、何でもない打撃に……?」
「だから、言ったでしょう。魔法は使わない、と」
私は、そこで、わざとらしくため息をついてみせる。
「それに、あまり私を本気にさせないでほしいわ。もし、私が本気を出したら、こんな王宮くらい、一瞬で消し飛んでしまうから」
使わないと、使えないは、全く意味が違う。
だが、それは嘘ではない。
私の号令一つで、シオンの革命軍が蜂起する。そうなれば、王宮どころか、この国すら残るまい。
まあ、魔法とは、全く関係ない話だが。
「国王陛下……。特級魔族を単騎で打ち破ったというのは、未だ信じられませぬが……この姫君が、ただ者でないことは、もはや疑いようもございませんな」
謁見の間から見ていた貴族の一人が、震える声で言った。
「馬鹿な! こんな女にアザックが負けるなど! 何かの間違いだ! そうだ、相手が女だから、手加減したのだろう、アザック!」
セラス王子が、ヒステリックに叫ぶ。
「……セラス殿下。俺様は、負けましたよ」
立ち上がったアザックが、すんなりと敗北を認めた。
「最高レベルの身体強化魔法を使っていたにも関わらず、です。それに、手加減されたのは、どうにも、こちらの方らしい。……いやはや、実に興味深いお嬢様だ」
彼は、私に向かって、不敵な笑みを浮かべていた。
「アザックよ、ご苦労であった。……やはり、サンジェルマンのタヌキ公爵めが、ただ者ではない姫を送り込んできた、ということか。確かに、大聖女の器やもしれぬな」
国王が、重々しく呟く。
「しかし、父上!」
「セラス。そなたがアザックを指名し、そのアザックが敗れたのだ。いい加減にせよ」
エイデン王子が、冷静に弟をたしなめた。
「――サンジェルマンの姫君、リオよ。そなたを、第三の大聖女候補として、正式に認めよう」
国王のその言葉が、謁見の間に、高らかに響き渡った。
◆
サンジェルマンのタウンハウスに帰宅すると、玄関で、専属メイドのメアリーが腕を組んで待ち構えていた。
「お嬢様。その、おいたわしいお姿は、一体……」
彼女の目は、私の安否ではなく、切り裂かれ、ボロボロになった純白のドレスにのみ、向けられていた。
「ちょっと、第二王子に因縁をつけられてね。動きにくかったから、ちょっと短剣で裾を短く…」
「だからと申しまして、このような高価なドレスを、ご自身で切り裂くなど! 正気の沙汰ではございません!」
やはり、中身の心配は、一切してくれないらしい。
「夜の舞踏会では、今日以上に華やかに着飾っていただきます! 誰一人として、お嬢様に無礼な口を利けなくしてさしあげますわ!」
メアリーは、新たな闘志を、メラメラと燃やしていた。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。




