第37話 混沌の聖女と革命の執事
馬車の揺れが収まり、王都の屋敷に到着したことを知る。
メアリーの声に促されるまま外に出ると、そこはサンジェルマン公爵が王都に構える、壮麗なタウンハウスだった。
メサリアの本邸にも劣らない、絢爛豪華な貴族の館。
ここが、私たちの王都における活動拠点となる。
案内された自室で長旅の衣装を着替えると、早々にシオンが訪ねてきた。
彼は、私が椅子に腰かけると、部屋へ入ってくる。
「所長。お待ちしておりました。メアリー、少し席を外してもらえますか」
彼の言葉に、メアリーは恭しく一礼して部屋を出ていく。
二人きりになった途端、シオンの纏う空気が、完璧な執事のそれから、怜悧な策士のものへと変わった。
「まずは、メルギド伯爵への戦後賠償金算定の件ですが、彼の息の根を完全に止めるまで、徹底的に吸い上げてやりますよ。国家への賠償とは別に、科研への『寄付』という形でね」
「会ったこともないけれど、可哀そうな方ね」
「無能は、没落して当然ですので」
相変わらず、容赦のない男だ。
元はと言えば、貴方が焚きつけたのだろうに。
「それで、国王陛下への謁見は、明日でしたか」
「はい。そして、その夜には、ロキヌス帝国との講和を記念した舞踏会が、王宮で開催されます」
「舞踏会……」
「ええ。国王陛下、二人の王子、現大聖女。この国の主要人物は、全て参加するはずです」
シオンは、そこで言葉を区切ると、恍惚とした、それでいて恐ろしく冷たい目を私に向けた。
「……いっそのこと、ここで実力をもって、全て排除なされますか? 実は、この王都の各所には、我が革命軍の潜伏工作員を、多数忍ばせてあります」
最高の舞台、とは、このことだったのか。
血塗られた舞踏会。長期目標で大聖女を目指すのではなかったのか。
「……脈絡もなく、物騒極まりないことを言うのね」
この男は、私を一体、何だと思っているのか。
「貴女の、あのメサリアでの戦いを見て、わたくしは戦いの真の非情さを知りました。混沌の権化たる所長ならば、息を吐くように実行なさる策かと思い、選択肢の一つとしてご用意したまで。大聖女を目指すよりも、こちらの方が、遥かに最短で目的を達成できるやもしれませぬ」
混沌の聖女。それが、彼の私に対する評価。
「あなたの革命軍の浸透率は、どの程度のものなの? まさか、国のトップを数人排除するだけで、この国を掌中に収められるとでも?」
「革命のオルグ部隊が、すでに国の中枢組織にまで浸透しております。日和見主義者が多いですが、事が起これば、強い方へと靡くでしょう。つまり、所長が立てば、我々の勝利は揺るがない」
「『貴族を排除すれば、皆が救われる』。今も、そんなプロパガンダを?」
「いえいえ、そのような無意味な理想論は、もう捨てました。我々には、すでに王や貴族、いや、魔族すら超越した、新たなる指導者がおられるのですから。下の者たちには、『救世主が、世界を救う』と、そう伝えてあります。民衆など、他力本願で救われたいだけ。理屈など、何でもよろしいのです」
「その『救世主』とは、誰のことかしら。言っておくけれど、私は誰も救う気などないわよ」
「救う必要などございません。国家改造という大義のためには、非情にならねば。民衆の信仰心など、遠慮なく利用すればよいのです。救世主という権威は、国を動かす上での実に便利な道具にすぎません」
シオンは変わってしまった。
以前は、歪んではいても、確かに民衆を救おうとする理想があったはずだ。
だが、メサリアで、私が数千の兵士と魔族を皆殺しにする光景を目の当たりにして、彼は壊れてしまった。
罪深いのは、私か。
それにしても、なぜ、ただ普通に暮らしたいだけの私が、こうして国家転覆の是非について、議論しているのだろう。
私の目的は、大義などではない。
私が、私だけが、安心して安全に暮らすためという、極小の我欲だ。
そもそも、なぜ、私は、そこまでして生き残りたいのだろう。
やはり、あの男が言っていた、「死ぬ自由はない」という呪いのせいか。
それとも、銃殺された、前世の無念か。
いや、違う。私にだって、平穏に生きる権利はあるはずだ。
前世では銃殺され、この世界では奴隷として売り飛ばされそうになり、訳の分からない化け物に襲われて死にかけた。
そんな、たった14歳の少女が、ただ「普通」を願って、一体何が悪いというのか。
願って当然だ。誰にも、文句を言われる筋合いはない。
だから、どんな手を使ってでも、手に入れてみせる。
「私は……ただ、私だけを救いたいの」
「……わたくしには、所長の深淵なお考えの全ては理解できません。ですが、その目的が何であれ、貴女が前に進むためには、いずれこの国を盗る必要がある。ならば、最短距離を行くべきです」
シオンが、再び私を扇動する。
「さあ、王や貴族など、虚飾に塗れたこの下らない国を、破壊してしまいましょう。わたくしと革命軍は、その号令を、今か今かと待っておりますのに」
「……いや。やはり、当初の予定通り、大聖女就任プランでいきましょう」
さすがに、国家転覆は、リスクが大きすぎる。
「何故です? 舞踏会を急襲し、国の首脳部を一掃する方が、遥かに効率的です」
「今後のために、国軍も、あなたの革命軍も、その兵力は温存しておきたいの」
「……今後の、ため?」
「この国だけが、世界ではないでしょう。今回だって、ロキヌス帝国との講和会議のために、私たちはここに来ている」
いきなりナブラ王国が内戦状態になれば、他国が侵攻してくる口実を与えるだけだ。
情勢が不安定になれば、きっと私の生存にも悪影響を及ぼす。
自分の安全保障を脅かすくらいなら、面倒でも、大聖女になる方が、遥かにマシな選択だ。
「……! なるほど、そうでしたか! この不肖の身には、所長の、それほどまでに遠大な計画、全く見抜けませんでした!」
シオンが、何やら勝手に納得して、感嘆の声を上げた。
「ええ、ええ! 確かに、そうだ! この国を盗るのは、あくまで、世界征服への第一歩に過ぎない! そのためには、国力を温存しておく必要がある! さすがです、所長!」
「……世界征服?」
なぜ、私が、そんな面倒極まりないことを。
「そうです! 所長の、魔族すら利用する知略と謀略、特級魔族すら屈服させる武力、そして、魔法とは全く異なる神外の力『科学』! それをもって、この世界を混沌の渦に叩き落とし、国家改造を超越した、世界改造を進めるのです!」
シオンは、完全に壊れてしまったらしい。
元は真面目な革命青年だったはずなのに、私という異物に当てられた結果、より過激で、より危険な狂信者へと変貌してしまった。
やはり、私は、相当に罪深い。
「……とにかく、私は大聖女を目指す。あなたは、そのサポートを、全力でやりなさい」
「承知いたしました。ですが、もしお気が変わって、権力者全てを抹殺したくなった時は、いつでもご命令ください。我がスリーパーたちが、一斉に蜂起しますので」
大きな面倒事を回避するために、よりマシな、しかし、やはり途方もなく面倒な方策を、私は選んだ。
そんな、重苦しい気分だった。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。




