第36話 王都来訪
五日間に及ぶ長い旅路の末、馬車の揺れが緩やかになり、やがて完全に停止した。
私たちが率いるサンジェルマン公爵家の別動隊は、ついにナブラ王国の心臓部、王都の門に到着したのだ。
貴族専用に設けられた門らしく、衛兵たちは公爵家の紋章を見るなり、敬礼をもって道を開けようとしている。
だが、私はあらかじめ馭者に命じておいた通り、門の手前で馬車を止めさせた。
「お嬢様、王都に到着いたしました。ですが、なぜこのような場所で? このサンジェルマン公爵家の馬車であれば、誰に止められることもなく、王都へお入りになれますのに」
メアリーが、私の意図を測りかねて、怪訝そうな顔で尋ねる。
私はその問いには答えず、おもむろに馬車の扉を開け、ひょいと地面に降り立った。
その、およそ貴族令嬢らしからぬ身軽な所作に、彼女はさらに目を丸くする。
馬車から降り立つと、天を衝くかのような壮大な城門が、私という小さな存在を威圧するように聳え立っていた。
その両脇では、寸分の隙もなく磨き上げられた甲冑に身を包んだ二人の近衛騎士が、微動だにせず警護にあたっている。
その鎧は、眩しいほどに太陽の光を反射していた。
そのうちの一人が、私に気づき、丁重ながらも警戒を隠さない声で話しかけてきた。
「失礼ながら、貴女様は、サンジェルマン公爵家のご令嬢、リオ様でいらっしゃいますな?」
「ええ、そうよ」
「でしたら、馬車にお乗りになったまま、どうぞ街中へお進みください。なぜ、このような場所でわざわざお降りに?」
メアリーと同じことを言われる。
令嬢が門前でうろつくなど、奇異な行動に映っているのだろう。
だが、この巨大な龍の巣に足を踏み入れる前に、どうしても確認しておきたいことがあった。
衛兵がいて、門がある場所。それは、私にとって無視できないリスクを孕んでいる。
「一つ、お聞きしたいのだけれど。この王都に、魔力測定器は設置されているかしら?」
私の突拍子もない質問に、騎士は一瞬、面食らったような顔をした。
「魔力の測定でしたら、王都大聖堂の正面入口にございます。いくつか門はございますが、最も大きく、最も荘厳な門がそれです。聖女様が、今さらご自身の魔力をお測りに?」
「そういうわけではないの。ありがとう、助かったわ」
「は、はぁ……」
衛兵もメアリーも、ますます怪訝な表情を浮かべている。
だが、魔力測定器の本当の機能を知っているのは、この世界で、おそらく私だけだ。
うっかり私やアノンがその近くを通り、例の警報が作動して魔族の大軍でも呼び寄せてしまったら、目も当てられない。
王都の中心で大惨事を引き起こすなど、私の望む平穏な生活とは真逆だ。
後でアノンにも、大聖堂にはむやみに近づかないよう、厳命しておかなければ。
私は騎士に礼を言うと馬車に戻り、馭者に出発の合図を送った。
重々しい音を立てて、王都の門が内側へと開かれていく。
門をくぐった先は、メサリアとは比較にならない、圧倒的なまでの大都市だった。
石畳の道は広く整備され、その両脇には、壮麗な石造りの建物がどこまでも続いている。
道行く人々の数も、服装の質も、メサリアの比ではない。
市場では、見たこともないような品々を並べた商人たちが声を張り上げ、子供たちが屈託のない笑い声を上げて駆け回っている。
ここは、ナブラ王国の富と権力、その全てが集まる場所。
「お嬢様、国王陛下のお名前は、覚えていらっしゃいますわね?」
馬車の中で、メアリーが念を押すように尋ねてきた。
「ええと……」
令嬢教育でシオンに叩き込まれたはずだが、すでに記憶の彼方だ。
権力者の名前など、どうでもいいことは、どうにも覚えられない。
「お嬢様、しっかりしてくださいまし! アルダン・レオンハルト・ナブラ国王陛下でございますわ!」
「アルダン陛下ね。分かったわ」
「そして、第一王子がエイデン殿下、第二王子がセラス殿下。このお三方は、絶対に間違えてはなりません。それに、我がサンジェルマン公爵家と勢力を二分する、もう一つの家門が、ナイジェル公爵家です。そうそう、ナイジェル公爵家には、お嬢様と同じ年頃の、それはそれは美しい姫君がいらっしゃるとか……」
メアリーがよどみなく語る権力者たちの名前と序列が、私の頭を素通りしていく。
なぜ、彼女はこんなものをスラスラと暗唱できるのか。
「それと、お嬢様は聖女でいらっしゃいますから、現大聖女アウレリア様のこともお忘れなく。その絶大な神聖魔法で幾度となく魔族を駆逐し、王国民から絶大な信仰を集める、生き神様のようなお方ですわ」
「大聖女……」
「はい。ただ、アウレリア様も聖女としては、ご高齢であらせられるので、誰がその後継者となるか、王国中で噂になっております。今までは、ナイジェル公爵家の姫君が、最有力候補でした。一応、ラナお嬢様を推す声もありましたが……」
シオンからの事前の情報どおり、公爵としては、ラナの旗色が悪くなったため、私を新たな「切り札」として、大聖女後継者争いに投入するつもりなのだ。
そして、私の臣下となったシオンは、その流れを最大限に利用し、私を国の頂点に据えることで、彼自身の革命を成し遂げようとしている。
政治闘争など、心底下らない。
だが、それが私の目的――科研の拡大――の障害となるならば、実力をもって全て排除するまでだ。
それにしても。
異世界で生き残り、ただ普通に暮らすことが、これほどまでに難しいとは。
化学合成された薬を一錠作るために、いちいち国盗りまがいのことまでやらなければならないなんて。
裏を返せば、それだけ、前いた世界の産業基盤というものが、国家、いや、世界レベルの、広大で複雑なものだったということか。
もし、この世界の人間のように、私が普通に魔法を使えて、普通に魔法が効く体だったなら。
かすり傷も、重い病も、ポーションなる魔法の薬で簡単に治せたなら。
こんな面倒な回り道を、する必要はなかったはずだ。
この世界の「神」とやらは、私に魔法を授けてくれないばかりか、とんでもないハードモードの人生まで押し付けてくれたらしい。
ただ、普通に生きたい。
その、ささやかな願いを叶えることが、この世界では、何よりも難しい。
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