第4話 死の自由はない
着弾の衝撃はあるようだが、銃弾は魔族の皮膚を貫通する寸前で、まるで見えない水面に弾かれたかのように勢いを失う。
彼の周囲の空間が、わずかに陽炎のように揺らめいていた。
「上級魔族の防護フィールドです! 物理攻撃も魔法攻撃も、ほとんど通しません! 気を付けて、聖女様!」
バーンの悲鳴のような声が、壁に反響した。
防護フィールド。
運動エネルギーを減衰させる障壁か。厄介極まりない。
「やはり、興味深い」
私は呟き、左手で棺桶にあったサバイバルナイフを抜き放った。
遠距離攻撃が効かないなら、答えは一つ。
ゼロ距離で、このフィールドごと切り裂くまで。
「なぜ、こんな何もない村を襲う?」
「ゴミを掃除するのに、理由などいるか」
「非効率だ。もっと合理的な理由があるはずだ」
「死にゆく貴様が知る必要はない。その減らず口も、すぐに叩けなくしてやる」
会話は終わり。
魔族が腕を振り上げ、その手に青白い魔力が渦を巻く。
(――いましかない)
私は自動拳銃で牽制射撃を行いながら、床を蹴った。
弾丸が防護フィールドに弾かれ、火花を散らす。
その一瞬の隙を突き、奴の懐に一直線に潜り込んだ。
魔族の目が見開かれる。驚愕の色。
「なっ!?」
紙一重で魔法を回避し、ナイフを奴の脇腹に突き立てる。
分厚い筋肉の層を切り裂く、鈍い感触。
確かな手応えと共に、即座に後退した。
「ぐっ……!」
魔族の体から、初めて鮮血が噴き出した。
「こんな辺境で、我が傷を……しかも、魔法ではない攻撃で。小娘、お前は何者だ?」
「私が誰なのか? それは、私も知らない」
再び牽制射撃。敵が防御に意識を向けた隙に、もう一度切り込む。
だが、今度は浅い。致命傷には程遠い。
身長差がありすぎる。
急所である首や心臓を狙うには、さらに深く踏み込まねばならない。
だが、奴の反応速度は異常に速い。
「得体の知れぬ娘……放置するのは、危険と判断した」
魔族の瞳が、本気の殺意に燃え上がった。
今度は敵の方から突っ込んでくる。その巨体からは想像もつかない、驚異的な速度。
自動拳銃で迎撃するが、勢いは止まらない。
トリガーを引く。だが、不発。
排莢口に空薬莢が詰まっている。
――ジャムだ。
(チッ……しょせん棺桶に放置されていた中古品か)
自動拳銃を投げ捨て、ナイフ一本で魔族の剛腕と対峙する。
一撃目をナイフで受け流すが、二撃目は捌ききれない。
凄まじい衝撃に腕の骨がきしみ、体ごと洞窟の壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
肺から空気が全て搾り出される。
受け身は取ったが、ダメージは大きい。
痺れる体で顔を上げると、目の前で青白い炎が渦を巻いていた。
「混沌炎」
回避不能。
炎が、私を包み込んだ。
体中に激痛が走る。
14歳の村娘の脆弱な体が、悲鳴を上げていた。
意識が、遠のく。
「さて。残りのゴミも皆殺しにしてやろう」
動かなくなった私を一瞥し、魔族は生き残った子供たちに目を向けた。
その手に、先ほど村を半壊させた極大魔術の兆候が見える。
洞窟の空間が、その膨大な魔力に軋み始めた。
「魔界獄炎……」
止めなきゃ。そう思うのに、指一本動かせない。
これが、敗北。
これが、死。
その時だった。
「炎弾!」
震える足で立ち上がったバーンが、なけなしの勇気を振り絞って魔族に魔法を放った。
彼の魔法は防護フィールドに触れた瞬間、蛍のように儚く消える。
何の効果もない。
だが、魔族は不意に術の発動をやめた。
ゆっくりと、虫けらを見るような目で、バーンを振り返る。
「貴様……いい度胸だ。我が極大魔術の前に、まずは貴様から、念入りに殺してやろう」
魔族の矛先がバーンに向かう。
殴られ、蹴られ、血まみれになりながらも、バーンは子供たちを庇うように立ち続けた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
容赦ない追撃の炎に焼かれ、彼の悲鳴が洞窟に響き渡る。
肉の焼ける、むせ返るような臭いが立ち込めた。
バーンの犠牲が無駄なのか?
『やめて! もうやめて! バーンが死んじゃう!』
――これは失敗?
違う。
混濁した意識のなかから溢れ出す、少女の悲痛な叫びが、思考を灼く。
このままでは、また同じだ。
銃殺された、あの日のように。
また、私は「失敗」するのか。
否。
頭の奥で、あの男の声がリフレインした。
『それでもお前たちは、いついかなる時も確実に生き残る必要がある』
『死の自由はない』
『死の自由はない』
そうだ。私は、死ねない。
絶対に、生き残る。
その強烈な生存衝動が、痛みすら麻痺させていく。
魔族は、私がもう死んだと思っている。
バーンへの拷問に集中している今この瞬間こそが、最後の好機。
限界の体に命令し、渾身の力を振り絞って立ち上がると、無音で奴の背後に近づき、ナイフを構える。
狙うは急所の頸動脈。
一撃必殺――!
だが、魔族は魔法の発動寸前だった腕を動かし、私のナイフをその手のひらで受け止めた。
ナイフが奴の手を貫く。
恐るべき反応速度。
「あの攻撃を喰らって、なお立ち上がるとは。忌々しい娘め!」
私はすぐにナイフを引き抜こうとするが、すでに時機を逸していた。
魔族はナイフが刺さったその手で私の頭をわしづかみにすると、虫を払うかのように、力任せに放り投げた。
凄まじい勢いで宙を舞い、後ろにあった棺桶の上に背中から叩きつけられる。
再び体がばらばらになりそうな衝撃と激痛が全身を貫いた。
「ッ……」
口から血反吐が溢れ、私の血がゆっくりと棺を伝っていく。
もう、本当に動けない。
意識が朦朧とする中、自分が叩きつけられたこの棺こそが最後の希望かもしれないと、本能が告げていた。
まだだ!
私は最後の力を振り絞り、血に濡れた手でナイフを握りしめると、蓋と本体のわずかな隙間にその切っ先を突き立てた。
こじ開ける。
この中に、何かあるかもしれない。
生き残るための何かが。
「まだ動けるのか。しぶとい奴め。確実に死ね!」
背後で魔族が魔法を連発し、炎が背中に命中するが、構わない。
どうせ、もう体には何の感覚もないのだ。
私はナイフをひたすら振るう。
ガキン!
甲高い金属音が響く。
だが、棺はびくともしない。
鍵が必要なのか? しかし、鍵穴すらない。
打つ手がない。
視界がかすみ、傷口から命が流れ出ていくのがわかる。
もう、意識が……
消えそうな意識が、敗死を予感したその、刹那。
ガチャリ…
冷たい、無機質な合成音声が、頭の中に響いた。
『対象ノ生命反応、著シク低下。危険水準ヲ突破。緊急覚醒シーケンスニ移行。ロックヲ、解除シマス』
目の前の棺桶が、しゃべった?
プシュー、と圧縮された空気が抜ける音と共に、頑強だった蓋が、いとも簡単に開いていく。
中から、ひんやりとした冷気が漏れ出した。
血で霞む視界の中、棺の中から、ゆっくりと長身の人影が起き上がるのが見えた。
その男は、傷だらけで倒れている私を一瞥すると、静かに、だが確かな怒りを込めて、呟いた。
「破星。お前、ボロボロじゃないか」
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やる気が出ます。




