第33話 即席令嬢の憂鬱
王都召喚の勅命が下り、講和会議への出席と国王陛下への謁見が正式に決定した。
それに伴い、私には、これまで全力で無視してきた、ある深刻な問題が突きつけられていた。
(……王宮に、このメイド服と白衣で乗り込むのは、さすがにまずいか)
なにせ、ここは中世さながらの封建国家。
服装や作法の一つで、こちらの意図とは関係なく「不敬」と見なされ、いきなり無礼打ちにされても文句は言えない。
そうなれば、アノンが黙っていないだろう。王宮で抜刀騒ぎなど、考えただけでも面倒なことになる。
ここは、慎重に行くべきだ。
問題は、山積みだった。
第一に、貴族社会におけるマナーが、私には壊滅的に欠けている。
前世でも、こちらの世界に来てからも、そのようなスキルを習得する機会も、必要性もなかった。
こうして考えると、一度くらいは夜会に出ておくべきだったかもしれない。
もちろん、研究を優先した私の判断が間違っていたとは思わないが。
だが、今となっては、やるしかない。
◆
その後ろ向きな覚悟は、サンジェルマン公爵からの呼び出しによって、現実のものとなった。
後ろ盾である公爵が、私が王都で恥をかかぬよう、最低限のマナー教育を施そうと考えたらしい。
案内されたのは、彼の屋敷の、女性用の豪華なゲストルームだった。
蝶や花がモチーフに用いられた、華やかで、甘い香りがする、私の屋敷とは対極にあるような部屋だ。
「リオお嬢様。お待ちしておりましたわ」
部屋に私を招き入れたのは、専属メイドのメアリーだった。
「カルテラドスから、いつ戻ったの?」
「つい先ほどです。シオン様より、すぐさまこちらの屋敷に来るようにと」
「そう。バーンは元気?」
「はい。お嬢様のお言いつけ通り、街で面白そうな物を探しているようです。ですが、なかなか見つからないと、少し落ち込んでおりました」
そうだろうな。そんなに簡単に、前世の手がかりが見つかるはずもない。
「では、お嬢様! さっそく始めさせていただきますわね! 腕が鳴ります!」
メアリーのその、やけに嬉々とした掛け声と共に、どこからともなく現れた大勢のメイドたちに、私はあっという間に囲まれてしまった。
部屋付きの浴室に連行され、有無を言わさず服を剥ぎ取られ、湯船に放り込まれる。
大勢のメイドの手で、体中を隅から隅まで磨き上げられ、清められていく。
メアリー一人にやられた時とは違う、羞恥と、なされるがままの無力感。
浴室から出れば、今度は花の香油を使った入念なオイルマッサージが始まった。
日々の研究と徹夜で凝り固まった体が、プロの手でゆっくりとほぐされていく。
その心地よさに、思わず意識が遠のきそうになった。
次は、化粧の時間だった。
化粧など、自分でしたことは一度もない。メアリーにされるがまま、顔に様々なものが塗られていく。
前世でも、ホパ村でも、そんな余裕は全くなかったのだから。
全ての工程が終わり、鏡を覗き込むと、そこには全く見知らぬ、完璧な美少女がいた。
「お嬢様……。大変、お美しいですわ。まるで、天から舞い降りた女神様のようです」
メアリーやメイドたちは、自らの仕事の出来栄えに、うっとりとため息をついていた。
そして、最終段階。ドレスの着付けだ。
用意されていたのは、光沢のある純白の生地に、金の刺繍が惜しげもなく施された、息をのむほど豪華なドレスだった。
「……痛い。メアリー、私の体を拘束しないで」
「これはコルセットです、お嬢様。美しい姿勢を保つためには、必要不可欠なものでございます」
メアリーは、容赦なく私のウエストを締め上げていく。
痛い。苦しい。
全ての準備が整うと、メアリーが大きな姿見を私の前に持ってきた。
鏡に映し出されていたのは、本当に、何の穢れも知らない、物語の中の聖女のような少女だった。
だが、その完璧な姿と、私の内面との、あまりのギャップ。
本当の私は、こんな人間じゃない。
これは、偽物だ。
どんな犠牲を払っても生き残ると誓い、敵を容赦なく殺し、排除してきた。
それが、私の当たり前だったはずだ。
なのに、なぜ。
化粧やドレスで見た目を変えられたくらいで、こんなにも罪悪感にも似た、居心地の悪さを感じてしまうのか。
この世界に来てから、私は、何かがおかしくなってしまっている。
その時、部屋の扉がノックされ、シオンが入ってきた。
彼はメイドたちを下がらせると、私の姿を一瞥した。
「……予定通り、美しい」
彼は小さく呟くと、本題を切り出した。
「ドレスの着心地はいかがですか、所長? 今後、それが貴女の戦闘服になりますので、毎日着て慣れてください。これから、社交ダンスと、貴族社会の作法を、即席で叩き込んでいただきます」
村娘が、貴族の真似事か。
シオンは、本気で私を令嬢に仕立て上げるつもりらしい。
「シオン、では、いくわよ」
「はい、所長」
私は彼の手を取り、ダンスの最初のステップを踏み出そうとして――スカートの裾を踏み、見事に体勢を崩した。
「きゃっ!?」
咄嗟に受け身も取れず、私は派手な音を立てて、床に思い切り転倒した。
こんなにヒールの高い靴など、履いたことがない。
その、歩くだけでも困難な靴で、動きにくいドレスを着て、やったこともない奇天烈な踊りをする。
無理だ。無理。絶対に無理。
「……これ、初心者がいきなりペアで踊れるものなの?」
床に座り込んだまま、私が抗議の声を上げる。
「いえ。ですが、所長は常に姿勢も美しいですし、体幹も常人離れしている。問題ないかと思ったのですが」
シオンは、心底意外だという顔をしていた。
「……カオスの権化、魔王ですら逃げ出しそうな所長にも、苦手なことがおありだとは。少し、安心しました」
彼は苦笑すると、私の手を取り、立ち上がらせた。
そして、自ら女性側のステップを、驚くほど優雅にやってみせてくれる。
私も真似てみるが、その動きは、壊れたブリキの人形のように、ぎこちなかった。
ダンスの次は、挨拶や言葉遣いの指導だった。
「カーテシーは、貴族女性の基本です。片足を斜め後ろに引き、もう一方の膝を優雅に曲げる。国王陛下の御前では、これ以上なく深く、そして美しく」
様々な、非合理的で、面倒なしきたりと作法。
貴族というのも、楽ではないらしい。
その日の夜まで、シオンによる熱心な(そして容赦のない)講義は、延々と続いたのだった。
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