第32話 王都召喚命令
メサリア攻防戦から、一ヶ月が過ぎた。
私の生活は、科研の立ち上げ準備のために、相変わらず多忙を極めていた。
その日、私はシオンと二人きりで、今後の運営方針について会議の場を持っていた。
「宣伝活動は、すこぶる順調のようね」
私が淹れてもらった紅茶を一口すすりながら皮肉を言うと、シオンは完璧な執事の笑みで応えた。
最近、私が街を歩いているだけで、人々が道を譲る。
すれ違う誰もが、畏敬の念を込めて深く頭を下げる。
もはや私は、ただの男爵ではなく、この街の守護聖女として完全に神格化されつつあった。
「すべてはシナリオ通りです、所長。貴女の威光のおかげで、科研に対する公爵からの予算執行も、当初の予定より10%増しで進んでおります」
「お手柔らかに願いたいわ。このままでは、本当に聖女にされてしまう」
「お褒めの言葉と受け取っておきます」
シオンは優雅に一礼した。
「私は、ずっとこの停滞した世界を変えたいと願ってきました。そのために、革命軍として貴族制を打倒するのが最善の道だと、あの時までは信じておりました。しかし、あの戦場で貴女という混沌に出会った瞬間から、確信したのです。貴女が進む道の後ろにこそ、真の世界変革があると」
「そんな大層な期待をされても困るわ。私はただ、自分の生存圏を確保して、安寧に暮らしたいだけよ」
世界がどうなろうと、私の知ったことではない。
ただ、敵が私の生存を脅かすから、仕方なく戦っているに過ぎないのだ。
「私の役目は、貴女のその歩みを、いかなる手段を用いても最大限に加速させること。それ以上でも、それ以下でもありません」
シオンの瞳に、狂信的な光が宿る。
「そして、リオ所長。さらに前へ進むため、貴女は、この国の頂点に立つべきです。すなわち、王都神殿の『大聖女』に」
大聖女。
国家神殿組織のトップであり、国王と並び、このナブラ王国の権力の中枢を占める存在。
この男は、私をその地位に据えることで、国そのものを内側から作り変えるという、壮大な国家改造計画を企てているのだ。
「大聖女、ねぇ……」
どんどん、私の本質からかけ離れた偶像が出来上がっていく。
だが、その提案に、無視できないメリットがあることも事実だった。
金食い虫である科研の運営資金は、サンジェルマン公爵という強力なパトロンを得ても、なお全く足りていない。
銃弾を一発作るのに、どれだけの工程と資源が必要か。
高純度の鉄鋼、精密な工作機械、そして無煙火薬を合成するための化学プラント。
医薬品の開発に至っては、薬草の成分分析から始まり、有効成分の抽出、合成、臨床試験と、天文学的な費用と、専門的な知識を持つ大量の人材が必要になる。
なんでもいいから、試作品を一つ作ればいいという話ではなかった。
例え適当に、薬を化学合成しても不純物で一杯だろう。
そんなもの飲めるか!
クオリティ・コントロールした上で生産する。それこそが難しい。
そして、それを支えるサプライチェーンの構築まで考えれば、必要な予算は、一個人の貴族が捻出できる額を遥かに超えている。
これは、どう考えても国家レベルで取り組むべきプロジェクトだ。
シオンは、私のその思考を完全に見透かしていた。
彼は優秀だ。私の目的を正確に理解し、そこへ至るための最短距離を、常に提示してくる。
「……」
(……なんだかんだ言って、国単位の権力を動かせるのは、大きなメリットか)
私の思考が、合理的な結論を導き出す。
だが、心のどこかで、何かがそれに抵抗していた。
リオの魂と混濁してから、「私」の思考は、どうにも純粋な合理主義を突き詰めきれていない。
人々から敬愛され、傅かれるという状況が、元村娘としての魂には、地に足がつかないようで、ひどく居心地が悪いのだ。
「無論、大聖女への道は容易ではありません。これは長期的な戦略目標です。ですが、その第一歩として、一度、王都へ出向いていただく必要があるでしょう」
「王都ですって? そんな所に行っている暇はないわ。研究が山積みよ」
「おそらく、近日中に王都にて、メサリア侵攻に関する講和会議が開かれます。その会議に、メサリアを救った英雄として、所長にもご出席いただきたい。もしかすると、大聖女シナリオよりも、さらに素晴らしい最高の『演出』をご用意できるやもしれません」
シオンは穏やかな口調で語るが、その目には、新たな計略の光が浮かんでいた。
「研究があると言っているのだけど。断ることは、無理かしら?」
「当然です」
彼は、薄い笑みを浮かべた。だが、その目は笑っていない。
「研究は、夜中にでも存分になさってください。昼間はちゃんと働いていただかないと。いずれにせよ、近々、国王陛下から、貴女に王都召喚の勅命が下るはずです。それに従わねば、いかに英雄といえども、反逆者として縛り首…」
この封建社会において、国王の命令は絶対だ。
それは、前いた世界で言うところの、独裁者の命令に等しい。
「……はぁ」
また、面倒な話が、一つ増えた。
科研の予算確保のためとはいえ、政治は苦手だ。
いや、政治そのものよりも、その手段である貴族の社交が、あらゆる意味で私の性に合わない。
夜会への出席要請は、それこそ山のように届いているが、今までは「研究多忙」を理由に、全て問答無用で断ってきた。
そのおかげで、私の神秘性はさらに増し、ますます招待状が増えるという悪循環に陥っている。
あの、戦闘効率ゼロのヒラヒラしたドレスを着て、私がダンスを踊る?
冗談ではない。
そんな私の思いとは裏腹に、その数日後。
国王の紋章を掲げた使者が、一通の羊皮紙を携えて、私の屋敷を訪れた。
ナブラ国王アルダン三世の名において、聖女リオ男爵に、一月後の王都召喚を命じる、という、王の勅命だった。




