第30話 私という狂気
眼下で繰り広げられる地獄絵図。
メルギド軍の兵士たちが、魔族の爪牙によって引き裂かれていく。
その光景を、私は、何の感情もなくただ眺めていた。
壊滅しつつある一個師団に対して、同情は一切湧いてこない。
彼らは、殺し、殺される覚悟を持って、この戦いを仕掛けてきたはずだ。
だが、戦いを挑まれた側からすれば、一方的にそんな覚悟を突きつけられても、まるで割に合わない。
私の魔法無視は、魔法に対しては絶対的な防御を誇る。
だが、その代償として、自ら魔法を使えず、他者からの治癒魔法や強化魔法の効果も一切受け付けない。
この体は所詮、14歳の華奢な少女のもの。
剣で斬られ、槍で刺され、ただの石を投げつけられただけで、この世界の医療レベルでは、実に簡単に死に至る。
何があっても、何をしてでも、絶対に生き残る。
その、前世から続く呪いだけが、今も私を突き動かしている。
そう、私には、彼らのように「殺される覚悟」など、微塵もないのだ。
だから、ひとたび敵意を向けられれば、こちらの生存を第一に、一切の妥協も遠慮もする気はない。
覚悟があったはずの彼らは今、他者を自分たちの都合で下らない戦に巻き込んだことを、骨の髄まで後悔しながら死んでいっているに違いない。
その光景が、なぜか、少しだけ可笑しかった。
私の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
だが、その頬を、一筋の涙が伝った。
(……涙? なぜだ。こんなものは、私には不要なはず)
「私」の思考が、この不合理な生理現象を理解できずにいる。
「……これは、凄まじい光景ですね。お嬢様……いえ、リオ様。貴女は、恐ろしい御方だ。このような策、いかなる軍略家でも思いつきはしないでしょう。ましてや、それを実行に移すなど……それを、わずか14歳の少女が…」
隣に立つシオンが、私を見つめていた。
その常に冷静な瞳に、今は隠しようのない戦慄の色が浮かんでいる。
「他に方法はないわ。それとも、私たちが死ぬ方が良かった? 彼らが共倒れになってくれなければ、生き残ったどちらかが、必ずこちらに向かってくる。そうなれば、この街に被害が出るわ」
「その通りですが……軍人でも、貴族でも、聖職者でも、誰であろうと、これほどの虐殺を、これほど冷静に実行できる人間を、私は見たことがありません」
私は、ゆっくりとシオンの方を振り向いた。
「ねえ、シオン。私は、そのどれでもないのだと思う。軍人も貴族も聖職者も、多かれ少なかれ権力や秩序に依存している。だから、その行動には限界があるのよ」
私は、眼下の地獄絵図に向かって、手を広げてみせた。
「でもね、私は違う。できると分かれば、たとえその先に、ろくな結果が待っていないと分かっていても、やってしまうの。……だって、できてしまうのだもの」
シオンは、私の言葉に、何かを深く納得したように頷くと、諦めたように天を仰いだ。
「……障害となりうる貴女を、偽の盗賊討伐任務でメサリアから遠ざけたつもりだったのですが。まさか、侵攻の意図に気づいて舞い戻り、あまつさえ一個師団をこのように打ち破られるとは。私の完全な計算違いでした」
彼は、独り言のように呟く。
「本当なら、今日この日をもって、サンジェルマン公爵には歴史からご退場を願う、そのはずだったのですよ。有能すぎる貴族は、我々の理想の邪魔でしかありませんからね」
やはり。この男が、全ての黒幕。
「あなたのシナリオにはなかったようだけれど、メルギド伯爵は、ご丁寧にも私に刺客を送ってきたわ。彼は公爵だけでなく、娘のラナも確実に抹殺して、万全を期したかったのでしょうね」
「あの無能が……余計な動きをしたおかげで、鋭敏すぎる貴女に感づかれてしまった。私の完全なミスです。組む相手を間違えました」
「あなたはメルギド側の間者……というわけでもなさそうね」
「まさか。貴族同士の下らない権力争いなど、まるで興味はありませんよ」
シオンはそう言うと、口を閉ざした。
「あなたが何者でも、今の私にはどうでもいい。私自身も、自分が何者かなんて、とても言える状態ではないもの。でもね、シオン。私の邪魔だけはしないで。この五千の兵士たちと同じ運命を辿りたくなければね」
「リオ様。シナリオは崩壊し、サンジェルマン公爵の排除計画は未遂に終わりました。……しかし、私は、今、むしろ歓喜しているのです。貴女という、私の矮小な計画を遥かに超える存在と、こうして出会えたのですから」
シオンは、凄惨な戦場を眺めながら、恍惚とした笑みを浮かべていた。
この男もまた、私と同種の、狂気を纏っている。
不意に、シオンが私の手を取った。
「リオ様。私は、ずっと、貴女のような御方をこそ探し求めていたのだと。そのことに、今、この戦場を見て、ようやく気が付いたのです」
彼はそう言うと、私の手の甲に口づけ、その場に跪いた。
騎士が、自らが仕えるべき唯一の主に捧げる、最上級の敬意の形。
私はいちおう聖女称号ではあるが、これをやられるのは初めてだった。
「貴女が現れなければ、私は公爵に降伏を具申し、この戦いを最小限の犠牲で収束させるつもりでした。ですが、現実はどうです。私が行動を起こした結果、今ここに、死屍累々の山が築かれてしまった。私の行く先に、綺麗な道などありはしない。狂気がなければ、この世界は変えられないのだと、貴女が教えてくれたのです」
彼は、跪いたまま、私を見上げる。
その瞳には、もはや侮蔑も、恐怖もない。
ただ、絶対的なまでの、狂信的な光だけが宿っていた。
「虐殺されている数千の兵士も、わたくしも、そして貴女も、ただ貴族という理不尽な存在が生み出す、下らない権力争いに巻き込まれているだけではないですか。一部の権力者の気まぐれで、いつ殺される側に回るかも分からない」
「……あなたは、貴族に私怨でもあるの?」
私は、彼の視線から逃れるように、握られていた手を引き抜いた。
「あなたも今は貴族。私にとっては敵です。しかし、元はホパ村の村娘。だからこそ、お分かりになるはずだ。同じ人間を分断し、搾取するだけの貴族という不条理は、打倒されねばならないのだと!」
「……貴族を排除したところで、無駄よ」
「何故です!? 虐げられている者たちが、救われるのですよ!」
「だから、それが無駄。人など助けても、また新たな対立が生まれるだけ。そして、最後は、どうせ……」
――どうせ、何?
私は、今、何を言おうとした?
狂気に満ちた戦場の血生臭さが、私の意識の奥底にある、固く閉ざされた扉を、無理やりこじ開けようとしていた。
なぜ、私は、これほどの虐殺を平然と行える?
ホパ村が全滅したのも、この街が襲われたのも、元を辿れば、全て私の存在が引き金だ。
なのに、なぜ、罪悪感一つ感じない?
なぜ、目的のためなら、手段を選ばない?
意識の深いところ、リオの魂よりも、さらに奥。
そこに潜む「本当の私」と、目が合った気がした。
そこにいる私は、気だるそうに、心底うんざりしたように、こう言った。
『――最後の敵は、人間なのに。その世界を、救ってやる必要なんか、ある?』
最後の敵は、人間。世界を、救う。
二つの、決して両立しないはずのフレーズが、頭の中で廻り、相克を始める。
自分でも知り得なかった意識の深層に、こんな得体の知れない絶望が潜んでいるなんて。
「……貴女は、この世界の行く末すらも、ご存知だと?」
シオンが、息をのんで私を見る。
私は、その問いには答えず、明後日の方向を見た。
「未来なんて、分かるわけないでしょう。ただ……民衆のことまで気にしていたら、貴族なんて、やっていられないもの。そう、メイドにかしずかれる度に、この娘は私よりずっと酷い暮らしをしているのだから、かわいそうとか、そういう文脈で考え始めたらきりがないもの」
本当は、ほんの少しだけ、心が痛い。
これだけの人々を死に追いやったこと。酷い格差や、村の暮らしのこと。
これは、リオの感情だ。そして、きっと、それが「普通」なのだろう。
ならば、平然としている私は、どう考えても、普通じゃない。
「革命軍の同志になっていただけるかと。しかし、貴女が、今の貴族社会に収まる器でないことは確か。貴女の存在が、この淀んだ世界を、必ずや動かすでしょう」
「公爵の忠実な執事だと思っていたあなたに、そんな革命家の顔があったなんてね」
「こちら側が、わたくしの素顔でございます。……ですが、リオ様もまた、随分と複雑なご様子」
彼は、全てを見透かしたように、にこりと笑った。
私の壮大な実験は、終盤を迎えていた。
屍山血河の光景が広がり、両軍は最後の死力を尽くして、互いを喰らい合っている。
そしてそれを計算しながら眺める私と、この戦いの後の世界の変革を確信するシオン。
この戦場は、確かに、狂気に包まれていた。
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