第29話 戦場の支配者は無双しない
貴族街へと続く内城壁の門は、固く閉ざされ、その前には普段の倍以上の兵士が槍を構え、厳戒態勢を敷いていた。
松明の光が、緊張に満ちた彼らの顔と、冷たい鋼の穂先を揺らめかせている。
「この門を開けなさい」
私がフードを外し、衛兵に顔を見せる。
だが、彼らは眉をひそめるだけだった。
泥と汗に汚れ、男物の粗末な服を纏った少女。今の私を、この街の英雄「リオ男爵」だと認識できる者はいなかった。
厳戒態勢下の深夜三時。衛兵たちの警戒は当然の反応だった。
このままでは、自らの屋敷を前にして野宿する羽目になる。
カルテラドスからの不眠不休の強行軍、敵との心理戦、神殿への潜入と窃盗。
濃密すぎた一日の疲労は、私の体力を限界まで削り取っていた。
明日の朝には、この戦いを終わらせるための最後の仕上げが待っている。
万全の体調で臨みたかった。
「私は聖女リオ。男爵よ。サンジェルマン公爵閣下に、緊急の戦況報告があるの。開けなさい。よろしくて?」
私は公爵の名を出し、有無を言わせぬ強い口調で命じた。
私の剣幕と、公爵の名に、衛兵は怯んだようだった。
本当であれば後々責任問題になると判断したのだろう。一人が慌てて、確認のための使いに走っていった。
しばらくして、門が軋みながら開き、見知った人物が松明の光の中に姿を現した。
サンジェルマン公爵の執事、シオンだ。
「あなたは……リオ、お嬢様? 馬鹿な……なぜ、ここに……? そんなはずは、ない」
いつもは完璧なまでに整えられた彼の表情が、初めて、純粋な驚愕によって崩れた。
そこにいるはずのない亡霊でも見たかのような、信じられないといった色に染まっている。
「カルテラドスから早馬を乗り潰して駆け戻り、敵の包囲網を攪乱、突破して、午前三時、ついに帰還したわ」
「あなたは、なんて無茶苦茶な人だ……」
さすがの彼も、呆れを隠せないらしい。
このままでは、夜が明けるまで尋問されそうだ。
私は、ラナも近くの森に潜伏しており、アノンが護衛についていることを手短に伝えた。
「そうですか、アノン殿がご一緒ならば、ラナ様の安全は確保されていると。しかし、理解できません。なぜ、わざわざこの死地に戻って来られたのですか? 公爵は、今回のメルギド軍の侵攻を予見し、せっかく貴女がたを街から脱出させたというのに」
やはり、あの任務は、そういうことだったのか。
「ラナと、私の意志よ。さあ、もういいでしょう? 私は疲れているの。自分の屋敷で休ませてもらうわ」
「しかし、今は戦時下です! 敵がいつ総攻撃を仕掛けてくるやも……」
「今日は来ないわ。そして、多分明日もね。だって彼らは、私がぐっすり眠っている間に、勝手に壊滅するもの」
私のその、あまりにも現実離れした物言いに、シオンは言葉を失った。
「……何を、仰っているのです? 敵は完全武装の一個師団。対するこちらは、市民から志願兵を募って、ようやく弱兵が一千弱。公爵閣下も、もはやこれまでと覚悟を決めておられる。勝ち目など、万に一つもない戦いなのですよ。それなのに、なぜ……」
なぜ勝てるのか。その原理を、彼に説明することはできない。
「シオン。結果が全てよ。私はもう寝るわ」
貴族街へ入ると、シオンが手配してくれた馬車に乗り込み、久方ぶりの我が家へとたどり着く。
当直のメイド、リリーナが、驚きと安堵の入り混じった顔で私を迎えてくれた。
「お嬢様! よくぞご無事で……!」
風呂で戦場の汚れを落とし、寝間着に着替える。
天蓋付きの広大なベッドに身を沈め、大きく手足を伸ばした。
一個師団を相手に、正面から戦って勝利する力は、今の私たちにはない。
だが、戦いとは、必ずしも自らが剣を振うことだけではない。
それをできる「駒」に、やらせればいい。
この盤上では、駒と駒をぶつけるのが最上の策。
自ら駒になるのは、愚者のすることよ。
私は、深い眠りの底へと落ちていった。
◆
翌朝。
メサリアの街は、夜明けと共に、再び絶望の淵に立たされていた。
だが、その絶望は、昨日までとは全く質の異なるものだった。
私はシオンに案内され、城壁の上からその光景を睥睨していた。
メサリアを包囲していたメルギド軍。
その、さらに外側を、おびただしい数の異形の軍勢が、黒い津波のように包囲していた。
天使、と呼ぶにはあまりに禍々しい、魔族の軍団。
メルギド軍にしてみれば、まさに青天の霹靂だろう。
完全に勝利を手中に収めたはずの戦いが、一夜にして、人知の及ばぬ化物どもによる、一方的な掃討戦へと変わったのだから。
(……魔力測定器の警報効果は、てきめんのようね)
さて、敵同士の潰し合い。高みの見物と行きましょうか。
「……お嬢様は、もしかすると、この事態を予見されていたのですか?」
シオンが、畏怖の念を隠せない声で、私の方を振り向いた。
「ええ。道中、魔族の大軍が、こちらへ向かっているのを見たから」
私は、適当にはぐらかした。
「そうですか。確かに、これなら敵は共倒れになるやもしれません。しかし、このような偶然が……」
「昨日、私たちが敵の追撃部隊を攪乱し、夜襲を躊躇させたのは、このためよ。魔族が到着する前に、城壁を突破されては厄介だったから」
あの天使たちを召喚したのが、私だという部分を除いて、作戦の概要をシオンに話す。
恐らく、魔力測定器の真の目的は、私のような魔力の非適合者を検知し、抹殺すること。
そして、その実行部隊が魔族。道理で、奴らが私の行く先々に現れるわけだ。
三度目の正直。今回は、そのシステムを、逆用させてもらった。
すでに、魔族とメルギド軍の戦端は開かれていた。
攻城戦を想定した対人兵装のメルギド軍は、数の上では魔族に勝るものの、一体一体の戦闘能力では比較にならない。
それでも、背後にはメサリアの城壁があり、逃げ場はない。彼らは必死で戦っていた。
前衛部隊が、魔族の放つ爆炎魔法によって瞬く間に蒸発し、前線が崩壊する。
戦いは、すでに乱戦の様相を呈していた。
私のいる場所は、戦場全体を見渡せる最高の観測地点だった。
人間の兵士と、魔族の戦闘特性。部隊規模での損耗率の計算。
そして、この世界の戦闘における「魔法」という要素の比重。
自らの戦闘経験も踏まえ、オペレーションズ・リサーチ的手法で、脳内で何度も戦闘シミュレーションを繰り返す。
(……やはり、どちらも魔法への依存度が極めて高い)
攻撃の主体は魔法。物理的な白兵戦は、あくまで補助的なもの。
強力な魔法を使える指揮官クラスほど、その傾向は顕著だ。
この世界では、誰もが魔法を使える。
ならば、危険を冒してまで、剣で斬り結ぶ必要性も薄いのだろう。
戦術も、武器も、全てが魔法を中心に発展し、そして、静滞している。
この黒い実験は、私の仮説を裏付ける、貴重なデータをもたらしてくれた。
「伝令!」
私は、傍に控えるメサリアの兵士に命じた。
「城壁の上から、メルギド軍の最終防衛線が崩壊しそうな箇所にいる魔族を、魔法で攻撃! 援護しなさい!」
「はっ!? し、しかし、メルギド軍は敵であります!」
「いいから、やりなさい! それと、神官たちは、メルギド軍の騎士に、回復魔法と祝福の魔法を!」
私の常軌を逸した命令に、兵士たちは混乱しながらも従った。
城壁から放たれた炎が、メルギド軍を蹂躙していた魔族の背後を襲う。
消耗しきっていた騎士たちの体に、祝福の光が注がれる。
これは、敵であるメルギド軍を助けるための行為ではない。
両者の戦力を拮抗させ、その消耗率を、限界まで高めるための、冷徹な計算。
この戦場を支配しているのは、メルギド軍でも、魔族でもない。
この私。
その事実を、隣に立つシオンだけが、畏怖と、そして狂信的なまでの熱を帯びた瞳で、理解していた。
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