第28話 神を恐れぬ怪盗
城壁の亀裂から滑り込んだメサリアの街中は、異様な熱気と静寂が混在する、奇妙な空間と化していた。
城壁沿いの通りでは、兵士たちがバリケードを築き、傷ついた仲間を運びながら、次の襲撃に備えて緊張の糸を張り詰めている。
だが、その瞳に絶望の色は薄い。
「聞いたか? 街の外に、援軍がきたらしい」
「ああ、夜空に光の柱が立ったのを見た! 我々は見捨てられていなかったんだ!」
ラナの聖光充填は、敵への挑発であると同時に、籠城する味方への狼煙でもあったのだ。
援軍の存在という希望が、彼らの士気をかろうじて繋ぎ止めている。実にクレバーな一手だ。
夜間なので元より薄暗く、さらに私が男物の汚れた平民服を纏っているせいか、この街では比較的顔が知られているはずの私に、誰も気づく様子はなかった。
そのほうが、これから行う「裏仕事」にとっては、好都合だった。
街の中心に向かうにつれ、人通りは途絶え、家々の窓からは明かりも漏れていない。
市民たちは、固唾をのんで息をひそめているのだろう。
やがて、貴族街を囲む内城壁が見えてきた。
ここが最終防衛ラインらしく、再び兵士が厳重に配置され、物々しい雰囲気が漂う。
このまま貴族街にある自分の屋敷に戻り、休みたいのは山々だ。
だが、その前に、一つだけ済ませておくべきことがあった。
私は、兵士たちの視線を巧みに避けながら、闇に沈む巨大な建造物――神殿へと向かった。
以前のシャガーンとの戦いで半壊した正面扉には、粗末な仮の扉が取り付けられ、硬く閉ざされている。
私は建物の側面に回り込み、人気がないことを慎重に確認すると、サバイバルナイフの先端で窓の鍵を巧みに破壊し、音もなく神殿内部へと侵入した。
ひやりとした、それでいて神聖な空気が肌を撫でる。
神殿内部に、人の気配はなかった。
聖職者たちは、早々に安全な貴族街にでも逃げ込んでいるのだろう。
そこは、絶対的な静寂に支配された、広大な空間だった。
高い天井に嵌め込まれた巨大なステンドグラスから、青白い月の光が差し込んでいる。
その光は、床に敷き詰められた大理石の上に、神々の物語を描いた幻想的な影絵を映し出し、空気中を舞う無数の塵を、まるで星々のようにきらめかせていた。
両脇には、歴代の聖人たちの像が、闇の中に静かに佇んでいる。
その表情は、この不敬な侵入者を、ただ黙して見つめているかのようだった。
(……なるほど。光と影、そして巨大な空間を利用して、人の心に畏怖と敬虔の念を抱かせる設計か。実に合理的で、効果的な建築ね)
私の思考は、その荘厳な美しさに感動するのではなく、冷徹にその構造を分析していた。
私は、その光の中を、影のように進み、正面入り口の脇にそびえ立つ、あの天蓋型の「魔力測定器」の前で足を止めた。
かつてこの街に攻め入った特級魔族シャガーンは、こう言っていた。
“『適合率』の緊急警報により、この地に来てみれば……”
つまり、そういうことだ。
この装置は、単なる測定器ではない。
神の理に反する者――私のような存在を検知し、それを排除するための魔族を呼び寄せる、警報装置なのだ。
私は、覚悟を決めて天蓋の下をくぐった。
グ……オォン……グォン……ウウウウウウーーー
神聖な静寂を切り裂き、けたたましい警報音が鳴り響く。
その無機質な絶叫が、静謐な聖堂の壁に反響し、まるで神々の怒りの声のように聞こえる。
表示される私の適合率は、相変わらず神から蛇蝎の如く嫌われていることを示す、絶望的な数値だった。
私は、数字が表示されている部分の溝に、サバイバルナイフの頑丈な切っ先を喰いこませると、テコの原理で、天蓋の柱に設置されている測定器のカバーをこじ開けた。
内部構造は、思ったよりも単純だった。
数字を表示する水晶のような台座と、その動力源であるらしく、淡い光を放つ小さな石。
(……これが魔石か。電池のようなものと見ていいだろう)
私がその石を指でつまんで取り除くと、台座の数字は消え、警報もぴたりと止んだ。
魔石を再びソケットに戻すと、再び耳障りな警報音が鳴り響く。
警報音の発生源は、台座の横で高速振動している、薄い金属膜のようだった。
私は、その膜をナイフで躊躇なく切り裂いた。
再び、絶対的な静寂が、あたりを包み込んだ。
音は鳴らなくなったが、測定された数値自体は消えていない。
測定器の機能そのものに、問題はなさそうだ。
私は、この台座本体を柱から引き剥がすべく、ナイフの先端を台座と柱の接着面にある隙間に差し込み、ぐりぐりと抉るようにねじ込んでいく。
しばらくすると、ミシリ、と嫌な音を立てて、台座が剥がれた。
手のひらサイズの台座と、小石ほどの大きさの魔石。
これが、あの巨大な魔力測定器の本体の全てだった。
魔石を台座から取ると数字が消え、入れると鮮やかな蛍光で数字が表示される。
「警報」はもう十分だろう。
私は可能であればこの装置を手に入れたいと考えていたが、今夜、首尾よく奪取することができた。
戦利品の魔力測定器をポケットにしっかりとしまい込む。
仮にも「聖女」が、神殿から御神体の一部とも言える装置を盗み出す。
何とも言えない背徳感だが、明日決行する「黒い実験」のためには、必要なことだった。
私は、装置を抜き取った空洞に、再びカバーを嵌めておいた。
もはや、この門が数字を表示することも、警報を鳴らすことも、二度とないだろう。
衛兵たちは、余計な仕事から解放されて幸運だったな。
私やアノンが神殿を訪れても、いちいち面倒な騒ぎにならずに済む。一石二鳥だ。
目的を果たした私は、再び闇に紛れて神殿を後にした。
次に向かうは、我が家。
内城壁の向こう側にある、貴族街の屋敷だ。
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