第26話 公爵家のお家騒動
宿屋の一室。
私は、先程の尋問で明らかになった事実を、静かに反芻していた。
盗賊の正体は、ラナの叔父が雇った刺客。
そして、本当の標的は、おとり役の私ではなく、聖女ラナ本人。
(……なるほど。そういうことか)
点と点が、一本の線で繋がっていく。
今回の、あまりに唐突だったカルテラドスへの派遣命令。
過労の私を気遣い、馬車で休むようにという、あのタヌキ公爵にしては不自然なほどの「優しさ」。
その全てが、娘であるラナを、刺客から守るための芝居だったのだ。
そもそも、ラナが私たちの騎士団に加入したのも、彼女自身の命が狙われているという、のっぴきならない事情があったからに違いない。
魔族さえも退ける、街で最も強力な戦力の中に身を置くことこそが、最高の安全策だと判断したのだろう。
今回の襲撃は、メサリアの正規騎士団が魔族によって壊滅した、その力の空白を狙ったもの。実に分かりやすい。
公爵は、ラナに暗殺の危険が迫っているという情報を掴んだからこそ、私たちを護衛につけ、急遽この街へ避難させたのだ。
私たちの実力を、それだけ高く評価しているという証でもある。
だが、腑に落ちない点もある。
家督相続が原因だとするならば、なぜ標的がラナなんだ?
普通に考えれば、サンジェルマン公爵その人を排除する方が、遥かに手っ取り早いはずだ。
「リオ様、お考え事ですか?」
いつの間にか部屋に来ていたメアリーが、私のドレスの背中の編み上げを解きながら、心配そうに声をかけてきた。
「あ、いや……」
「それはそうと、こんなに美しいドレスを、あのような下賤の盗賊の血で穢してしまうなど……。お洋服が、あまりにもかわいそうですわ」
できれば、中身の心配をしてほしいところだが。
「これからは、ドレスをお召しの時は、戦闘は一切禁止です! よろしいですわね!」
「ラナだって、戦う貴族令嬢でしょう? あなたは、ラナにも仕えていたのよね?」
「ラナ様は『例外』でございます。……リオ様も、『例外その2』なのかもしれませんが。ですがラナ様は、ご自身で敵と殴り合うようなことはなさいません」
メアリーの言葉に、私はある可能性に思い至った。
「メアリー。なぜ、ラナは騎士団に入ったのかしら? あなたの言う通り、高位貴族の一人娘が、自ら戦場に身を置くなど、普通ではないわ」
私の問いに、メアリーは一瞬、ためらうように口ごもった。
「……リオ様は、この黒科学騎士団の所長様。そして、ラナ様のお命が狙われている今、リオ様には、本当のことをお伝えするべきなのかもしれません」
彼女は、静かに語り始めた。
「実は、ラナ様には、騎士団に入団するはずだった、お兄様がいらっしゃったのです。……ですが、彼は、二年前に何者かに暗殺されました」
やはり。今回の暗殺計画と、無関係ではないだろう。
「ラナ様は、お兄様の死の真相を突き止めるため、そして、おそらくは復讐のために、騎士団への入隊を熱望されたのです。聖女としての素質も、素晴らしいものをお持ちでしたから」
着替えを終え、ベッドに横たわる。
メアリーの話が、頭の中で反響していた。
ラナの父、サンジェルマン公爵の権力も、決して絶対的なものではない。
その地位は、常に内外の政敵に脅かされる、微妙な均衡の上に成り立っているのだ。
そして、そのことが私の生存圏の構築に大きな影を落としていた。
◆
翌朝の食卓は、重い沈黙に支配されていた。
窓の外では、太陽が海を照らし、カルテラドスの街が活気を取り戻し始めている。
だが、私たちの間に流れる空気は、鉛のように冷え切っていた。
「あなた、心当たりはあるのでしょう?」
私は、ラナに単刀直入に聞いた。
「……わたくしは領主の娘ですもの。命を狙われることくらい、日常茶飯事ですわ。でも、アノン様の隣にいれば、きっと大丈夫……」
ラナは、必死に気丈さを装い、話題を逸らそうとする。
「お前は護衛対象ではない」
アノンの容赦ない一言に、ラナが「ひどい」と小さな悲鳴を上げた。
「メルギド伯爵とは、誰?」
私は、核心を突いた。
ラナの顔から、さっと血の気が引く。
「……わたくしの、叔父ですわ」
「お兄さんを殺し、あなたの命も狙う相手に、復讐はしないの?」
「復讐……? できるわけが、ありませんわ……!」
ラナの声が、震えていた。
「そんなことができるなら、とっくの昔にしております! メルギド叔父様は、隣国ロキヌス帝国の宰相なのです! 彼に手を出せば、それを口実に、ナブラ王国とロキヌス帝国との間で、全面戦争が勃発しかねませんのよ!」
なるほど。王侯貴族の血縁関係は、政略結婚によって複雑に絡み合っている。
叔父が、敵国の宰相。
そして、サンジェルマン公爵領は、両国の国境に位置する係争地。
ラナと公爵がいなくなれば、メルギド伯爵には、この地をロキヌス帝国の領土だと主張できる、血縁的な大義名分が生まれるのだろう。
だが、やはりおかしい。
それならば、真っ先に抹殺すべきは、サンジェルマン公爵本人ではないのか?
「……破星。お前の考えている通りなら、もう、戦端が開かれていても、不思議はないぞ」
私の思考を読んだかのように、アノンが静かに言った。
「どういうこと?」
ラナが、不安そうな目で私たちを見る。
私は、冷徹な戦略分析官として、結論を述べた。
「もし私がロキヌス帝国の司令官なら、メサリアの騎士団が魔族によって壊滅した今こそ、侵攻の絶好の機会だと判断する。そして、あなたへの刺客が送られてきたという事実は、その侵攻作戦が、すでに最終段階に入っている可能性を示唆しているわ」
通信手段のないこの世界では、確かな状況は分からない。
だが、私たちがメサリアを発つ時、王都からの増援はまだ到着しておらず、城壁の再建も途中だった。
メサリアは、今、ほとんど無防備だ。
「……お父様が、危ない」
「そういうことになるわね」
「リオ、アノン様! 特級魔族をも退けた、あなた方なら……! お父様を、メサリアを救えるのではなくて!?」
ラナが、懇願するように私たちに言った。
「どうする、破星。我々は少数だ。拠点防衛には不向きだぞ。昨夜の戦いは、あくまで暗殺者相手だったから対応できたが、街の占領を目指す正規軍が相手となれば、全く話は違う」
アノンの言うことは、軍略上、もっともだった。
「でも、私たちだけなら、少人数だからこそ、メサリアまで全速力で引き返すことが可能よ。馬を数頭、調達する必要があるわね」
「……行ってくれるの?」
「メサリアは、私の科学研究所が設立される、未来の拠点よ。私のパトロンである公爵共々、よく分からない連中に占領されては、後々、色々と面倒なの」
動き始めたばかりの計画を、こんな形で終わらせる気は、毛頭ない。
「ありがとう、リオ……! あなたは、わたくしの、心の友ですわ!」
「じゃあ、準備をしましょうか」
◆
貴族用の馬車では、速度が出ない。
私たちは、馬や装備を調達するために、活気を取り戻した街へと出た。
街の人々は、私たちが昨夜の盗賊を退けたことを知っているらしく、歓声を上げて私たちを迎えた。
『見えざる騎士団だ!』
『あなた方のおかげで、街は救われた!』
『見えざる騎士団に、栄光あれ!』
「……黒科学騎士団なのだが」
アノンがぽつりと呟くが、その声は街の歓声にかき消された。
「バーン、メアリー。二人に、最重要任務を与えるわ。このカルテラドスに残り、私やアノンが使っている銃や弾丸、などの珍しい品物を探してちょうだい」
この商業都市は、いずれ私の情報収集と物資調達の拠点になる。
そのための布石を、今、打っておく。
「ぼ、僕、置いてけぼりですか……?」
「違う。あなたたちにしかできない、重要な任務よ。聖女命令です」
「は、はい! リオ様! 必ずや、見つけ出して見せます!」
馬屋で、私たちは屈強な馬を三頭手に入れた。
そして、目立つドレスを脱ぎ捨て、平民が着るような、丈夫で動きやすい服に着替える。
全ての準備を終えた私たちは、カルテラドスの城門で、バーンとメアリーに見送られた。
「リオ、アノン、ラナ……。メサリアへ、全速力で戻るわよ!」
私たちは、メサリアを、そしてそこに迫るであろう戦争を目指し、馬を駆った。
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