第3話 棺の中の遺産
上級魔族の手に収束していく青白い炎は、絶望の塊だった。
あの魔法が、ここで解き放たれれば。
(思考停止するな。まだだ。生存確率が0.01%でもある限り、最適解を探せ)
心の奥底で、知らないはずの「私」の声が命じる。
だが、リオの体は恐怖に震え、動かない。
「こっちだ、リオ! 洞窟に逃げるんだ!」
パニック寸前だったバーンが、最後の気力を振り絞って叫んだ。
村はずれにある洞窟だ。
「走れ!」
バーンに強く腕を引かれ、私は半ば引きずられるように走り出した。
背後で、凄まじい光と爆風がひろがる。上級魔族が魔法を放ったのだ。
振り返る余裕はない。
息を切らし、転がり込むように洞窟へ飛び込む。
内部は、想像と全く違っていた。
自然の洞窟ではない。壁も床も、淡い燐光を放つ未知の金属でできている。
がらんとした広い空間に、棺のようなものがいくつも置かれていた。
まるで、古代の墓所のような佇まいだった。
洞窟には、私たちより先に逃げ込んでいた村の子供たちが、恐怖に震えながら集まっていた。
「みんな、大丈夫か!」
バーンが声をかけるが、子供たちの顔は絶望に染まっている。
奥へ続く道はなく、ここは袋小路だった。
その希望が断たれた瞬間、洞窟の入り口に影が差した。
下級魔族たちが、ぎらつく目で私たちを囲んでいく。
「みんな、僕の後ろに!」
バーンが子供たちを庇い、炎弾を放つ。
だが、魔族はそれをせせら笑うかのように弾き、一瞬で彼の懐に飛び込んだ。
鋭い爪が、バーンの首筋に食い込む。
「がっ……!」
「バーン!」
彼は捕らえられ、宙吊りにされたまま苦悶の声を上げた。
魔族はバーンを盾にしながら、残った私たち――子供と、非力な私――に、ゆっくりと迫ってくる。
後ずさる私の踵が、硬いものにぶつかった。
棺だ。
その棺を見た瞬間、脳裏に雷が落ちたような衝撃が走った。
――隠れろ。今すぐ、この中に。
それは思考ではない。記憶でもない。
体に染み付いた、本能からの命令だった。
「バーン……ごめん」
私は呟くと、すぐそばにあった蓋が開いている棺の中に、咄嗟に滑り込んだ。
蝶番で繋がれた蓋を手際よく内側から閉める。
都合の良いことに、内側からかけられる頑丈なロックまであった。
ガン! ガン!
外から魔族が棺を殴る、鈍い音が響く。
子供たちの悲鳴が聞こえる。
見捨てた。私は、リオは、彼らを見捨てた。
リオの心が罪悪感に苛まれる。
だが、「私」の思考は冷え切っていた。
(最適解だ。まず自身の安全を確保する。それが生存の絶対条件)
この惨劇は、私のせいじゃない。転生したばかりで、私は何も知らない。
そう自分に言い聞かせ、暗い棺の中で体を伸ばした。
その時、頭にコツンと硬い物がぶつかる。
副葬品か、それとも誰かの骨か。
手探りで、その冷たい塊を持ち上げた。
ずっしりとした、重み。
滑らかな曲線と、角張った直線で構成された、その形状。
これは――私が、よく知っているものだ。
その時、見知らぬ記憶が閃光のように蘇る。
――夕日が差し込む、コンクリートの教室。チョークを握る、厳しい顔の男。
「いいか! お前たちは、これから世界中の悪意と憎しみを一身に背負う。世界の敵となるだろう」
男の声が響く。
周りには、私と同じ年頃の子供たちがいる。
「だから、人類最高の護衛をつける。だが、それでも最後は自分の身は自分で守れ。生き残ってこその成功、それ以外は全て失敗だ」
男はそう言うと、黒光りする「それ」を机の上に置いた。
「よって、生存技術の授業を開始する。これより先、お前たちに、死ぬ自由はない」
思い出したくない記憶。
血反吐を吐いた訓練の日々。
なぜ、こんなものが、こんな場所に。
手に握られた鉄の塊は、自動拳銃だった。
マガジンを抜き、指先の感触で残弾を確認する。
……まだ、弾がある。
この世界には存在しないはずの、前世のテクノロジー。
私の命を奪った、科学の凶器。
だが、今の私にとっては、唯一の希望。
(……この世界が、前世と同じ物理法則に支配されているなら。動作するかもしれない)
『ぎゃぁあああああああ!』
少女の絶叫。
私が隠れた棺を諦め、魔族が他の子供に手をかけたのだ。
隠れ続けるか? それが最も安全だ。
村人がどうなろうと、私には関係ない。
(――違う)
リオの心が叫ぶ。バーンを助けたい、と。
体の主導権が、揺らぐ。
(……クソ。不完全な乗っ取りは、こういう時に厄介だ)
それに、このままでは情報源も食料も全て失い、いずれ餓死する。リスクは同じか。
ならば――試すしかない。
私の思考は固まった。
ロックを外し、棺の蓋を蹴り開ける。
バーンを掴んでいた魔族と、目が合った。
その眉間を、寸分の狂いもなく狙う。
――発砲。
乾いた破裂音が、洞窟内に響き渡った。
硝煙の匂い。脳天をぶち抜かれた魔族が、脳漿をまき散らしながら崩れ落ちる。
掴まれていたバーンが、ぐったりと地面に投げ出された。
キーン……。
排出された空薬莢が、血まみれの床に落ち、鈴のような金属音を立てた。
(……物理法則、同一と判断。戦闘、続行可能)
「よし、殺れる」
心の中で殺気を圧縮する。
他の魔族たちが、何が起きたか理解できず、一瞬動きを止めた。
その隙を逃さない。
次の魔族の眉間に、鉛玉を撃ち込む。
鮮血を噴き出し、前のめりに倒れる。
記憶は失っていても、体はこの動きを覚えている。
流れるような、無駄のない殺戮の動作。
一分も経たず、私に敵わないと悟った魔族の最後の一体が、攻撃対象を切り替えた。
隅で震えていた村長の息子、ゲルムだ。
魔族は彼を玩具のように殴打し始める。
「ひぃっ……助けろ、ゲルムだ! おい、魔無し! 早くこいつを殺せ、奴隷が!」
誰かと思えば。助けを乞うにしては、随分と傲慢な物言いだ。
リオの記憶が、彼の所業を告げていた。
なるほど、敵か。
私はゲルムの方へ歩み寄ると、魔族を意に介さず、鋼鉄製の銃把で彼の脳天を思い切り殴りつけた。
「ぐっ……! 魔無し、てめぇ! 俺様の頭を殴るなんて、やっぱり魔族の仲間だったんだな!」
「仲間になった覚えはない。それに、人間だから味方だという道理もない」
この戦場で、敵味方を分ける基準はリオの記憶だけだ。
そして彼女の記憶によれば、この男は紛れもなく敵だった。
私に殴られ地に伏したゲルムの脇腹に、魔族が無慈悲な蹴りを入れる。
強敵である私を警戒しつつも、まずは弱った獲物から始末するつもりのようだ。
「ゲホッ……ごふっ……!」
ゲルムがせき込み、懇願の眼差しを私に向ける。
「悪かった! 助けてくれ、この通りだ!」
「あなたはリオに酷いことをした。私に、あなたを助ける義理があると思う?」
私は動かず、彼が嬲られる様をただ眺めていた。
「くそぉ、この魔無しめ! これでも喰らえ、魔雷!」
逆上したゲルムは、あろうことか魔族ではなく私に魔法を放つ。
だが、苦痛にのたうつ体では照準も定まらず、魔力の雷は虚しく壁を焼いた。
「……やはり、あなたは敵で間違いない。好きにすればいい」
その直後、魔族がゲルムの体に爪を突き立て、至近距離から雷撃を注ぎ込んだ。
ゲルムの貧弱な魔法とは比較にならない激しい稲妻が、彼の体組織を焼き尽くしていく。
(魔法の雷も、高電圧放電の一種か。だとすれば、なぜ指向性を持たせられる?)
そんな場違いな思考が浮かぶ。
「ま……まて……ギョエェェェ」
断末魔が洞窟に響き渡り、やがて沈黙が訪れた。
私は最後の魔族の眉間を正確に撃ち抜く。
これで、洞窟内の脅威は全て掃討した。
「リオ、本当に、本当にありがとう。君がいなかったら僕は……。その力は、いったい……」
倒れていたバーンが、私を畏敬の念で見上げている。
「科学、よ」
不意に、その言葉が口をついて出た。
「科学……? 見たこともない魔法だけど、魔族を一撃だなんて……。まるで聖女様の神の力だ! 君は、本当にすごいよ、リオ!」
バーンは感極まったように涙を浮かべている。
神の力。その言葉を、思考の片隅で聞き流す。
これを科学だと説いたところで、今の彼に理解できるはずもない。時間の無駄だ。
『聖女様が、我々の村に……』
『ああ、伝説は本当だったんだ!』
血まみれの村人たちが、恐怖と、そしてそれ以上の熱狂をもって私を見つめていた。
拝み始める者さえいる。
昨日まで蔑んでいた少女を救世主と崇めるその様に、リオの心がかすかに揺れる。
だが、「私」の思考は冷めていた。
まだ、脅威は去っていない。
村を半壊させた指揮官クラスが残っている。
感傷に浸る暇などない。
私は自動拳銃を見つけた棺に戻り、中を探った。
予備の弾丸が数発と、特殊鋼で作られたサバイバルナイフが見つかった。
マガジンを抜き、発見した弾丸を手早く込める。装弾数は15発。
自動拳銃の動作を簡易的に確認し、マガジンを本体に戻した。
隣の棺も調べたが、こちらはびくともしない。舌打ちし、早々に見切りをつけた。
装備は整った。
だが、それだけでは足りない。情報だ。
未知の生物、未知の世界。
生存のためには、まず敵と、この世界の理を知る必要がある。
手元には、最高のサンプルが転がっていた。
検死だ。
私はナイフを抜き、手際よく魔族の死体を解体し始める。
骨格構造、内臓の配置、弱点の位置、そして食用の可否。
記憶は曖昧でも、体がサバイバルの手順を覚えていた。
(肉は……臭いが強い。毒性のリスクも考慮すると、食用は不可か)
食料問題の解決は後回しだ。思考を切り替え、さらに探求を進める。
次は、人体。魔法を行使する人類の体は、この上なく興味深い研究対象だ。
ゲルムの死体を検分する。雷撃による炭化。やはり、この世界の人類も炭素基盤の生命体らしい。
ナイフで体を切り開き、内部の損傷を確認する。
(ジュール熱による臓器の焼損……。心臓や脳の位置も、私が知る人体構造と差異はない。急所は同じと見ていい)
対人戦闘の可能性を考えれば、この確認は必須だった。
「聖女さま、こわい……」
小さな女の子が、血と臓物にまみれた私を見て後ずさる。
当然だろう。だが、やめる気はない。
この世界の理を一つでも多く理解することが、生存確率を上げると本能が告げている。
(しかし、魔族の血液がなぜ赤い? ゲルムの血と変わらない。ヘモグロビンか? まさか、人間と同系統の生物……?)
そこまで思考が及んだ、その時だった。
「きさま、何をしている!」
地の底から響くような声が、私の探求を中断させた。
洞窟の入り口に、あの絶望の象徴が立っていた。
上級魔族。
その緋色の瞳が、驚愕と殺意をない交ぜにして、死体を解剖する私をまっすぐに射抜いていた。
「おまえだ! そこの娘!」
私は呼びかけに答えず、自動拳銃を構えた。
初弾、そして続けざまに第二弾を、寸分の狂いもなく亜音速で敵の眉間に叩き込む。
「なんだね、それは」
上級魔族は、こともなげに呟いた。
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