第25話 見えざる騎士団
「これは、これは、ようこそお越しくださいました、貴族のお嬢様」
追加の料理を運んできた初老のウェイターが、丁寧ながらも、どこか探るような目で私たちに話しかけてきた。
彼の指には、長年の労働を物語るように、固いタコができていた。
「とても美味しい料理ですね。特にこの魚は絶品です」
私が答えると、ウェイターは「ありがとうございます」と、少しだけ誇らしげに微笑んだ。
「ところで、お嬢様方は、近頃この辺りを騒がせている“見えざる騎士団”というのをご存知ですかな?」
「さあ、聞いたことがないわ」
「なんでも、騎士の姿はどこにも見えないのに、街道沿いに、刃物で綺麗に切り捨てられた盗賊の死体だけが、山のように転がっているという、奇怪な噂でしてな。まるで、幽霊にでも斬られたかのように、見事な切り口だそうで」
その言葉に、私はナイフとフォークを動かす手を、僅かに止めた。
「そうなのですか。わたくし、最近はずっと屋敷に籠っておりましたので、世間の雑事には疎くて」
メサリアでは科研の設立準備に缶詰め、旅に出てからは眠ってばかり。
やっと体調が回復したところだ。
「なんでも、儚くも美しい、どこぞの貴族のお姫様を攫いに行った盗賊団が、返り討ちに遭ったそうです。護衛の騎士の姿は、誰一人として見えなかったと」
「……貴族令嬢、ですか」
「ええ。まあ、お嬢様のように、これだけ見事に魚料理を平らげるほど食い意地の張っている、もとい、お元気な方なら大丈夫でしょうが」
ウェイターは失礼なことを言いながらも、話を続けた。
「問題は、生き残った盗賊どもが、その報復として、このカルテラドスに攻撃を仕掛けると宣言したことでしてな。おかげで、街には夜間外出禁止令が出て、この通り、商売もあがったりなのですよ」
「それは、お困りですわね」
ウェイターが去った後、私は無言でアノンとラナに視線を送った。
二人は、バツが悪そうに、さっと目をそらした。
間違いない。
その「儚くも美しい貴族の姫君」とやらが、誰のことなのか。
そして、「見えざる騎士団」の正体が誰なのか。
その時だった。
街の静寂を破るように、遠くで警鐘がけたたましく鳴り響いた。
『盗賊だ! 海側からだ、盗賊の夜襲だ!』
『逃げろぉ!』
宿屋の外から、人々の悲鳴と剣戟の音が聞こえてくる。
本当に、来やがった。
壁のない海側から一斉に侵入するとは、ただの盗賊にしては、手際が良すぎる。
「また敵ですか……」
バーンが、うんざりしたようにうなだれた。
「ラナ」
私が静かに名を呼ぶと、彼女は皮肉のこもった笑みを浮かべた。
「あら、どうしましたの? 高貴なご令嬢は、存分にお休みになられたのでしょう? その素晴らしい実力を、哀れな盗賊たちに見せつけてやればよろしいのではなくて?」
彼女の言う通りだ。
敵の目的は、街の制圧ではない。“見えざる騎士団”、つまり、私たちをおびき出すための陽動だ。
ならば、私が出ていけば、奴らの攻撃は私一人に集中するはず。
「破星に危害を加える者は、全て斬る」
アノンが、静かに立ち上がる。
「……ええ。少し、仕事をしましょうか」
私たちは、食事代をテーブルに置くと、戦場の喧騒が渦巻く宿屋の外へと出た。
外は、すでに乱戦の様相を呈していた。
街の自警団と、凶悪な顔つきの盗賊たちが激しく斬り結んでいる。
私に気づいた数人が襲い掛かってきたが、アノンの鞘から放たれた閃光が、彼らを血の芸術品に変えた。
しかし、大勢の盗賊は、まだ私たちに気づいていない。
「あなた、全くおとりになっていませんわよ」
ラナの言う通りだ。この乱戦の中では、私が外に出たところで、敵が一斉に気づくはずもない。
「仕方ありませんわね。真の聖女たる、わたくしの力を見せてあげますわ!」
ラナが一歩前に出ると、その両手を天に掲げた。
その姿は、戦場にあってなお、一枚の絵画のように神々しい。
「――神よ! 我が祈りに応え、輝きの祝福を我らが眷属に与え給え! 聖光充填!」
彼女の詠唱に応え、夜空から神々しいまでの光の柱が降り注ぎ、私たち四人の体を包み込む。
闇夜の中で、私たちの体は白銀に光り輝き、その存在を戦場に知らしめた。
「うおおおお! 力が、力が溢れてきます! さすがです、聖女ラナ様!」
バーンの体が、魔力の光で満たされていくのが分かった。
疲労の色が消え、その瞳に戦士の光が宿る。
(……なるほど。広範囲・味方識別型の強化魔法。対象の精神を高揚させ、身体能力を強制的に活性化させる効果が本来はあるのだろう)
だが、その聖なる光は、私とアノンの体を、ただ滑り落ちていくだけだった。
何の効力も発揮していない。
「当然ですわ。これは騎士団の聖女にしか使えない、特別な聖属性魔法。これで、この街中に、騎士団がここにいると宣言できましたわ」
ラナが誇らしげに言う。
その言葉通り、光の柱に気づいた盗賊たちの視線が、一斉にこちらへと集まった。
「――見つけたぞ、貴族の娘!」
敵のボスらしき男の野太い声と共に、周囲の建物の屋根から、いくつもの魔法の火球が放たれた。
そのターゲットは、全て私。アノンやラナを狙うものは、一つもない。
それは、慈悲も、躊躇も、手加減も一切ない、完全な不意打ち。
常人が喰らえば、一瞬で炭化するであろう、荒れ狂う魔法の炎の嵐。
(……誘拐ではない。これは、暗殺だ)
思考が、瞬時に結論を導き出す。
ただの盗賊なら、金蔓である貴族の娘を殺すメリットはない。
誰かが、裏で糸を引いている。
彼らの計画は完璧だったはずだ。
私の、この特異な体質を除いては。
私は、迫りくる炎の嵐に向かって、一歩、踏み出した。
燃え盛る魔力の炎が、私の体を飲み込んだ。
だが、私の体どころか、メアリーが着せた豪奢なドレスの裾すら、それは焦がすことができなかった。
炎のカーテンの中心で、私は平然と立っていた。
「――見つけた」
私は、炎の向こうで、魔法を放ち終えて勝ち誇った表情を浮かべている首領らしき男の姿を、正確に捉える。
動きにくいドレスでの近接戦闘は避ける。
ホルスターから、冷たい鉄の塊――自動拳銃を抜き放った。
乾いた破裂音が、炎の轟音を切り裂いて響き渡る。
屋根の上で、人影が苦悶の声を上げて崩れ落ちるのが見えた。
「リオ、あなた、ご無事ですの!?」
炎が消え去った後、無傷で立つ私を見て、ラナが驚愕の声を上げる。
「問題ないわ。火傷一つない」
「何故ですの!? あれほどの炎に包まれて、死んでもおかしくないのに……!」
「高度な結界魔法よ。私も、一応は聖女ですから」
説明が面倒なので、そう言って誤魔化す。
本当の理由など、私自身にも分からないのだから。
「それよりも、敵の指揮官を尋問するわよ」
アノンが、すでに銃で撃ち抜いた首領らしき男を、広場の中央まで引きずってきていた。
「くっ……殺せ」
男は、地面に押さえつけられながら、無意味なセリフを吐いた。
「殺すぐらいなら、最初からそうしているわ。質問に答えなさい。あなたを操っているのは誰?」
私は、男の喉元にナイフを突き立てる。
その冷たい切っ先が、男の皮膚を僅かに切り裂いた。
「……誰の指示も受けていない。お前を誘拐しようとしただけだ」
「嘘ね。あなたの部下たちは、私を殺すことだけが目的だった。計画が、誘拐から暗殺に切り替わった。違う?」
「……知らねえ」
男の返答に、僅かな間があった。図星か。
「待ちなさい。わたくしの魔法で、その汚い口を割らせてあげますわ」
ラナが前に出ると、男の額に指を突きつけた。
「――精神侵食」
ラナの指先から放たれた微かな光が、男の精神を蝕んでいく。
「う、ううっ……」
「さあ、全てお話しなさい! あなたに嘘はつけませんわ!」
聖女の精神干渉は、盗賊程度の精神力では抗えないらしい。
男の目が、虚ろになっていく。
「……依頼主は……メルギド伯爵様……」
「……!」
「公爵家の……娘を……殺害、あるいは、奴隷として、隣国に……」
「……叔父様」
ラナが、か細い声で呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
彼女は、血の気の引いた顔で、茫然と立ち尽くしている。
メルギド伯爵。ラナの叔父。
つまり、これは、サンジェルマン公爵家そのものの、血で血を洗うお家騒動。
私たちは、とんでもない厄介事の、ど真ん中に足を踏み入れてしまったらしかった。
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