第23話 眠り姫の旅
男爵となってからというもの、私の生活は一変した。
与えられた屋敷は、もはや休息の場ではなく、メサリア科学研究所設立に向けたプロジェクト本部と化していた。
連日連夜、シオンや彼の部下たちと建築計画や資材調達の議論を重ね、私が不在の間のための膨大なマニュアルを作成する。
その合間を縫って、回診と図書館での情報収集もこなす。
睡眠時間は、日に日に削られていった。
「お嬢様、また徹夜ですわね。お顔の色が……」
甲斐甲斐しく世話を焼くメイドのメアリーによって、私は日に日に華美に、そしてやつれたことで儚げな美人になっていく。
見た目の令嬢力だけなら、本物の聖女であるラナにだって負けていないかもしれない。
それほどまでに、私の仕事量は過労死レベルに達していた。
「あなた、ずいぶんと貴族令嬢らしくなったじゃありませんか」
その日、屋敷にやってきたラナが、私の姿を見るなり驚きの声を上げた。
「……最近、メアリーに抵抗する気力もなくて」
「大変そうね。それはそうと、お父様からの『ご命令』よ。これは貴族の義務だから、断れないわ」
ラナが、一枚の羊皮紙をテーブルに置く。
公爵の印が押された、正式な任務命令書だった。
「人使いが荒すぎるわ……。科研の設立こそが、この街の未来を左右する最重要案件のはずなのに」
「今回の件、ぜひともリオ男爵の騎士団に、ということになったらしいわ」
「……それで、内容は?」
「商業都市カルテラドスという港町へ向かい、街道を荒らす盗賊団を討伐せよ、ですって」
メサリアから馬車で二日ほどの距離にある港町。
そこへ至る街道に盗賊がはびこり、商業ギルドから騎士団の派遣要請があったらしい。
魔族絡みではない、ただの人間相手の仕事か。
「リオ、よろしいこと? 明日の朝には出発するから、準備をしておいてね」
「明日!? なぜそんなに急ぐの? 私が街を離れている間に、また魔族が来たらどうするのよ」
「お父様曰く、城壁の復旧工事を急ピッチで進め、王都にも騎士団の増援を依頼しているから問題ない、とのことよ」
あまりに急な話だ。盗賊など、放置しておけばいいものを。
そう抗議したかったが、正直なところ、私の疲労は限界に近かった。
このままでは、いずれ倒れる。ここらで一度、強制的にでも休息を取るべきかもしれない。
「それで、どうやって盗賊をおびき寄せるの?」
「その点は、私たちなら簡単よ」
ラナは、悪戯っぽく微笑んだ。
「『護衛の騎士もつけず、少人数の供だけを連れた、世間知らずの貴族令嬢の一行』。盗賊たちにしてみれば、これほど美味しそうなカモはいないでしょう?」
「……なるほど」
捕らえて身代金を取るもよし、人買いに売り飛ばすもよし。確かに、絶好の獲物だ。
「今回は、あなたにその『貴族令嬢』役をお願いするわ。あなたは馬車の中で、ゆっくり休んでいればいいの。お父様も、リオ男爵は過労気味ではないかと、大変心配していましたわ。だから、盗賊との戦いは、わたくしとアノン様で引き受けるから」
公爵も、私を気遣って? 意外と人が好いのかもしれない。
もっとも、ラナの本音は「アノンと二人きりで戦いたい」というところだろうが。
その夜、私はシオンたちとの仕事の引き継ぎと、緊急時対応マニュアルの最終チェックに追われ、結局また徹夜になった。
◆
いよいよ出発の朝。
私は、もはや抵抗する気力もなく、メアリーによって豪奢なドレスを着せられていた。
玄関ロビーのソファに座った瞬間、意識が途切れる。
次に気が付いた時、私は豪華な馬車の、柔らかな座席の上で揺られていた。
どうやら、眠っている間にアノンに運び込まれたらしい。
今回の旅のメンバーは、おとり令嬢役の私、メイドのメアリー、そして実働部隊のアノン、ラナ、バーンの五名。
馬車の窓から見える景色が、森から平原へと変わる頃、微かな金属音と短い悲鳴が聞こえた気がした。
だが、私の意識は再び深い眠りの底へと沈んでいった。
「リオ、リオ。起きてちょうだい」
ラナの声で目を覚ますと、馬車は小さな宿場町に停車していた。
「……ん……頭が、痛い……」
ふらつく足で立ち上がろうとすると、体がぐらりと傾いだ。
その体を、屈強な腕が、しかし優しく支える。
「大丈夫か、姫君」
アノンだった。
彼はそういうと、さっと私の体を横抱きにした。
「……いつものように、『破星』とか、『お前』とか、言わないのね」
「貴族のご令嬢という設定だろう。失礼はできん」
ああ、そうだった。
この男は、任務と名の付くものは、たとえ記憶を失っていても、クソ真面目に遂行するのだった。
「わ、わたくし、貴族令嬢ですもの! わたくしも、もう歩けませんわ……!」
後方で、ラナが突然その場に座り込んだ。
「ラナ様! でしたら、僕がお運びします!」
バーンが、憧れの聖女の役に立てると、目を輝かせて駆け寄る。
「だ、大丈夫ですわ! それに、貴方は平民。わきまえなさい!」
「も、申し訳ありません!」
バーンはひたすら謝っているが、ラナの目的は、単にアノンに自分も運んでほしいだけだろう。
リオの意識と混ざったおかげか、最近はそんな機微も、分かるようになってきていた。
宿屋に入ると、ロビーにいた人々が一斉に私たちに注目した。
高貴な紋章を掲げた豪華な馬車、美しいドレスを着て屈強な騎士に抱きかかえられる、青白い顔の儚げな姫君、そして、わずかな供回り。
その光景は、格好の噂の的だった。
これこそが、私たちの「罠」。
盗賊たちに「カモがいる」と知らせるための、大掛かりな芝居だ。
部屋まで運ばれ、ベッドに寝かされる。
「食事は後で運ばせる。ゆっくり休むといい」
「アノン様、後はわたくしが」
メアリーが、山のような荷物と共に部屋に入ってくると、アノンは気を利かせたのか、静かに部屋を出ていった。
「それ、何?」
「もちろん、リオ様のお着替えとお化粧道具ですわ」
「重くないの?」
「平気です。魔法で身体能力を強化しておりますので」
「……なるほど」
私はベッドから起き上がると、不意に彼女の背後から、そっと抱きしめた。
「お嬢様!?」
荷物がドスンと床に落ちる。
彼女が驚きに顔を赤くしているのを感じながら、私は集中した。
(……間違いない。今、彼女の体から、魔法による強化の気配が消えた)
やはり、私の能力は、人間が使う魔法にも有効らしい。
「い、一体どうなさったのですか?」
「ううん、ごめんなさい。ちょっと、確かめたいことがあっただけ」
私が離れようとすると、今度はメアリーが、ぎゅっと私を抱きしめ返してきた。
「お嬢様は、わたくしがお仕えした中で、一番愛らしい方です。特に、お疲れで儚げなオーラが出ている時は、本当に深窓の令嬢のようで……それなのに、誰よりもお強く、シオン様以上にお仕事ができるなんて……! ああ、憧れますわ!」
「……ありがとう、メアリー。じゃあ、着替えをお願い」
複雑怪奇なドレスを脱がせてもらい、寝間着に着替える。
メアリーが運んできた夕食を食べると、私は再びベッドに潜り込んだ。
研究所の喧騒から離れ、馬車に揺られ、柔らかなベッドに包まれる。
もはや、いかなる問題が起ころうとも、私を起こすことはできないだろう。
私は、久しぶりに、深く、静かな眠りに落ちていった。
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