第22話 黒科学騎士団と研究所
サンジェルマン公爵から与えられた屋敷は、爵位の授与と共に、正式に私の所有物となった。
辺境の村娘が、一国一城の主となった瞬間だった。
そして、その城には、早くも奇妙な仲間たちが集っていた。
騎士団長アノン、聖女ラナ、そして私の従者バーン。
公爵の命令で私の騎士団に組み込まれたラナは、早々に自身の館から荷物をまとめ、この屋敷に引っ越してきた。
理由は「アノン様といつも一緒にいるため」と「リオのお目付け役」だそうだが、本音は前者だろう。
その日の午前中、私は早速、仮設病院へと向かった。
目的は回診、そして「仕事の引き継ぎ」だ。
「消毒の基本は、清潔な水で患部を洗い流し、高濃度のアルコールで殺菌すること。包帯は毎日交換し、決して使いまわさないように」
私は、戸惑う医師や神官たちを前に、公衆衛生の基礎と創傷処置の基本をレクチャーする。
魔法に頼り切っていた彼らにとって、私の言葉は異世界の呪文のように聞こえたかもしれない。
だが、私の患者たちが目覚ましい回復を見せているという事実が、何よりの説得力を持っていた。
ラナとの勝負は終わった。この病院の管理を、私が続ける義理はない。
今後の運営は、彼らに任せるべきだ。
◆
午後は、屋敷の応接室で今後の方針会議を開いた。
テーブルには、メアリーが淹れた上質な紅茶の香りが漂っている。
「騎士団の名前ですが、聖女がわたくしとリオ様の二人もいるのですから、“聖乙女騎士団”などはいかがでしょう?」
ラナが、うっとりとした表情で提案する。
いかにも彼女らしい、華やかで、そして戦闘には全く向かなそうな名前だ。
「却下ね。その騎士団は、今後私が設立する『メサリア科学研究所』――通称『科研』の実働部隊という位置付けになるわ。騎士団の指揮はアノン、あなたに一任する。だから、名前もあなたが決めなさい」
「そうか。ならば“黒科学騎士団”だ。破星の率いる軍団だ、ドスが効いていていい」
アノンのネーミングセンスは、壊滅的だった。
黒科学。どう考えても、正義の騎士団が名乗る名前ではない。
「知らない言葉ですけれど、なんだか邪悪な響きを感じますわ!」
「そうですよ、アノンさん! もう少し、こう……夢のある名前がいいです!」
ラナとバーンは猛反対したが、団長であるアノンの鶴の一声で、私たちの騎士団は、悪の組織にしか聞こえない“黒科学騎士団”に決定した。
まあ、私自身は名前などどうでもいい。
「ラナ。あなたのところの執事、シオンさんをこちらに応援として派遣してもらえる? これから死ぬほど忙しくなるから、有能な人材が一人でも多く欲しいの。それと、科研の建設用地を確保してちょうだい。大きさは……そうね、神殿と同じくらいかしら。突貫工事で進めるから、公爵に話を通して、人員も確保して」
私は、矢継ぎ早に指示を出す。
公爵はラナを通して私に任務を伝えると言っていたが、逆だ。
私がラナを通して、公爵に任務を与える。この主導権の掌握が、今後の全ての鍵になる。
「メアリーはいる?」
「はい、お嬢様」
「これからは、私のことを『所長』と呼んで。それと、仕立屋に白衣を10着ほど注文しておいてちょうだい」
「かしこまりました。お嬢様……」
メアリーが、どうしても「お嬢様」の呼び方をやめる気はないらしい。
◆
翌日。
私の屋敷には、昨日より多くの人間が集まっていた。
シオンが、彼の部下と思われる有能そうな文官を数人引き連れて、会議に参加したのだ。
「皆さん、これが昨日徹夜で書き上げた、研究所の概略図です」
私がテーブルの上に広げた設計図を見て、シオン以外の全員が息をのんだ。
そこに描かれていたのは、彼らが知るどんな建物とも似ていない、無機質な長方形の塊だった。
華美な装飾は一切なく、採光のための窓もほとんどない。
ただ、機能性だけを追求した、直線的で、冷たい印象を与える建造物。
「……リオ様。これは、何かの要塞ですかな?」
シオンが、困惑を隠せない様子で尋ねる。
「建築面積に対して、最大の容積を確保するための合理的なデザインよ。装飾が不要な分、建設期間も短縮できるでしょう? 魔法でも何でも使って、とにかく最速で建ててちょうだい」
建物は何とかなるだろう。だが、本当の課題は、その中身だ。
実験機器、精密な工作機械、そして何より、科学的な教育を受けた人材。
この世界には、その全てが存在しない。
私一人で、ゼロから産業革命を起こすようなものだ。
科研の当面の目的は二つ。銃の弾薬の安定供給と、薬草以上の効果を持つ医薬品の開発。
だが、無煙火薬の化学合成や、抗生物質の精製。
それらは、元の世界では、巨大な産業ネットワークとサプライチェーンの上に成り立っていた技術だ。
それを、この世界で、私一人で再現するなど、不可能に近い。
だからこそ、私やアノンと共にこの世界に転移してきたと思われる、前世の遺産の探索が重要になってくる。
そこには、私たちの活動を飛躍的に前進させる技術や、あるいは、まだ見ぬ前世の仲間がいるかもしれない。
この探索任務こそが、新設された「黒科学騎士団」の主要任務となるだろう。
そして、私たちが探索で研究所を不在にしても、建設の指揮、物資の調達、人材の教育といった活動が滞りなく行われる、強靭な組織が必要だった。
「シオンさん。あなたを、メサリア科学研究所の副所長に任命します」
公爵の執事を務めるほどの男だ。その行政手腕は疑いようがない。
そして何より、公爵家との強力なパイプ役になる。
「……光栄です、リオ所長。このシオン、全力を尽くすことをお誓いいたします」
シオンは、表情一つ変えずに、恭しく頭を下げた。
その日は、シオンと研究所の具体的な構造や、必要な資材について、夜更けまで議論を交わした。
◆
翌朝、屋敷の寝室にて。
徹夜の疲れで鉛のように重い体を、私は無理やり起こした。
ベッドから這い出ると、すでに控えていたメアリーが、寝間着の脱衣や着付けを手伝ってくれる。
疲労のあまり、意識が途切れ途切れになる。
うつらうつらとしている間に、着替えは終わっていた。
ふと鏡を見ると、そこに映っていたのは、いつもと全く違う自分だった。
いつの間にか、私は優美な貴族令嬢のドレスを身にまとっていた。
メアリーが、私の寝不足による隙をついて、事を起こしたらしい。
「お嬢様! 本日も、大変お美しいですわ!」
彼女は、してやったりという満面の笑みを浮かべている。
「私のことは、所長と……」
「はい、承知しております! お嬢様!!」
もう、逆らう気力もなかった。
メアリーだけは、絶対に、研究所の役職につけるのはやめよう。
私は、心に固くそう誓った。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。




