閑話 サンジェルマン公爵とシオンの深謀
夜更けの執務室で、儂は一人、地図を睨んでいた。
メサリアの街、そしてその向こうに広がる我がサンジェルマン領。赤い駒で示されたそれは、今や、風前の灯火であった。
先の魔族の襲撃で、我が領が誇った騎士団は、事実上壊滅した。地図の上ではただの駒の移動に過ぎぬが、その一つ一つに、儂に忠誠を誓ってくれた者たちの顔があった。彼らの命、そして領地の安寧を守れなかった。この儂の失態だ。
そして、その好機を、あの狐が逃すはずもなかった。
腹違いの弟でありながら、宿敵であるロキヌス帝国の宰相、メルギド。奴は、我が騎士団の壊滅を好機と見て、長年の野心を、ついに牙として剥き出しにしてくるのに違いない。
我が領土へ侵攻してくるのではないか。
更には、息子を暗殺した奴のことだ。
今度は娘のラナまでも殺し、サンジェルマン家の反逆の芽を完全に詰みとるのではないか。
だが、こちらには全てを守り切る戦力がない。どうしたものか?
「……公爵閣下」
静かなノックの後、執事のシオンが部屋に入ってきた。
「夜分に失礼いたします」
「うむ。……シオンよ、この報告書、お前も読んでみよ」
儂は、二通の報告書を、若き執事へと差し出した。
報告書は、仮設病院の医師たちがまとめた、二つのテントの患者たちの経過を記したものだ。
一方の報告書は、我が娘ラナが治療した患者たちのもの。そこには「痛みは即座に消失」「外傷は完全に治癒」といった、華々しい言葉が並んでいる。まさに、聖女の奇跡。
だが、その報告書の末尾には、小さな文字で、無視できぬ一文が添えられていた。「骨折患者の数名に、骨の歪な癒着による、四肢の機能不全を確認」と。
もう一方の報告書は、あのリオという少女が担当した患者たちのもの。こちらは、惨憺たる有様だ。「治療時に激痛を訴え暴れる」「術者への憎悪と恐怖を口にする」など、およそ治癒の記録とは思えぬ言葉が並ぶ。
だが、こちらもまた、末尾に結論が記されていた。「後遺症は一切見られず。骨折患者も含め、全ての者が、完全な社会復帰に向けて、順調に回復中」と記されていた。
「はい。あの決闘から一月……実に、興味深い結果ですね」
シオンは、表情一つ変えずに答える。
「ラナお嬢様の魔法は、まさしく神の奇跡。ですが、あのリオという少女の『技術』は、人の未来そのものを治す力があるやもしれません」
「未知の、技術か……」
儂は、あの少女の、氷のように冷たい、しかし一切の迷いがない瞳を思い出す。
そして、何よりも、彼女が、たった一人で、この街を救ったという、厳然たる事実。
「ラナは、私の、最後の希望だ」
儂は、誰に言うでもなく、呟いた。
「……息子を失い、ラナまでいなくなれば、サンジェルマンの血は絶える。メルギドの思う壺じゃ。何としても、あの子だけは、守り抜かねばならん」
それは、領主としてではなく、ただの父親としての、偽らざる本心だった。
「そのためには、力が必要です」
シオンの、静かな声が響く。
「騎士団を失った今、このメサリアに、ラナお嬢様を確実にお守りできるだけの力は、もはや存在いたしません。……あの、リオという少女の力を、別にすれば」
そうだ。分かっている。
あの娘は、異常だ。特級魔族を単独で討ち滅ぼしてしまった。そんな事が出来たのは、伝説の初代大聖女くらいだ。
儂が生涯を懸けて信じてきた、血筋と魔力が全てを決定するという、この世界の秩序。あの娘は、その全てを、嘲笑うかのように存在する。
危険だ。あまりにも、危険すぎる。
だが、あの力は、今の儂にとって、抗いがたいほどに、魅力的だった。
「閣下。事が収まるまで、リオ嬢を護衛につけ、ラナ様をカルテラドスへ避難させる、というのはいかがでしょう? 彼女の実力があれば、いかなる刺客をも退けることができるかと」
シオンが、思慮深く進言する。
「しかし、そうすれば、あの娘のいないメサリアに、メルギドがすぐにも侵攻してくるのではないか? 奴が最も恐れているのは、特級魔族すら葬る、あの娘の力のはずだ」
「ですが、リオ嬢がいかに強くとも、単騎で人間の軍隊からこの街を守り切ることはできません。それが、軍略というものです。一個人を守ることにこそ、彼女の力の真価は発揮されましょう」
「……たしかに、そうであるな」
シオンの言う通りだ。いくらあの娘が超人だとしても、何千という兵を一度に相手する事はできない。
あくまで、特級魔族は一体だった。
それならば、ラナを守らせるというのは、合理的だ。
「ならば、王都からの騎士団の派遣を急がせ、城壁の修復を突貫工事で行わせる。それらにある程度、目途がついた時点で、ラナを、何らかの理由をつけてカルテラドスへ送り出す、というのはどうだ」
「はい。リオ嬢がこの街を離れたことが、すぐにメルギド側に伝わるとも思えません。その策で、問題ないかと」
シオンは、完璧な執事として、常に最善の策を提示してくれる。
あの娘の実績は、本物だ。その力を、我が娘と、我が領地のために、最大限に利用させてもらう。
そのためには、まず、あの娘を、サンジェルマンの駒として、完全に手懐ける必要がある。
「シオン」
「はっ」
「あの娘に、男爵の位と、聖女の称号を与える。手筈を整えよ」
「……御意」
褒賞という名の、首輪。
せいぜい、我がサンジェルマン家の安寧のために、役立ってもらおうではないか。
儂は、そう決断を下した。
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