第19話 悪鬼と呼ばれた聖女
午前中は、中央広場の仮設病院へ回診に向かう。
勝負の判定は三ヶ月後。それまで、私が「治療」した患者たちの経過を観察し、記録する必要がある。
私が白衣を翻して2号テントに足を踏み入れると、それまで呻き声だけが満ちていた室内の空気が、ぴたりと凍り付いた。
全ての患者が、憎しみと恐怖に満ちた目で、私という災厄の到来を睨みつけていた。
「……来たな、悪鬼め」
最初に悪態をついたのは、私が腕の骨を整復した男だった。
彼の腕は添え木でしっかりと固定されているが、顔は苦痛に歪んでいる。
「昨日はよくもやってくれたな! 聖女様と聞いて安心していたら、いきなり腕を掴んでへし折られるなど! これは治療ではなく、ただの拷問だ!」
「経過は順調です。骨が正常な位置で癒着するためには、当然の処置です」
私は感情を排した声で答え、彼の腕を軽く診察する。
指先の血色も良い。問題ない。
「ぎゃあああ! 痛い! 触るな、このやぶ医者!」
「……消毒をします」
私は構わず、アルコールを浸した布で彼の腕を拭く。
その度に、男はまるで子供のように泣き叫んだ。
他の患者も同様だった。
「この包帯、いつになったら取れるんだ! 傷口が蒸れて痒い!」
「隣のテントの連中は、もうみんなピンピンしてるってのに、なんで俺たちだけこんな目に!」
「聖女様じゃなくて、魔族の間違いじゃないのか!」
罵詈雑言の嵐。
だが、私の心は一切揺らがなかった。
彼らの苦痛は、完全な治癒に至るまでの、計算されたプロセスの一部に過ぎない。
私が黙々とカルテ(と称して用意した羊皮紙)に記録をつけていると、テントの入り口がにわかに華やいだ。
聖女ラナが、数人の付き人を連れて、様子を見に来たのだ。
彼女の周りだけ、空気が輝いているように見える。
「まあ、こちらのテントは、相変わらず賑やかですこと。まるで拷問部屋ですわね」
ラナは、患者たちの惨状を一瞥すると、扇子で口元を隠し、くすくすと笑った。
その声は鈴が鳴るように可憐だが、含まれた侮蔑は隠しようもない。
「わたくしの1号テントの患者様方は、皆様もう痛みもなく、ご自分の足で歩いていらっしゃいますのに。あなた様の患者様方は、おかわいそうに」
「……」
「これでは、勝負はもう決まったようなものですわね。わたくしの『奇跡』と、あなたのその野蛮な『まじない』。どちらが本物の聖女の御業か、誰の目にも明らかですもの」
「見た目の傷を塞ぐことと、失われた機能を回復させることは、全く別の問題です」
私は、カルテから目を離さずに答えた。
「あなたの『奇跡』で治療された骨折患者の腕は、今頃、曲がったまま癒着を始めている頃でしょう。痛みは消えても、その腕で二度と重い物を持つことはできません」
「……なんですって?」
ラナの笑顔が、一瞬だけ固まった。
「あなたのような村娘に、わたくしの聖なる治癒魔法の何が分かると言うのです? 本物の聖女は、患者様に苦痛など与えません。ただ、優しき光で包み込み、癒すのです。あなたのような、悲鳴を喜ぶ悪鬼とは違うのですわ」
ラナはそれだけ言うと、勝利を確信したように踵を返し、光の中へと去っていった。
残されたテントには、より一層強くなった患者たちの敵意と、冷たい沈黙だけが満ちていた。
(……これが、この世界の常識か)
私は誰に言うでもなく呟くと、汚れた白衣の襟を正した。
魔法という、即時的で、見た目にも華やかな現象。
それこそが「治癒」であり、絶対の正義。
痛みや時間を伴う科学的なプロセスは、ただの「野蛮な行為」として断罪される。
理解はできる。だが、同意はしない。
結果は、三ヶ月後に出る。
私は、この非科学的な世界の、より深い情報を得る必要があると強く感じた。
回診を終えた私は、その足で、貴族街の図書館へと向かった。
真実を記すのは、人々の感情ではなく、客観的な記録だけだ。
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