第2話 ハイジャック覚醒
「リオ! しっかりしろ、リオ!」
誰かの声がする。
体を揺さぶられ、泥と草の匂いが鼻をついた。
ゆっくりと目を開けると、バーンの心配そうな顔が間近にあった。
「……バーン?」
「よかった、気が付いたか! 急に倒れるから心配したんだぞ!」
祠から響いた、あの不気味な音は何だったのだろう。
私は体を起こそうとして、――固まった。
頭が割れるように痛い。
そして、頭の中に「いる」。
私ではない、誰かの記憶。
少女のものではない、冷徹で無機質な思考。
二つの意識が融合することなく、砕けたガラスの破片のように脳内に散らばり、互いを切り刻みあっている。
まるで隕石の衝突だ。
リオという星に、「私」という未知の異物が激突した。
人格が綺麗に統合されるわけがない。記憶は分断され、思考はぐちゃぐちゃに混濁している。
これは……私なのか。
『助けてくれ!』
『魔族が攻めてきたぞ! ぐわぁっ!』
村の方角から聞こえる断末魔の叫びが、私の内面的な混乱を強制的に中断させた。
目を向けると、信じがたい光景が広がっていた。
村が炎に包まれ、人々が豚か羊のように、異形の怪物に蹂躙されている。
あれは、魔族。
皮膚は岩のように硬質で、歪んだ角と鋭い爪を持つ。
村人たちが必死に放つ炎や雷の魔法は、彼らの硬い皮膚に当たると、まるで子供の火遊びのように虚しく弾けて消える。
魔法が通用しないのだ。
抵抗する術を失った人々は、なすすべもなく引き裂かれ、踏みつぶされていく。
血生臭い戦場。最悪の状況だ。
なのに、不思議と恐怖は薄い。
恐怖よりも先に、異常なほど冷静な、分析的な思考が浮かび上がる。
(……状況を定義。所属不明の武装勢力による、非対称戦闘。こちらの戦力、脆弱。敵戦力、圧倒的。生存確率、極めて低い)
「逃げるぞ! リオ!」
バーンが私の腕を掴んで引っ張る。
その呼びかけで、散乱した記憶の中から、この場所に関する情報がいくつか引きずり出された。
この村はホパ村。私はリオという14歳の少女。そして腕を引く彼は、隣人のバーン。
そうだ。これはリオの記憶だ。
別人の記憶なのに、不完全に混ざり合っているせいで、まるで自分の体験のようにも感じられる。
「バーン。この魔族って、つまり敵なんだよね」
思わず、確認するように尋ねていた。
今の私にとって、それは極めて重要な情報だった。
「この状況で味方に見えるか!? あいつら、弱い人間に好き勝手しやがって!」
バーンの言う通りだ。
だが、この体の主導権を握りつつある「私」からすれば、人間が味方だという保証もない。
彼は私を引っ張り、魔族の攻撃を避けながら必死に逃げる。
その間も、私の思考は回り続けていた。
なぜ、こんな辺鄙な村を?
戦略的価値は皆無。食料目的なら、焼き払うのは非効率。
単純な殺戮衝動? それにしては、下級魔族の動きに無駄がなさすぎる。
まるで、何かの「作業」をしているようだ。
冷静に考えるほど、お手上げだった。
リオの体は華奢で、戦闘には向かない。
そしてリオの記憶によれば、彼女は魔法が全く使えない「魔無し」。
このままでは、ただ逃げ惑って殺されるだけ。
「勇者様がいれば……」
バーンが絶望的に呟いた。
勇者。
その言葉に、ぐちゃぐちゃの記憶の底から、ある知識が浮かび上がった。
ゲーム? 異世界小説?
そうだ、私はこういうパターンを知っている。
――理不尽な試練を乗り越え、虐げられていた主人公が「覚醒」する物語。
今の私は、まさにそれではないか?
異世界に飛ばされ、他人の体を乗っ取りかけ、記憶が混乱する。これは試練だ。
そして、この村で唯一の「魔無し」だったリオ。
それは、規格外の膨大な魔力を内に秘めているが故に、通常の魔法が使えなかった、という展開の伏線!
そうだ。まだ試していない。
魔法が使えないのは、本来の体の持ち主だったリオだ。
「私」が覚醒した今なら、きっととんでもない魔法が使えるに違いない。
生き残るには、これしかない。
「覚醒した私の真の力を見よ! 炎弾!」
私は叫び、魔族の一体に向けて手を突き出した。
さあ、全てを焼き尽くす神話級の炎よ、現れろ!
…………。
しーん。
何も起こらない。
弱々しい炎どころか、魔力の気配すら感じなかった。
「リオ、魔無しの君が何やってるんだ! 遊んでる場合じゃないんだよ!」
バーンに本気で怒鳴られる。
「ご、ごめんなさい……あはは」
乾いた笑いしか出なかった。
覚醒も勇者も、全部ただの妄想だった。
私は、ただの無力な村娘という存在。
転生ガチャに、大外れしたようだ。
ひたすらバーンに手を引かれて逃げる。
だが、村は広くない。じりじりと追い詰められていく。
その時、一体の魔族が、まるで指揮官のように悠然と前へ進み出た。
他の魔族とは明らかに違う、禍々しいオーラを放っている。
その魔族は燃えるような緋色の目で、逃げ惑う村人たちをゴミのように見下ろすと、業務命令のように、冷たい声で言い放った。
「掃討でお願いします。魔力の低いゴミは、どんどん殺してください。この類の村には、たくさんいるでしょうから」
その言葉に、バーンが絶望に顔を凍りつかせる。
上級魔族。
知性があり、圧倒的な力を持つ、人類の天敵。
なぜ、そんなものが、こんな何もない村に――。
私の思考が答えを出すより早く、上級魔族はまるでデモンストレーションでもするかのように、おもむろに手を村の中心に向けた。
周囲の空気が歪み、全ての音が消える。
凄まじい魔力が、奴の手に収束していくのが見えた。
「魔界の炎よ。わが召喚にこたえ、全てを焼き尽くせ――魔界獄炎」
詠唱と共に、奴の手から巨大な青白い火球が放たれた。
それが村の広場に着弾した瞬間、世界から音が消えた。
――次の瞬間。
轟音。
私達は建物の影に隠れて、何とかやり過ごす。
恐る恐る顔を出すと、信じがたい光景が広がっていた。
村の半分が、消えていた。
家々があった場所は、巨大なクレーターとなり、赤く融解した土が煮えたぎっている。
爆風で砕け散った建物の残骸が、黒い雨となって降り注ぐ。
たった一撃。
たった一撃の魔法で、村の集落が半壊したのだ。
私とバーンは、声も出せずにその光景に打ちのめされていた。
勝てない。逃げられない。
人間では、決して抗うことのできない、災害そのものだ。
呆然とする私たちを、上級魔族は興味なさげに一瞥した。
そして、今度はその手を、ゆっくりと、私たちの方角へ向けた。
その手に、再び、あの青白い絶望の炎が灯り始める。
「……!」
空気が再び歪み、魔力が収束していく。
見てしまった。
あの、村を消し飛ばした魔法が、今度は間違いなく、私たちの方へ放たれようとしている。
茫然自失としていた頭が、強烈な死の予感に殴りつけられた。
転生して、わずか1時間足らず。
どうやら私は、また「失敗」して死ぬらしい。
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