第13話 魔法無視
私はバーンを天窓から容赦なく階下の部屋に落とすと、迷わず隣の建物の屋根へと駆け出した。
この先の戦いにおいて、彼の魔法は通じない。
ここにいれば、彼は確実に足手まといになるだけだ。
シャガーンの目的は私。ならば、わざわざ彼を追うことはないだろう。
「小娘! どこまで逃げるつもりですかな!」
背後から、瓦を砕く音と共にシャガーンの怒声が追ってくる。
私は振り返らず、ただ目的地へと向かって屋根伝いに跳躍を繰り返す。
眼下に広がるメサリアの街は、戦闘の喧騒を逃れた市民が家々に閉じこもり、まるで死んだかのように静まり返っていた。
「死を前に、神に祈りでも捧げに来たのですか? 感心な心がけですな!」
嘲笑と共に、シャガーンが私の背後に着地する。
その言葉通り、私の目的地は目前に迫っていた。
白亜の巨大な建造物――神殿だ。
私は神殿の屋根から中庭へと音もなく飛び降りると、正面の開け放たれた扉からその内部へと滑り込んだ。
衛兵たちはとうの昔に逃げ去ったのだろう。静寂だけが、この広い空間を支配している。
私の後を追い、シャガーンもまた神殿内に侵入してきた。
その足音が、大理石の床に不気味に反響する。
「ほう、もう逃げないのですか? 観念したかな?」
「逃げる? いったい誰が?」
私は、あの忌まわしい警告音を発した魔力測定器――天蓋の前で立ち止まる。
そして、腰の鞘から鈍い光を放つサバイバルナイフを抜き放ち、静かに呼吸を整えて構えた。
「その細いナイフ一本で、ワタクシに挑むと? 騎士団の聖女ですら、私の前では赤子同然だったというのに。まあいいでしょう。貴女を人質にすれば、あの忌々しい剣士も無力化できる」
シャガーンは私を完全に無力な存在と断じ、捕獲するために一直線に突進してきた。
その動きには、油断と侮りが満ちている。
――さあ、実験の時間だ。
私は、突進してくるシャガーンの巨体を、最小限の動きで見切って横に躱す。
そして、すれ違いざまに奴の背中を思い切り蹴り飛ばし、その勢いのまま天蓋へと叩き込んだ。
「なっ……!?」
シャガーンは自身の推進力と私の蹴りの威力で、為す術もなく頭から門に突っ込む形となった。
私は即座に、門の柱に表示された数値に目をやる。
――神への適合率:45.89%。
なるほど。騎士団の聖女よりも、魔族の方が「神」への適合率が高いとは。面白い結果だ。
だが、重要なのはそこではない。奴が「適合者」であるという事実。
それは、奴の力もまた、人間が使う魔法と根源を同じくするものである、という仮説の裏付けになる。
流れるように、私は前のめりに倒れているシャガーンの背後を取り、その首筋目掛けてナイフを突き立てた。
狙うは頸動脈。一撃必殺。
「ぎゃぁああああああああ!」
神殿内に、シャガーンの絶叫が木霊した。
騎士団の剣をあれほど阻んだ防護フィールドは、私の攻撃に対しては一切展開されなかった。
何の障害もなく、刃は奴の肉を容易く貫く。
いや、違う。
私の推論が正しければ、フィールドは「展開されているが、私の前では無効化された」というのが正しい。
ホパ村での戦闘。そして今、この瞬間。
異なる状況下、異なる魔族の個体で、同じ結果が得られた。これで「再現性」は確認できた。
ずっと魔法という現象に感じていた、あの違和感の正体。
これこそが、私の仮説の答えだ。
確信を得た私は、躊躇なく次の実験へと移行する。
ナイフを引き抜き、シャガーンから距離を取る。
彼の首の傷口からは、噴水のように血液が噴き出していた。
だが、その出血は徐々に勢いを弱め、やて傷口がみるみるうちに塞がっていく。
やはり発動したか。特級魔族の再生能力。
これもまた、強力な治癒魔法の一種。そして、私が近距離にいる間は、防護フィールドと同じくその効果が停止していた。
私が離れたことで、再び機能し始めたのだろう。
「……貴様……よくも……!」
傷を癒したシャガーンが、憎悪に燃える目で私を睨みつける。
「ワタクシは特級魔族! 人間どもが畏れ、崇める存在! それを貴様のような小娘が……! この希少な血液を流させた罪、その身をもって償わせてくれる! 人質などもうよい! 喰らいなさい! 混沌閃光!!」
街の城壁を蒸発させた、あの極大攻撃魔法。
神殿の床を融解させ、空気を焦がしながら、灼熱の魔力奔流が私に迫る。
だが、私は避けない。防御もしない。
一歩、また一歩と、光に向かって前進し、その全てを、この身に受け止めた。
灼熱の魔力奔流が、私の体を完全に飲み込んだ。
神殿の床を溶かすほどの業火が、小さな村娘の姿を覆い隠す。
シャガーンの口元に、残忍な勝利の笑みが浮かんだ。
だが、その笑みはすぐに凍り付くことになる。
轟々と燃え盛る魔法の炎。それは確かに私の体を包んでいる。
だが、熱くない。衝撃もない。
ただ、目の前で色鮮やかな光の粒子が明滅しているだけ。
まるで極光のカーテンの中にいるようだ。美しい、とさえ思った。
魔法という現象の「視覚情報」だけがそこにあり、それに付随するはずの「物理作用」――熱エネルギーや運動エネルギーへの変換――が、私の周囲でだけ綺麗にキャンセルされている。
現時点では、魔法という現象が一体何かは私にもまるでわからないが、視覚で見えているものと、実際の物理現象が本当は全く異なっているのかもしれない。
やがて光が収まると、そこには黒い煤一つついていない、無傷の私が立っていた。
そして、私の背後にあった神殿の壁には、まるで私がそこに存在しなかったかのように、大穴が穿たれている。
「フフ……。第二実験、成功。やはり、私には一切効いていない」
不敵な笑みが、自然と込み上げてきた。
ホパ村で魔法の炎に焼かれた時、バーンは瀕死の火傷を負った。だが、私のダメージは、あくまで格闘戦による物理的な打撲だけだった。あの時から、この仮説は芽生えていた。
そして、魔力測定器が叩き出した「レベルー999」という異常値。
神の力への適合率があり得ないほど低いこの体は、魔法を行使できない代わりに、自身に向けられた魔法の作用そのものを、限りなくゼロにするのではないか?
攻撃魔法も、祝福魔法も、治癒魔法も、そして敵がその身に纏う防護フィールドや再生能力さえも。
それら全てを、私の周囲では無効化する。
結果は出た。原因は、まだ不明だが。
私は、崩れ落ちる瓦礫の中を突き進み、シャガーンとの間合いを一気に詰める。
自らの最大攻撃が通用しないどころか、炎の中から無傷で歩み出てくるという、あり得ない光景を前に硬直していた彼は、反応が遅れた。
そのがら空きの首筋に、再び容赦なくナイフを叩き込む。
連続で、その腹を滅茶苦茶に引き裂いた。
返り血が、私の全身を赤黒く染め上げる。
再生能力は、おそらく自己治癒能力を魔法で極限まで高めたもの。
私が近接している限り、その魔法効果はキャンセルされる。
そして、奴の再生は、時間を巻き戻すような現象ではない。失われた血液は戻らない。
検死で確認した通り、奴の体もまた、血液を失えば機能不全に陥る、ただの生体システムだ。
「ぐ、はっ……こ、このワタクシの一撃が、通用しない……? 直撃のはず……ダメージ、ゼロだと……!? 馬鹿な! 魔法は神の力! この世界の絶対法則なのだぞ! 貴様、一体……何者だ!?」
シャガーンの足元に、夥しい量の血だまりが広がっていく。
大量出血により、その動きは目に見えて鈍っていた。
「さあ。私に聞かれても」
私にも、私が何者なのかは分からない。
「……適合率の緊急警報が示す『排除対象』は、あの剣士だけではなかった、か……! これほどの異端者が、この地に二人も……!」
「排除対象? 神が、自らに適合しない者を、魔族を使って排除しているとでも言うの?」
「……貴様のような危険な存在は、ワタクシが全力をもって破壊せねばならない! それこそが、神の御心であるからだ!」
シャガーンは何かを決意したように、懐から禍々しい輝きを放つ、魔石のようなものを取り出した。
「神の恩恵を、その目に焼き付けよ!」
彼は躊躇なく、その魔石を自らの口へと放り込み、嚥下した。
直後、シャガーンの体が凄まじい痙攣を起こし始める。
ゴキリ、と骨が軋む音。血管が脈打ち、筋肉が異常なまでに膨張していく。
その瞳が一瞬、鮮血のような光を放ち、やがて、冷たく輝く非人間的な魔眼へと変貌した。
もはや、そこに先程までの知性的な魔族の姿はなかった。
ただ、純粋な破壊衝動の権化だけが、そこに立っていた。
読んで頂きありがとうございます。
ブクマや☆での評価・応援、どうかよろしくお願いします。




