第11話 市街戦
「アノンは、騎士団のほうをなんとかしてあげて」
私が言うと、アノンは一瞬だけ、躊躇うように私を見た。
「俺の護衛対象はお前だが……。まあいい。お前が問題ないと言うなら、それで間違いはないのだろう。それに、あの魔族どもには、ずいぶんと食い物と酒の借りができた。雑魚は全て叩き斬ってやる」
彼はそれだけ言うと、まるで散歩にでも出るかのように、レストランから戦場の中心へと姿を消した。
彼の背中を見送る間もなく、魔族の前衛が騎士団の陣形を突破し、レストランの軒下まで到達していた。
店内に残っていた客も店員も、パニックに陥り蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っている。
魔族が店内に雪崩れ込んでくるのも、時間の問題だろう。
私は即座に踵を返し、レストランの調理場へと駆け込んだ。
この非常時だ。棚にずらりと並んだ酒瓶を数本、腕に抱えても文句を言う者はいない。
ついでに、棚にあった食用油の大きな瓶も確保する。
私は手際よく度数の高い蒸留酒のコルクを抜き、テーブルクロスを引き裂いて作った布をきつく瓶の口にねじ込んでいった。
「聖女様、何を……?」
呆然と立ち尽くすバーンを尻目に、私は蝋燭の炎を布先に近づける。
「――第一投」
着火と同時に、私は店の二階の窓から、階下で唸り声を上げる魔族の群れに向かってそれを投擲した。
放物線を描いて飛んだ瓶は、硬い石畳に叩きつけられて粉々に砕け散る。
そして、撒き散らされた高濃度のアルコールに、瓶の口で燃えていた炎が引火した。
――火炎瓶。
古典的だが、それ故に完成された焼夷兵器。
魔族といえども、その体は可燃性の有機物で構成されている。ナイフで解体した時にそれは確認済みだ。
奴らは金属製の戦車ではない。ガソリンやナパームほどの熱量と持続性がないアルコールでも、直撃させれば十分な効果が見込める。
私の思考を証明するように、階下で悲鳴が上がった。
通常の下級魔族は、それが何なのか理解する間もなく炎に包まれ、断末魔の叫びを上げてのたうち回る。
上級魔族は、上から飛来する物体を認識し、咄嗟に防護フィールドを展開する。
だが、それが悪手だった。
フィールドに当たって砕けた瓶から、中の液体がフィールド表面にぶちまけられる。
そして、奴が「防ぎきった」と油断してフィールドを解いた瞬間、まだ燃え残っていた布の火種が気化したアルコールに引火し、時間差で火だるまになった。
この武器の最大の利点は、敵がこれが何なのかを全く理解していないことだ。
火が消えるまで防護フィールドを展開し続ける、という発想に至らない。
さらに、バーンの豆粒のような炎魔法と違い、可燃物が尽きるまで燃え続けるため、持続的なダメージを与えられる。
「次」
私は無言で二本目、三本目と火炎瓶を投擲し、魔族を次々と炎のオブジェに変えていく。
さらに、残った酒や油を上からばらまき、バーンに命じた。
「バーン、あの油溜まりに炎弾を!」
「は、はい!」
彼の放った小さな火球が着弾した瞬間、凄まじい勢いで炎が広がり、火の海が魔族の群れを飲み込んだ。
レストランの軒下に群がっていた七、八体の魔族は、一瞬にして殲滅された。
階下の騎士団や市民が、何が起きたのか分からないといった顔で、二階の窓から顔を出す私を見上げている。
薄汚い身なりの村娘が、手にした瓶で魔族を一方的に虐殺しているのだ。
その光景は、彼らの常識を遥かに超えていたのだろう。
魔族も、このレストランが危険地帯だと認識したらしい。
正面から近づくことをやめ、建物を迂回し始めた。その程度の学習能力はあるようだ。
「連中、裏口から来る気みたい。そろそろここも危ないわね」
「は、はい、聖女様!」
建物の構造は頭に入っている。
裏口から侵入した魔族は、必ずこの階に上がってくるはずだ。
私はバーンを連れて、最後の準備に取り掛かった。
「聖女様、一体何を……? 小麦粉まみれになって、遊んでいる場合では……」
調理場から持ってきた小麦粉の袋を破り、部屋中に激しくぶちまける私を見て、バーンが困惑の声を上げる。
細かい粒子が舞い上がり、思わずむせ返った。
「もっとよ。そうだバーン、あなたの風魔法で、この粉を部屋中にまんべんなく広げて!」
「え、えぇ!? なんでですか?」
「いいから。これは聖女命令よ」
「うぅ……聖女様は昔から、時々変なことをなさる方でしたから……。分かりました! 風弾!」
バーンの起こしたそよ風のような魔法が、部屋の空気を攪拌する。
小麦粉の微粒子が部屋の隅々にまで行き渡り、濃密な白い煙幕が完成した。
彼の弱々しい風魔法も、使い方次第では役に立つ。
ついでに、残った酒と油もありったけ床にばらまいた。
やがて、階段を駆け上がってくる、いくつもの荒々しい足音が聞こえてきた。
「グガァァァァ!!!」
扉を蹴破り、十体ほどの魔族が室内に雪崩れ込んでくる。
その中には、上級魔族の姿も三体混じっていた。
「よし、窓から隣に逃げるわよ!」
室内に誘い込むため、私が窓際にいることを奴らに認識させるべく、わざと大きな声で叫んだ。
上級魔族に人語を解する知能があることは、ホパ村で証明済みだ。
村の時とは逆に、私がバーンの手を強く引き、窓ガラスを突き破って隣の建物の屋根へと飛び移った。
着地の衝撃で少し転がったが、すぐに体勢を立て直す。
魔族たちが、窓から身を乗り出して私たちを追おうとしているのが見えた。
十分な距離を取る。
「バーン。私たちがさっきまでいた、あの部屋に。あなたの全力の炎魔法を!」
「はい、聖女様! 炎弾!」
バーンの手から、またしても握りつぶせそうな豆粒大の炎が放たれる。
彼の魔法単体では、下級魔族にすらまともなダメージは与えられない。
だが、それでいい。必要なのは威力ではない。
「――起爆」
炎の弾が窓から室内へ飛び込んだ、その刹那。
世界から、音が消えた。
――次の瞬間。
耳を劈くような轟音が響き渡り、凄まじい閃光と衝撃波が私たちを襲った。
レストランそのものが、内側から爆ぜた。
空気中に高濃度で浮遊していた小麦粉の微粒子が、バーンの火種を起点に連鎖的な燃焼反応――粉塵爆発を引き起こしたのだ。
閉鎖空間で発生した爆発は、酸化剤を用いた火薬にも匹敵する破壊力を生み出す。
凄まじい爆風で建物の壁が吹き飛び、中にいた魔族たちが黒焦げの肉塊となって周囲に撒き散らされた。
さらに、床に撒いた油とアルコールに引火し、爆心地は瞬く間に灼熱の地獄と化す。
同じフロアにいた魔族は、十数体。
その全てが、この一撃で消し炭になったはずだ。
あの男も言っていた。
立ち塞がる敵は、必ず殺せ、と。
「せ、聖女様……。僕の、魔法が……?」
バーンは、自らが引き起こした大破壊を前に、あっけにとられた表情で私を見つめていた。
彼だけではない。爆発の轟音に、一時的に戦闘を中断した騎士団も、市民も、そして生き残った魔族たちさえも、固まっていた。
全ての視線が、破壊された建物の屋根の上に立つ、一人の村娘に注がれていた。
その視線に、畏怖の色が混じっているのを、私は確かに感じていた。
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