第10話 私の決断
レストランの床に転がる、折れた剣と騎士の骸。
窓の外から響き渡る人々の絶叫と、魔族の咆哮。
村に続いて、またこれか。
私の眉間に、深い皺が刻まれた。
この街には城壁がある。
それは、守るべき日常と富があり、そしてそれを脅かす敵がいることの証明だ。
その防衛の要であるはずの騎士が、こうして店の中にまで吹き飛ばされてきた。
状況は、火を見るより明らかだった。
(……この街は、陥落寸前)
ホパ村での失敗を繰り返すわけにはいかない。
あの時は判断が遅れ、敗死の一歩手前まで追い詰められた。同じ轍は踏まない。
論理的な最適解は、ただ一つ。
――即時、撤退。
この街が廃墟になれば、どのみち食料援助など望めない。
生き残った村の子供たちには悪いが、不可抗力だ。
私自身の生存が、他の全てに優先される。
そう結論付けた瞬間、すかさず心の奥でブレーキがかかる。
(めっ! めっ!)
天使役か悪魔役か知らないが、お人好しのリオが、また私の思考に異議を唱えていた。
見捨てるのはダメだ、と。
だが、既に体のコントロール権の掌握は進んでいるし、彼女が体を奪い返したとしても、ただの村娘に一体なにができる。
それにしても、なぜ魔族はこうも私の行く先に現れるのか。
私の平穏な生活を邪魔しやがって。
『もう終わりだ! なんだ、この魔族の大群は!』
『城門が……城門が破られたぞ!』
市民の切羽詰まった叫び声が、レストランの中にまで響いてくる。
「聖女様とアノン様がいれば、きっと……!」
隣で、バーンが祈るような、期待に満ちた目で私を見つめていた。
「このままじゃ、村に送る食料も、何もかもなくなってしまいます!」
なぜ、私を見る?
私は貴族でも、勇者でもない。ましてや、聖女などという都合のいい存在ではない。
ただ、自分の生存を第一に、普通に生きることを目指しているだけの、元村娘だ。
だから、そんな英雄を渇望するような目で、こちらを見ないでほしい。
私はバーンの視線から逃れるように、騎士が空けた壁の大穴から外の惨状を観察した。
騎士団は善戦している。だが、明らかに押されていた。
防衛線は崩壊し、街の至る所から黒煙が上がっている。
「本物の聖女様もいらっしゃるし、きっと大丈夫よ」
私はバーンを諭すように言った。
だが、その言葉がただの気休めであることは、誰よりも自分が一番よく分かっていた。
このままでは、騎士団の全滅も時間の問題。
そして、私たちにも選択が突きつけられる。
村の時のように戦うか。それともさっさと逃げるか。
戦況を支配しているのは、一体の魔族だった。
他の上級魔族よりも一回り大きく、禍々しいオーラを放つ指揮官クラス。
聖女の「祝福」を受けた騎士たちの剣も、その身を包む分厚い防護フィールドの前には無力だった。
「あれを見ろ、アノン」
「……攻撃が通じていないな。奴が今回の指揮官か」
その魔族が、まるで邪魔な虫でも払うかのように片腕を薙ぐ。
それだけで、屈強な騎士が数人まとめて吹き飛ばされ、建物の壁に叩きつけられて沈黙した。
その光景を見て、私は一つの事実に思い至る。
「……さっき、私たちの食事を台無しにした騎士。あいつに吹き飛ばされたみたいね」
「そのようだ」
アノンの目が、氷のように冷たく細められた。
「アノン、確かめたいことがある」
私が呟くと、アノンは静かに私を見た。
「……お前が、か?」
「ええ。あの指揮官クラスを、私に引きつけてほしい」
「お前があの魔族を殺るのか、破星」
「たぶん、問題ない」
「了解した」
私は、悩んだ末に、再び魔族と戦うことに決めた。
生存を第一とする私の信条からすれば、極めて不本意な選択だ。
だが、この選択には、それを上回るだけの合理的なメリットがあった。
第一に、報酬。
この絶望的な状況を覆して街を救えば、領主も神殿も莫大な謝礼を提示せざるを得ないだろう。
金があれば、当面の衣食住は確保できるし、約束である村への食料援助という厄介な問題も片付く。
そして第二に、より重要な目的があった。
私自身の「検証」だ。
ホパ村での戦闘で感じた、あの些細な違和感。
それが何なのかを確かめるために、あの指揮官クラスの魔族は、またとない最高の「実験体」だった。
断じて、リオの甘い感傷に押し切られて、街を守るためだとか、子供たちのためだとか、そういう下らない理由ではない。
ましてや、食べ物の恨みでもない。
絶対に違う。
私は、必要とあらば傷ついた子供だって見捨てられる。
これは、全て私の生存のための、合理的で、打算的な判断に過ぎない。
私は自分にそう言い聞かせると、瓦礫と化したテーブルを乗り越え、迎撃準備を始めた。
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